詳細は現時点で明らかになっていませんが、ラルフ・ベア氏がお亡くなりになったそうです。
(追記:12月6日没)
世界最初のテレビゲーム機である、ODYSSEY を作成した方。
そのプロトタイプモデルである BROWN BOX と共に有名です。
(BROWN BOX の方が性能が良く、発売に際してコスト削減で性能が落ちたため)
「世界最初のテレビゲーム」と一般に言われる、アタリ社の「ポン」は、ODYSSEY に含まれる複数のゲームのうち「テニス」を真似して、さらに完成度を高めたもの。
ついでに書けば、アタリ社はポンを「ビデオゲーム」と呼んでいます。
ラルフ・ベアは ODYSSEY を「テレビゲーム」と呼びました。
そういう意味では、ODYSSEY こそが、世界で最初のテレビゲーム。
「テレビゲーム」という言葉を作り出したのは、ラルフ・ベア氏です。
1年ほど前に、テレビゲームの初期の歴史を「ある程度」追いかけた記事を書きました。
僕はコンピューターの歴史を追いかけるのが好きですが、どんなものでも「無から生じる」ことは無いと思っています。
必ず先行技術があり、影響を受けたり、改良されたりして新しいものが出来る。
先に書いたように、ポンは ODYSSEY の影響を受けています。パクリだと呼ぶ人もいます。
でも、そこで行われた「改良」は非常に重要なもので、ヒットの原動力となっています。
だから、ポンが「世界最初」と呼ばれるのも自然な事。
正直なところ、ODYSSEY のゲームは、現代人から見るとゲームらしくありません。
でも、記事を書いたときに、BROWN BOX がどんな先行技術から生み出されたのか、さっぱりわかりませんでした。
もしかしたら、ラルフ・ベアは本当に人知を超えた天才で、完全な無からこれを作り上げたのか…とさえ思いました。
でも、多分そうじゃない。
記事を書いている最中にしつこく調べつづけて発見しましたが、ラルフ・ベア氏の元で働いたエンジニア、ウィリアム・ラッシュが、MIT 出身でした。
そして、彼が新しいアイディアを次々もたらして、「おにごっこ」しか遊べなかった BROWN BOX に、次々と新ゲームを追加していったことがわかりました。
恐らくは、彼は MIT で作られた多数のゲーム…特に「スペースウォー」を知っていたのでしょう。
この記事を書いた時点で、ベア氏はまだ存命でした。
彼の WEBサイトも見つけていました。
…ただ、コンタクト用ページは 404 NotFound になっていました。
WaybackMachineを使ってメールアドレスを見つけましたが、まだ使えているのかも不明でした。
メールが届くかどうかもわからないけど、思い切って、ラッシュ氏のことを聞いてみようか…
そう思いましたが、きっとベア氏には、ラッシュ氏は「アイディアも豊富なエンジニアだった」程度の認識しかないでしょう。
ラッシュ氏が何処でアイディアを得たのか、という謎にはきっとたどり着けないと思いました。
それに…彼のページを見ると、すべてを一人で作り上げたかのように書いてあります。
実際はそうではない、というのは少し調べればわかるのに。
テレビゲームは彼が切り拓いた世界なのに、テレビゲームの世界は、すでに彼の手を離れている。
ラルフ氏は他にも有名な電子ゲーム、「サイモン」を作ったりしていますが、テレビゲームの隆盛を、半ば寂しく見守っていたのではないか、という気がしました。
「彼がひとりで作った」かのように書いているのも、彼の精いっぱいの虚栄心なのではないか?
そう考えると、そのアイディアはラッシュ氏が持ってきたのでは? などと聞く気にはなれませんでした。
僕の考えすぎかもしれませんが、とにかく聞く気にはなれなかったのです。
そして、永遠に聞くことは出来なくなってしまいました。
ラッシュ氏はベア氏ほど有名ではないので、現在どこにいるのかわかりません。
彼が PDP-1 とスペースウォーを知っていたのかどうか…状況証拠から、恐らく知っていたと確信しているのですが、是非知りたいところです。
決してそれは、ラルフ氏の業績を貶めるものではありません。
最初に書いた通り、どんなものも、先行技術を受け継いで生み出されると思っています。
BROWN BOX / ODYSSEY は重要な「ターニングポイント」です。
これが、MIT のゲーム群…特に「スペースウォー」と正しく繋がっている、と確認するのは、ゲームの歴史を俯瞰する上で重要だと思っています。
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