今日は、Macintosh (128k) が発売された日(1984)
22日にスーパーボウル(アメリカンフットボールの優勝決定戦)の中継の中で Macの発売告知のCMが流され、2日後の今日、発売となりました。
初代マックはもう、いろいろと伝説がありすぎて僕が書く必要もないくらい。
ゼロックスで研究されていた Alto を元にして、「ゼロックスが商品化するつもりがないなら、アップルがやってしまうぞ」と言ってジョブズが作り上げたもの、とよく言われる。
まぁ、本当は直接作り上げたのは Lisa というマシンで(先日暇がなくて書けなかったのだけど、1983年1月19日発売)、Mac の元となった機械だ、とされている。
でも、Lisa は Mac よりもっと Alto っぽかった。
マルチタスクで動くし、マルチウィンドウだった。
でも、Lisa は高価だった。パソコン界のポルシェ、と呼ばれた。
そして、CPU である 68000 はマルチタスクに耐えられるほど高速ではなく(それでも、当時は高速なCPUの方だったのだけど)、使い勝手は決して良いものではなかった。
この反省から、Mac は Lisa を「切り詰めた」ものとして作られた。
いや、ジョブズは Lisa が受け入れられないことを認めたくなくて、「切り詰めた」のではなくて「切り捨てた」のかもしれない。
高価だった RAM を極力減らすため、OS の一部はあらかじめ ROM に納められた。
アプリケーションのプログラムも、肥大化すれば RAM を必要としてしまう。
そこで、OS の一部である ROM の中に、よく使われる処理が収められ、それらを使うことが推奨された。
もちろん、OS というのは「よく使うルーチン」の集合体だ。
その意味では、よく使う処理が入っている、というのは当たり前に思える。
でも、そうじゃなかった。
OS はまた、汎用的な処理だけを集めるべきで、高度に専門化されたルーチンを持つべきではない。
でも、Mac の ROM には「ボタンを描く」とか「テキスト入力を行わせる」とか、「テキストエディタ」のようなものまで入っていた。
結果として、Mac のプログラムは、別の会社が作ったプログラムであっても、「どこかで見た」部品が使いまわされることになった。
これが「ソフトが違っても使い勝手が統一される」という良い作用を生む。
使い勝手の統一、という、いまでは当たり前の作法は、「メモリを切り詰めた結果」、やむなく生まれたのだ。
Lisa は 1Mバイトのメモリを搭載していた。
これがどんなに驚く容量か…当時、IBM-PC は最大でも 640K のメモリしか搭載できなかった。
現実的には、Lisa と同じ 1984 年に発売された IBM-PC/XT は、256KB しかメモリを搭載していなかった。
しかし、その 1M のメモリが Lisa を高価なものとし、全然売れないマシンにした。
Mac は、この反省からメモリが切り詰められ、128K しか搭載していなかった。
しかも、拡張性は一切ない。搭載量が 128K で、最大も 128K だ。
文字中心の IBM-PC でも、256K 。それを、グラフィカルにして 128K 。
ソフトはほとんど何も動かなかったし、Mac 上でソフトを開発することなんて、とても無理だった。
#Lisa に MacWorks というソフトを載せると、Mac 互換になったので、開発には Lisa が必須だった。
もちろん、Lisa と違って Mac はマルチタスクではない。だから、ウィンドウシステムも、あまり意味がない。
1つのソフトが画面全体を占有する、というのが Mac の作法だった。
#実は、初心者にはこれがわかりやすかった。画面がごちゃごちゃしている、というのはわかりやすくない。
後に Mac はマルチタスク・マルチウィンドウになるけど、iPhone / iOS では、シングルウィンドウに戻った。
ジョブズは、Mac を「パソコン」だとは考えていなかった節がある。
どうも、ソフトウェアのプレイヤーを作ろうとしていたようなのだ。
拡張性が無い、というのもそのための選択だったのだろう。
各家庭にあるテレビが、ユーザーの好みに合わせて、蓋をあけて拡張される…というような話はない。
どこの家でも同じ仕様のパソコンを売れば、発売されるソフトもどこの家でも動くはずだ。
プレイヤーだと考えれば、非常に正しい主張だった。
キーボードは不要だ、とも主張していた。
マウスだけあれば操作はできる。文字入力が必要なら、画面上にソフトウェアキーボードを表示すればいい。
もちろん、キーボードが必要な人もいるだろうけど、それなら「別売り」にすればいい。
しかし、Mac はキーボード付きで発売された。
もしキーボード無しなら、これはパソコンではなくて、当時としては画期的な「ソフトウェアプレイヤー」として認識されたかもしれない。
Apple II の設計者であるウォズニアックも、後に「アップルはソフト再製に特化した、ファミコンみたいなものを作るべきだった。でも、任天堂に先にやられてしまった」という趣旨のことを語っている。
当時はウォズとジョブズはすれ違い、仲は悪かったはずだけど、同じような意識を持っていたのかもしれない。
Lisa は豪華すぎて高価で売れなかった。
Mac はその反動で、切り詰めすぎ、発売してすぐに「何もできない」との評判が立つ。
発表時にたくさんの予約が入っていたが、発売してからキャンセルが相次いだらしい。
当時アップル社の研究職だったアラン・ケイは、Mac を「1リットルしかタンクのないホンダ」だと呼んだ。
素晴らしい性能を持っているはずなのに、それを動かすための「燃料」を、ほとんど入れられない。
皆が、Mac をパソコンだと捉えていた。
そして、パソコンだと考えると、あまりにも非力だった。
1984年の今日、発売されたパソコンの名前は「Apple Macintosh」だった。
でも、一般に Macintosh 128k と呼ばれる。
これは、すぐ後に「Macintosh 512k」という機械が発売されたため、区別するために初代機には「128k」と付けるようになったのだ。
メモリ容量が4倍になって、やっと Mac は普通に使える「パソコン」になった。
そして、実は Mac に非常に惚れた人物の一人に、ビル・ゲイツがいる。
ゲイツとジョブズは仲が良い。
発売前から、ジョブズは Mac をゲイツに見せ、詳細資料を提供してソフトの開発を依頼していた。
まだ発売前なので、詳細資料…OS の API 資料にはとにかく何でも書かれていた。
OS 内部で使うためのルーチンなどは一般には公開しないものだけど、そういうものの情報もあったようだ。
そして、ジョブズは「この資料を自由に使ってよいし、そうして得られた情報でいかなるプログラムを作ってよい」とメモに記してサインした。
ゲイツは、Mac に表計算を提供した。初代 Excel だ。
Excel は、それまでの VisiCalc や、Lotus 1-2-3 とは明らかに次元が違う、非常に使いやすい表計算ソフトだった。
ジョブズが Alto を見て Lisa を開発し、さらに Mac を作ったように、ゲイツも Alto をみて Windows を作っていた。
でも、初期の Windows は全然売れなかった。
当時は MS-DOS で十分だったから。
後に Windows の出来が良くなってから、Mac に酷似している、と裁判になった。
同じ Alto を真似したもの同士だから、似ているとしてもある意味当然。とはいえ、Alto には存在しなかった、ファイルをアイコンとして扱える仕組みなど、Mac に影響を受けたとしか思えない部分も多々ある。
この裁判は、最終的に、先に書いたジョブズのメモ、「得られた情報でいかなるプログラムを作ってもよい」という約束が理由で、Apple の負けとなった。
この裁判の頃、ジョブズは Apple を追い出されていて不在だった。
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