2015年03月10日の日記です


カラオケ  2015-03-10 11:46:44  業界記

セガサターンの発売と同時期に、サターンを制御部分に使用した通信カラオケ事業を始めています。


Prologue 21 という機種でした。愛称としては「セガカラ」。


AM1研からも、一人そちらの部署に異動になりました。

この人が時々1研に遊びに来て仲の良かった人と話をしていたので、近くで話だけ聞いてたとか、伝え聴き程度の話しか知りません。


当時のセガは、とにかく「ゲーム業界他社」がやっていることにはなんでも手を出しました。


ナムコがテーマパーク事業をやっている、というのでジョイポリス作りましたし、ST-Vもネオジオへの対抗策の側面があります。


そして、タイトーが通信カラオケやっている、というのでセガカラを始めるわけです。




ところで、タイトーが何の会社かご存知の方はどれくらいいるでしょう?


スペースインベーダー作ったゲーム会社でしょ、という人が多いかと思いますが、元はジュークボックスを扱う太東貿易。


セガの元となったレメーヤー&スチュアート社と、V&V社をあわせて「ジュークボックス界の三大企業」だった時期もあります。


レメーヤ―&スチュアートは、後のセガ・エンタープライゼス(の一部)です。

その歴史の中で、「SEGA-1000」という初の国産ジュークボックスを作り出しています。


タイトーは、ゲームが大ヒットしてもジュークボックス、後には「ジュークカラオケ」と呼ばれる機械を作りつづけました。


V&V社がどうなったのか不明ですが(おそらく消滅)、V&V社の中で「ジュークボックスに未来はない」と考えた社員…中山隼雄がエスコ貿易という別会社を興しています。


後に「セガ・エンタープライゼス」がエスコ貿易を吸収しますが、中山隼雄はセガの社長となりました。



つまり、ジュークボックスの三大企業のうち2つからセガが興り、残りの1つはタイトーになっています。

タイトーはジュークボックスを作り続け、セガは「ジュークボックスに未来はない」と考えた人の元、ジュークボックス事業からは手を引きました。


そして、タイトーが通信カラオケを考えだし、成功しているとみると「うちもやれ」と命じるわけです。ジュークに未来はないと言っていた人が。

タイトーよりずっと技術力あるから、いいもの作れるだろう、というのですが、技術力はあってもノウハウが全くないのです。



…まぁ、時代の判断で、1970年代にジュークを続けなかったのは悪くないと思います。

実際、やるならノウハウを溜めるためにじっくりと、とは考えていたようですし、今でもカラオケ事業は存続しています。




当初のセガカラはマニアックな選曲が多かった、という評価のようです。


つまりは、一般受けしない曲ばかりだったのです。

「どんな曲を入れればみんなに歌ってもらえるか」という重要な市場リサーチができていなかったためです。


通信カラオケの場合、楽曲をMIDIデータ(デジタル楽譜)として作り上げる必要があります。

これは、実はちょっと職人芸を要する世界で、セガ社内ではとてもできませんでした。


そこで外注するのですが、職人芸だからこそ、外注してもレベルがまちまち。

それでも、短い準備期間でそれなりの曲数をそろえる必要がありましたから、出来が悪いからと作り直す時間もありません。


任される方も、なんでも作れるわけではありません。

アイドル曲が得意な人、バラードが得意な人、ロックが得意な人…といろいろな人がいます。


そして、MIDIの打ち込みなんてやっている人は、みんな音楽マニアです。

「一般受けする」曲よりも「自分の好きな」曲を作っている方が楽しいです。


仕事なのだから、一般受けする曲を多めに、という制御をしなくてはなりませんでした。

でも、できるものならどんどん作ってもらう、という中では、それぞれが得意ジャンルに走るのも無理はありません。


それが高じると、仲間内での「ネタ合戦」になり、「世界の兄貴達」なんて曲も入り始めるわけです。




セガとしては、外注に作ってもらった曲は1曲いくら、で買い取ります。


カラオケボックスは1時間500円程度で、その間に10~15曲歌えてしまいます。

その金額の中でカラオケボックスの利益があり、楽曲使用料があり、通信した「1曲の料金」があるのです。


実際いくらかわからないのですが、1曲歌ってもらっても数円だよね。

1曲が何万回リクエストされたらやっと儲けが出る、という損益分岐点があるのですが、あまりにもマニアックな曲では、絶対に採算ラインに乗りません。



作ってもらった曲が全然採算に合わない、と気づくまでに、開始から数か月かかっていたようです。

最初はとにかく「曲数をそろえる」ことに精いっぱいで、儲けが出ているかどうかちゃんと考えていなかったのね。


気付いた時点で部員には「趣味に走らずもっと一般受けする曲を入れろ」と檄が飛んだようです。




実際行ったことないのでどこかで聞いた話ですが…

(たしか、当時のなにかの雑誌に載っていた)



セガカラの選曲リモコンは、曲の検索機能が付いていました。

他社は「本」として楽曲一覧があったけど、セガカラは当初リモコンですべての機能をまかなおうとしたのね。


#閲覧性の悪さに気付いて後で本も提供したようですが。



このリモコン、中身は 98HA だったそうです。

セガと NEC 、結構仲良かったんだよね。


これ、初期のセガカラだけだったそうで、98HA ユーザーとして一度は実機を見ておきたい、と思ったまま無くなっていきました。




また別の話。

翌1995年の話ですが、AM1研で作ったゲームがセガカラで遊べるようになっています。


これは、公知の事実だから書いちゃっていいかな。「エジホン探偵事務所」ね。

セガカラ専用のミニゲームが入っていたはず。


#ゲームの最後で、2人で「賞金」を奪い合うゲームがある。

 あれを「マイクの奪い合い」に変えただけのゲーム。


…今調べて知ったけど、AV女優が出演するアダルトゲームが入ったゲーム集の中に入っているのね。狙っている客層が全くわからん。




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