2015年03月08日の日記です


1994年のそのほかのゲーム  2015-03-08 08:20:13  業界記

AM1研の1994年の発売ゲームをいろんな資料から探したのだけど、僕がよく覚えてないのもあるのね。

長く書くほどではないので、残りはまとめて…



▼THE J LEAGUE 1994


サッカーゲームです。


Jリーグの発足が 1993 年。すぐに契約して、選手の実名などを使ったサッカーを作ろうというのだから動きが速いです。

動作ボードは System32 。拡大縮小スプライトを使い、画面奥に向かって攻め込むゲームになっています。


サッカーゲームって、左右にゴールがあることが多いので、前後に動くというのはなかなか珍しい。


確か、発売は年末。

自分の配属プロジェクトである手相が忙しい時期に部内テストプレイをやっていたので、画面は見ましたがあまり遊んでいません。



Jリーグ発足直後ではありましたが、「新しいスポーツのプロリーグができた」ことに世間が注目しているだけで、実はサッカー人気はそれほど高くなかった。

テレビで見て応援している人も、実はルール判って無かったりね。


だからこの時期たくさんのサッカーゲームが出たのだけど、どれもそれほど売れなかった。

このゲームも、枚数出回っていないはずです。いま情報探しても、動画とか見当たりませんでした。


#海外版も作られて、そちらはそれなりに情報がある。

 海外のサッカー人気は安定しているからね。



…あれ、今書いてて気づいた。

手相うらないは「System32 の在庫処分」で作られたはずだったのだけど、このゲーム同じ System32 で、同時期に作ってる。


最初からあまり売る気なかったのかもしれません。

もしくは、サッカーは売れるだけ作って、その残りで手相生産して終わりのつもりだったのかな。


いずれにせよ、僕が開発を知っている System32 のゲームは手相とサッカーの2つだけ。

在庫処分のはずの手相がヒットしてしまったので、基板再生産になってしまったのは先に書いた通り。



System32 の最後のゲームは Slipstream だそうです。たった今知った。

カプコンから販売になっていて、北米地域でたった150枚しか販売されなかった幻のゲーム…だそうです。


どういう経緯でカプコンが扱ったのかわかりませんが、150枚だけだったのは明らかに在庫処分だったためでしょう。

手相で再生産抱えた後、System32 のゲームをさらに作れ、という話にはならなかったけど大丈夫だったのかなー、と少し思っていたのですが、こんなことになってたんですね。


#ゲーム業界では、他社の基板使ったり、ゲーム作ってもらうことも珍しいけどたびたびある


#在庫処分だとすると、大量生産できないこと確定だから作成コスト抑えたいし、今後使わない知らない基板のノウハウを学ぶ手間もかけたくないから、過去のゲームのソースを渡して好きなように改造してもらったとか…

 そもそもカプコンは販売だけで作ったのは別会社かもしれません。

 本当に事情を知らないので邪推ですけど。





▼アストロノミコン


大阪ATCガルボに作られたアトラクションですが、これはAM1研とAM6研の共同作品でした。


#AM6研は、ジョイポリスのアトラクションなどを作っていた部署。

 後に社内再編に伴って番号などは変わる。


ガルボって、セガが展開していたジョイポリスと同じような屋内遊園地ね。

詳細は長くなるのでいずれ書きますが、大阪ATCガルボが開店第1号。


企画の人が一人、大阪に長期出張して作ってました。

アトラクションだから、現場で調整しないといけないのね。


短期集中で作らなくてはならなかったため、1か月の残業時間数が250時間、とか言ってた気がする。

これ、異常な数字よ。僕も1度 180時間やったけど、これがほぼ限界の数字だと思う。


#1か月間休みなしで、朝8時から夜11時まで働くと250時間くらいになります。

 ちなみに、同じ条件だけど週1日は休む(家に帰る)、だと180時間。


内容は「スターライトフォーチュン」を下敷きとした占いらしいのですが、劇場のようになっていて、多数の人を一気に占います。

と言っても、劇場では多くの質問を出され、各自が YES/NO で答えていくだけ。


その後、別の部屋で一人づつの占い結果の詳細プリントアウトを貰えるそうです。


…と書いたところで、僕はもちろん遊んだことも、見たこともありません。



▼所さんのまーまーじゃん2


麻雀ゲームです。所さんの描いた自画像キャラが出てきたように思う。

外注で作らせていたはずです。

2というには1(無印)もあるのだけど、それは入社前なので全く知らない。


これも、あまり記憶していないのだけど、部内テストプレイはやっていたように思います。

入社直後だったような気がするから、初夏の頃ではないかな。


わくわくソニックパトカー

わくわくトーマス

わくわくタマ&フレンズ

▼わくわくマリン


部内では「わくわくシリーズ」と呼ばれてました。

子供用ライド(固定されていて、揺れるだけの乗り物)に画面を付けたものです。


筐体を作成するAM4件と共同開発した形になるのかな。



…これ、AM1 研が後に分社化した際の「セガワウ」のWEBページのアーカイブを参考に書いているのですが、かなり間違えているようです。


どうも、トーマスは 1993 年の作品のようです。

これは、版権の都合でバンプレストから発売。


絵を描いた人の机に、参考資料として購入した、トーマスのダイキャストモデルシリーズがたくさん置いてありました。

バンダイから発売されていた「トーマスエンジンコレクションシリーズ」かな。今はもう売ってません。


後で聞いた話ですが、AM4研の人が参考資料としておもちゃ屋さんにダイキャストモデルを買いに行った際、シリーズ全てを1個づつ、という買い方をしたのだそうです。

まぁ、参考資料だから網羅するのは当然ね。


でも、このシリーズ、1個づつが結構高かったのよ。

子供のおもちゃと言うには精巧に出来ていて、それほど大きくないのに千~3千円くらいする。

これを、シリーズの十数体まとめ買いしたので、その場にいた子供たちが騒然としていたそうです。


子供にとっては「いったい、どんな子にプレゼントするのだろう」と羨望のまなざしですよね。


さて、そのうち数体は、なぜか現在うちにあって、長男が保育園の時は喜んで遊んでました。

(保育園の頃は乗り物大好きだった。別にトーマス好きではなかったけど)


そもそも、これはAM4研の人が買ってきたので、AM4研のもの、のはずだったそうです。

でも、絵を描いた人が返そうとしたら「もうちょっと持ってて」と言われたまま、買ってきた人がセガを辞めてしまったとか。


で、絵を描いた人がそのまま持っていたのだけど、ずっと後にセガを辞める際に、「もう誰の所有物かわからないから」と、仲良かった人に1つづつ配ったの。

その時一緒に仕事をしていた僕が、「残り全部」を引き受けたので、数体あるのです。


ちなみに、わくわくトーマスを遊んだ時に払い出される、おみやげのカードもたくさんある。100枚くらいあったかな。

これもその時に一緒にもらったもの。



タマ&フレンズは、後に一緒に仕事をするプログラマーの先輩が、一人でこつこつプログラムしてました。

手相のメインプログラムやってた先輩と仲がよかったので(タマ&フレンズの人の方が後輩)だったので、作ってるところ見せてもらった気がする。

(僕、タマ&フレンズのキャラ好きだったので)


マイクに向かって「たまー」って呼びかけるとこっち向くのね。ほのぼの仕様。

ちなみに、違う名前読んでもこっち向きます。原作に忠実



パトカーは 1991 年の作品のようです。マリンは不明。

この二つは、ゲームセンターで見たことはあります。


#マリンもパトカーも、よく見ると 1994 年に「スペイン版」が出たと書いてあるな。



▼ふわふわプレーン

▼ドラえもんのどこでもドア


なにこれ…知らない。


ふわふわ…は名前からすると「わくわく」のような子供向けライドかな。

ドラえもんはプライズ機(ゲームをやって勝てば景品が出てくる)だったようです。


わくわくと同じように発売年が間違えているのかもしれませんし、僕が覚えてないだけかも。




1994 年にはAM2研からバーチャファイター2も出てますね。


作成中バージョンがAM1研に持ち込まれて、部内テストが行われたことがありました。

どうやら、AM2研内のテストではみんなが上手になってしまったので、「まだ遊んだことが無い人」の動きが見たかったみたい。


この時のバージョンでは、リングのテクスチャが非常に不自然だったのを覚えています。

ロケテストまでに修正されたようですが、MODEL2 のテクスチャって、作るのがいろいろと厄介だったのね。


テクスチャが使える、と言いつつ、描く上での制限が非常に厳しいのです。

初期の MODEL2 の絵はダンボールのようだとか、プラスチックのようだとか言われるのはそのため。


後に MODEL2 で綺麗な絵を作る技法が確立され改善するのですが、その話はまたいずれ…



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