昨日からのつづき。
20年前に作った手相占いゲーム機の開発話書いてます。
(最初から)
#画像は、手相ゲーム機が取り上げられた当時の新聞の切り抜き。
クリックで全体を見られます。
AOU が終わった後で、隠しコマンドが入れられました。
…プログラマーのA先輩の命令により、「普通に操作していても絶対に出ないように」という、複雑な方法で。
ここで、当時の「完成から発売まで」の段取りを書いておかないと話が理解できません。
AM4研という部署がありました。
ゲーム基板ではないほうの「ハードウェア」を担当する部署です。
エアロシティ、アストロシティ、ブラストシティなどの筐体を開発した部署。
UFOキャッチャーなどのエレメカを作ったり、占いなどの特殊筐体を設計する部署。
そして、ROM の大量生産のための窓口となっている部所でした。
ゲーム作成では、プログラムよりもグラフィックやサウンドデータの方が遥かに容量を使います。
そこで、グラフィックデータは安価に大量生産できる、マスク ROM を作成します。
ゲームの完成の1か月程度前にはグラフィックやサウンドを完成させ、この部分のデータを全て EP-ROM に焼きます。
この際、チェックサムも取って ROM 番号と共にシールに書いて、EP-ROMの窓に貼ります。
そして、仮のプログラムを入れた EP-ROM と一緒にAM4研に送ります。
#EP-ROM とは、紫外線を当てることで内容を消去できる ROM です。
内容消去済みの ROM に対し、専用の書き込み機でデータを書き込むことができます。
紫外線を内部のシリコンチップにあてる必要があるため、ガラス製の窓が付いています。
窓にシールを貼る、というのは、データを保護する意味があります。
AM4研ではこの EP-ROM を業者に送って ROM を生産してくれるのですが、ROM を一度生産してしまうとやり直しは利かないため、厳しい「最後のチェック」を行っていました。
もっとも、この段階ではグラフィック・サウンドのチェックのみです。
プログラムはまだ修正可能なので、多少バグが出ても問題ありません。
ちなみに、万が一グラフィック・サウンドに問題があった場合には、パッチデータをプログラム ROM に入れて、ほんの少しですが RAM 領域でグラフィックパターン等を定義できるようになっています。
ROM の大量生産完成までに1か月程度。
この完成が締切になります。プログラムはこの間に最後の追い込み。
そして、完成したプログラムは EP-ROM に焼かれ、またAM4研に送られます。
そして、今度はプログラム内容が厳しくチェックされます。
設定画面などが社内仕様にあっているか、など、最低限の要求仕様を満たしていることのチェックは当然、ゲーム上バグが生じないか調べられます。
ここで、万が一ゲーム上不要と思われる「隠しモード」などが発見されると、これはバグなのか、それとも正常な「仕様」なのかの問い合わせが、部署間で申し送られることになります。
こっそり作ろうとしていたものが、部課長クラスにも知られてしまう、ということです。
ここで話は最初に戻ります。
A先輩が「普通に操作していても絶対に出ないように」隠しコマンドを入れるように指示したのは、上のような心配があったため。
部課長に内緒で作るため、深夜残業中に作られ、チェックされました。
作ったのは、スタッフロールでした。
占いゲームにスタッフロールなんて、本来は不要。でも、A先輩もメインプログラマーをやるのは初めて。
自分が作ったゲームである、と入れたかったんです。
これはナイショで入れたものだけど、もちろんチームの全員が知っていて、協力して作られました。
スタッフロールは、…ぶっ飛んでいます。非常にいい意味で。
デザイナーの手により、顔写真がはめ込まれて「キャラ」に仕立てられたスタッフが登場します。
その際、スタッフごとの「テーマ曲」まで作られ(10秒程度)、スタッフの名前も読み上げられるのです。
#この読み上げは千葉さんの声ではなく、音楽担当スタッフの声。
僕は、宙を飛ぶサーフボードに乗った、銀色のスーツをまとったキャラだったはず。
何でも、僕がいない時にA先輩が「そういうキャラで」と注文したそうで…
銀色スーツは「技術が高すぎて、宇宙人のようだから」、サーフボードは「湘南に住んでるから」のようです。
隠しコマンドは、確か以下の通り。
1) ジャンルセレクト画面で、左キー押しっぱなし。
たしか、ジャンルを3周位させる。
(32マス移動、だったかな。あるところで、小さな音で「カチッ」となったら OK 。回しすぎても問題なし)
2) 今度は右キー押しっぱなし。以降は1周程度だったと思う。
3) もう一度左キー押しっぱなし。
この後普通にゲームを遊び、最後のコンティニュー画面で…
4) 3つのキーを左から2進数の 1 2 4 と見立て、残り時間7秒から、1~7を入力。
(入力するたびに秒数が1減るキャンセル動作が入るため、失敗は許されない)
これでエンディングに入ったはず。
回す順番。右、左、右、だったかもしれない。
同じく、最後は右から 1 2 4 だったかもしれない。
…と書いたところで、多分もう動いている実機もないし、誰も確認できないと思う。
実は、何だったか忘れたけど、プログラムロムの「完成」のあとで、大きなバグが発見されました。
すでに工場での生産がかかった後に。
#もしかしたら、AOU前に生産にかかっていたかも。ここら辺記憶が定かでない。
AOUにもロムを差し替えに行ったので、同じバージョンが完成版かもしれません。
修正版ロムはすぐに出来たのですが、ロムを差し替えたい、という要望に対し、工場から「場所貸すから自分でやれ」との注文が。
#なんか、直前にも別の部署でロム交換作業が発生して、工場としては生産性の上がらない作業に怒っていた模様。
僕は新人社員研修で1年前に行ったばかりの工場でした。
A先輩はその工場に行ったことは無かったらしいのですが、ロムとロムライターとロム消し機を持って、車で工場へ。
製造された筐体は、この時はまだ数十台だけでした。
片っ端からロムを抜き、保護シールをはがし、ロム消し機に入れます。
プログラムは(こういうこともたびたびあるので)EP-ROMです。
EP-ROM は、ガラス窓があって強い紫外線を当てると内容が消えます。
10分ほど当てると内容が消えるので、続いてロムライターへ。
完成したマスターロムの内容をコピーします。同時に 32個づつ焼けたのではないかな。
こちらも結構時間がかかる。
そして、新たなシールを貼り、元の基板に戻し、動作確認。
問題無ければ1台完成。
ロムを抜く人、消して書く人、入れて確認する人。
何人かで手分けして作業し、半日ほどで全部を交換したと思います。
先に書いた通り、このゲームは当時の占い機の常識を塗り替える大ヒットでした。
普通、占い機っていうのはゲームセンターの片隅に1台ひっそり置かれている程度で、それほど儲からないのね。
儲からないとわかっていても、品ぞろえとして入荷せざるを得ない感じ。
しかし、手相占いは大ヒットで、順番待ちの行列ができるときもあったとか。
でも、先に書いたように部材が足りなくなり、注文を抱えた状態のままで「生産打ち切り」にせざるを得ませんでした。
この日記の冒頭の画像、当時の新聞の切り抜きです。
北海道新聞 1995年7月12日、道央圏地方版です。
北海道に住んでいる姉が「新聞記事になってたよ」と送ってくれたもの。
記事としては手相だけでなく、占い機全体について書かれています。
でも、話の中心となっているのは手相ですし、実際手相占いのヒットで書かれた記事でしょう。
「大きな店では3台から10台」は、手相だけではなくて占いゲーム機を複数台、という文脈でしょうね。
手相は上に書いたように、人気があるのに生産できなかったので、これだけで複数台導入は無かったのではないかな。
このゲーム、大ヒットだったので「同じようなのをもう一つ」と要望が多く、しばらく後にオムロン・セガ・ディメーレ(その時は名前変わってた)という同じチームで、「オーラ写真倶楽部」(1997)を作ることになります。
こちらも僕はかかわったのだけど、詳細な話を出すのは20年を超えてからにします。
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