今日はジョン・モークリーの命日(1980)。
ENIAC を作った二人のうち、一人です。主に構想担当。
詳細は誕生日の時の記事を見てね。
命日なので晩年の話を書きましょう。
モークリーは ENIAC で「世界初のコンピューター」を作ったとされ、その後世界初の商用コンピューター UNIVAC-I も作り上げ、コンピューター業界を創世しました。
しかし、晩年になって汚名を着せられ、失意のうちに生涯を閉じることになります。
その汚名とは、「ENIAC はアイディアを盗んだものだ」というもの。
はっきり書いておけば、そんなことはありません。
ENIAC は立派に彼の構想した機械であり、世界初のコンピューター…とは僕は呼んでいないのですが (^^; 後のコンピューター時代の幕開けとなった、デジタル電子計算機でした。
汚名の元となったのは、60年代末から70年代初頭にかけての裁判です。
モークリーはここで、特許論争に巻き込まれることになります。
ENIAC 開発に際し彼は「電子計算機」の非常に多くの特許を取得しました。
これはそのまま彼が後に設立した会社、「モークリー・エッカート社」の物となり、さらには資金繰りの問題から同社が身売りし、レミントン・ランド社、さらに社名変更してスぺリー・ランド社の物となっています。
これは、「スぺリー・ランド社の許可なしにはコンピューターを作れない」ということであり、ここにコンピューター業界の一角であるハネウェル社が噛みついたのです。
当時、コンピューター業界は IBM を筆頭に、8社がひしめき合っていました。
アメリカ政府としても、コンピューター業界を成長させることは、アメリカの経済発展に欠かせない、という意向を示しました。
この中で、裁判は代理戦争の様相を呈していきます。
つまり、ハネウェル社はスぺリー・ランド以外すべてのコンピューター会社と、アメリカ政府を代表する形になったのです。
ハネウェルは、とにかくコンピューターの特許を無効化するため、ありとあらゆる手段を使いました。
その一つが、「ABC マシン」を見つけ出し、掘り起こしたことでした。
ABC マシン…アタナソフ・ベリー・コンピューターは、アタナソフとベリーによって作られた、連立1次方程式を解くための専用計算機です。
ENIAC よりも早く構想されていますが、実際には完成しませんでしたし、物理的な動作個所が多く、とても「電子計算機」と呼べるものではありません。
しかし、とにかく ENIAC よりも前に作られた「電子計算機と呼べそうなもの」を掘り起こすことで、ENIAC が最初ではない、と示すことが目的でした。
最初ではないものには、特許は与えられません。
…実際のところ、これが法廷でどれほどの効果を持ったのかはわかりません。
裁判官は冷静で、これが ENIAC とは全く無関係であることを正しく認識したようです。
結局、裁判は「ENIAC の特許申請手続きに不備があった」ことを理由に、ENIAC の特許を無効として終わります。
アメリカでは、「公表から1年以内に特許書類を提出」が義務付けられています。
モークリーは、ちゃんと ENIAC の完成から1年以内に書類を提出していました。
しかし、ENIAC 開発中に、誘われて「いやいやながら」視察に来たフォン・ノイマンが、この機械のすごさに気付いて勝手に「紹介記事」を書いていました。
これが公表にあたる、と判断され、提出はこの記事から1年以上たった後だった、と結論付けられたのです。
反論しても無駄でした。
特許を無効にしろ、という圧力は政府からもかかっており、裁判官は順法精神と政府圧力の間で板挟みになっていました。
「手続きの不備を見つけて無効化」は、裁判官としても譲れない決着方法だったのです。
特許が無効化されたとはいえ、コンピューターが普及し、可能性が理解されるにつれ「世界最初のコンピューター」という ENIAC の名声はあがります。
そして、名声が上がると「それは私が作ったのだ」と主張する人が、あまりにも多く現われました。
ENIAC は、大きなプロジェクトでした。作成への参加者も数多くいます。
その中には、自分こそがプロジェクトの考案者であり、名声は自分に与えられるべきだ、と主張するものもいました。
フォン・ノイマンもそうした一人です。
彼は先に書いたように、勝手に ENIAC を世に紹介し、そのために特許を無効化してしまい、後続の EDVAC プロジェクトを引っ掻き回して進行を遅らせ、極秘資料を流出させ、そのために「同等品」である EDSAC を先に作られてしまう、という事態を引き起こした張本人です。
しかし、コンピューターはフォン・ノイマンが作った、と信じている人は多く、今のコンピューターは「ノイマン型」と総称されます。
さらに、1970年代末に「最初のコンピューター」のルーツを探る本が発行されます。
その本の中では、先に書いた法廷論争が取り上げられ、ENIAC の特許が無効とされたのは、ABC が先に作られていたからだ、とされていました。
ENIAC の特許が無効化された、というだけでもモークリーにとっては不幸な事でしたが、この本によって、モークリーは「ABC のアイディアを盗んだ」という汚名を着せられることになります。
反面、ABC は一躍脚光を浴びました。完成しなかったし、それまで全く無名の存在だったのに。
コンピューター時代を切り拓いたのは、明らかに ENIAC であり、モークリーのアイディアでした。
…ABC は「ENIAC 以前に2進法を採用していた」ことがよく言われるのですが、ENIAC は10進法で計算しているのです。
また、ABC は「計算する」ことが目的で、物理的な動作個所が多く、速度は問題視していませんでした。
ENIAC は最初から超高速計算が目的で、そのためのアイディアがふんだんに盛り込まれています。
しかし、多くの人は技術には詳しくなく、たとえ嘘であってもセンセーショナルなニュースが伝えられると、興味本位に「覚えて」しまいます。
そして、多くの人が記憶していることは、やがて「それが事実のように」語られてしまうのです。
モークリーは、死ぬまでノイマンを恨んでいました。
しかし、アタナソフについては恨んではおらず、ただ世間から誤解されていることについて涙を流したそうです。
モークリーは、エッカートというパートナーにも恵まれ、独自のアイディアでコンピューター時代を切り拓きました。
現代の先進国に暮らす多くの人が、コンピューターの存在による恩恵にあずかっているはずです。
彼は、世界中の人が幸せに暮らせる時代を作り出した、と言っても過言ではありません。
しかし、その報酬は「アイディアを盗んだ者」との汚名でした。
彼は汚名の返上を願いながらもかなわず、生涯を閉じたのです。
彼は晩年「あまりにも多くのものが失われた」と語っています。
人々が幸せに暮らせる時代を作り出した発明者としては、あまりにも寂しい晩年でした。
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