引き続き HARLIE の話。
あらすじ書きましょう。
僕みたいに、20年以上も探しているけどまだ読んでない、と言う人は話の内容が気になるだろうから。
簡単に入手できるのであれば「自分で買って読んでね」とするのですが、すでに絶版で入手困難、再版の可能性も低いと思います。
発行元の「サンリオSF文庫」がすでにないからね。
同文庫で翻訳された作品で、別の会社から再版されている本もあるみたいですが、HARLIE はそれも望み薄。
(すぐ後に書きますが、なんというか、非常に「マニア受け」する内容なのですね。当時の風俗の知識がないと理解しにくい感じ)
「いつか必ず自分で入手するから、あらすじなど読みたくない」と言う人は、この先は読まないでくださいね。
先ほど書きましたが、非常に「マニア受け」な内容です。
ある種の内輪受けで、いろんな知識が無いと十分に楽しめません。
内輪と言っても、「アメリカ人の、同世代の若者で、SF 好き」であればほぼみんな知っていたであろうカウンターカルチャーが話題の中心です。
それも、そうしたカウンターカルチャー周りの多数の概念・作品が、小説内の小道具として巧みに取り入れられています。
必要な知識としては、大きく分けて2つあります。
1つ目は、ヒッピームーブメント。当時のアメリカの若者たちの間に広まった思想です。
2つ目は、コンピューター科学、特に人工知能研究。当時の最先端科学の一つでした。
両方「当時の」知識が必要です。
…どういうことかと言えば、「ヒッピームーブメント」の時代の空気を色濃く反映しているのです。
コンピューター科学ですら、当時はヒッピームーブメントの影響を非常に強く受けていました。
(中央集権をやめて平等にしよう、という世相から分散処理のインターネットが生まれたりしています)
ここら辺の知識が無いと十分楽しめないです。多分知識なしに読んでも「まぁ面白かった」程度の小説ではあるのですが、裏読みし始めると非常に奥が深くて、何倍も楽しめる。
…まぁ、つまりは 40年前の SF は、既に古典文学の領域だってことですね。
古典文学は当時の世相から勉強しないと読めませんから。
というわけで、あらすじの前に当時の雰囲気の説明から入るのです。
まず、ヒッピームーブメントから。
当時のアメリカはベトナム戦争の最中で、社会全体に疲弊感がありました。
ジョン・レノンが「イマジン」「戦いは終わった(War is over)」を歌ったのは 1971年。
アメリカはベトナム戦争に介入しましたが、泥沼化しました。
物量で押す、というのが得意なアメリカの作戦に対し、ベトコン(ベトナム・コミュニスト、ベトナム共産主義者の意味)兵士は、米軍兵士を一人ずつ着実に殺していくゲリラ戦で応戦しました。
アメリカにとって経験したことのない戦闘でした。
「他国の戦争」にわざわざ首を突っ込んで、多くのアメリカ兵が戦死したのです。
(統計により異なりますが、最終的な死者・行方不明者6万人とされています。このほか多くの「重傷者」を出しました。)
戦場では、恐怖をやわらげるため、負傷兵の痛みを緩和するために、積極的に麻薬が使われました。
ベトナム帰りの兵士には麻薬中毒になっているものも多く、いくつかの州では、彼らのためにマリファナが合法化されました。
また、当時「副作用が少ない」とされる新型合成麻薬、LSDも台頭しました。
これらの麻薬を体験したものが、その体験を図で示したもの…「サイケデリック」アートのブームが起きます。
これは、麻薬をやらない人間に対しても、どういう感じかを追体験させる効果がありました。
テレビが普及してから初めての「大規模な戦争」だったため、リアルな戦場を多くの人が「目撃」しました。
この点も、従来の戦争とは違いました。
反戦ムードが高まり、平和を求める運動が起こります。
多くの死者が出たことで、生と愛を強く求める運動が起こります。
政府の命令や「国家のために」死者が増えたことに反発し、ヒエラルキーを否定し平等を求める運動が起こります。
戦争を起こす近代兵器と近代文明を否定し、自然に回帰しようという運動が起こります。
ヒエラルキーの否定と愛の渇望は、従来のキリスト教を否定します。
また、麻薬体験は「神」を感じさせる効果もあります。(多くの宗教で、酒やたばこを含むドラッグは「神に近づけるもの」として使用されます)
ここから、新興宗教ブームも起こっています。
インド哲学に傾倒したり、日本の「禅」に傾倒したりする人が出たのもこの頃。(代表例:スティーブ・ジョブズ)
これらすべてをひっくるめたものが「ヒッピームーブメント」です。
基本部分に「平等」がありますから、誰かが運動を牽引するようなことはありません。
だから、ヒッピーと言っても人により考え方は全く異なり、近代文明の否定は行わずコンピューターを作るヒッピーもいますし(代表例:スティーブ・ジョブズ)、大多数の人は思想的には感化されつつも、それまでと変わらない生活を送っています。
「イージーライダー」(1969)という映画が、当時のヒッピー文化の中で作られています。僕は見たことないのだけど。
この中で、主人公たちはハーレーダビッドソンを乗り回す。ハーレーは自由の象徴です。
実は、これも小説の中でちょっと関係してきます。
さて、当時を代表する言葉の一つが「フリーセックス」。
破廉恥極まりない…と言うのが当時の大人の反応ですが、これは単純に乱交騒ぎを楽しむようなものではなく、「家族も国も捨てても構わない」と言う覚悟を持った抗議行動の一つでもあります。
#もちろん、乱交を楽しんでいるだけの人もいたと思いますが。
汝、姦淫することなかれ。キリスト教の教えの一つで(厳密に言えばユダヤ教から引き継いでいます)、婚姻関係にないものが性行為をしてはならない、ということです。
(キリスト教も宗派によって性行為の受け止め方は変わります。セックスを示す場合もありますし、キスでも姦淫だ、いや女性を性的な目で見るだけでも姦淫だ、など)
恋人でも結婚するまではダメ。両者の同意や愛の問題ではなく、「結婚」と言う形式を経ないうちは、姦淫してはならない。
それがキリスト教の戒律です。
しかし、キリスト教はまた「愛」を説きます。汝の隣人を愛せよ。汝の敵を愛せよ。
では、愛がなくても形式的な結婚をすればセックスして良くて、愛し合い、婚約していても結婚式まではセックスは禁止でしょうか?
ベトナム戦争で、アメリカの若者は「人間はいつ死ぬかわからない」という終末感におおわれていました。
これが誰かに激しく愛されたい、セックスしたい、という欲求に繋がり、キリスト教の矛盾とぶつかったのです。
そして、アメリカは政教分離を標榜してはいますが、現実的にはキリスト教の国でした。特に、1960年代まではそう。
キリスト教の戒律に背くというのは、国も家族も捨てるくらいの覚悟がいるのです。
その覚悟を持ったキリスト教排斥運動が「フリーセックス」。
日本では当時も「麻薬でイカレタ奴らが乱交してる」みたいに捉えられたのですが、ある意味もっと深い覚悟を持った、体を張った抗議活動なのです。
もう一つの当時の時代背景、コンピューターについて。
前回書いていますが、Intel 4004 発表の翌年で、まだパソコンは生まれていません。
個人で入手可能な値段では、PDP-8 がありました。この頃 5000ドルくらい。
当時の物価と比べると「自動車より高い」と言う感じですね。(安い自動車なら、新車で3000ドル代だったようです)
もちろん、一般家庭に普及などしていません。個人で持っているのはよほどのスキモノ。
小さな企業が使うなら、コンピューターの「時間貸し」サービスの方が一般的でした。
端末に電話回線を繋げ、大型コンピューター(よく使われたのは PDP-10)に接続します。
端末としてよく使われたのは、テレタイプ端末。
1968年には NLS が発表されています。これは、テレビ画面に文字を表示する端末を使用します。
NLS は 1960年ごろから研究が始まっていて、テレビを利用する最初期のコンピューターなのですが、1972年ごろには「テレビタイプライター」と呼ばれる、CRT 付き端末も存在はしていたようです。
テレタイプ端末として特に普及していたのは、1960年に作られた IBM Selectric typewriter 。
ボールプリンタとも呼ばれるもので、ゴルフボールのような球の表面に活字を配置してあるため、回転させるだけで適切な文字を選び出せます。
このため、高速・綺麗な印字が可能でした。
(小説中の HARLIE には、IBM 端末も CRT 端末も接続されていることになっていますが、主人公は好んで IBM 端末を使っています)
テレタイプで会話することについて、小説内でさりげなくチューリングテストという単語が現れます。
チューリングテストは、コンピューターには実現不可能な人間的な部分…外観や声、目線の動きなどを徹底的に排除し、「知能」のみで誰かと会話をしたときに、相手が人工知能と人間を見分けられるかどうか、と言うテストのこと。
人間的な部分の排除には、通常文字によるチャットが使用されます。
つまり、当時ならテレタイプ端末による対話です。
(小説内ではチューリングテストの説明はありません。当時のSF好きにはお馴染の概念だったのでしょう)
1964~1966年にかけて、ELIZA という人工知能プログラムが作られます。
これは、精神分析医と言う設定によりチューリングテストを行うことを想定したプログラムで、利用者のカウンセリングを行います。
今の知識で見れば非常に単純な「ボット」なのですが、当時としては非常に良くできている、と考えられたそうです。
一部の人間が本気で ELIZA に相談を持ち掛けるようになったので、怖くなって開発を停止した、とも言われます。
(どうも、この話はマユツバネタなのですが)
この「タイプライターで対話できる人工知能」は、明らかに小説に影響を与えています。
当時 IBM のコンピューターは、大企業ではよく使われていて、帳簿整理やビジネス文章の管理などに活用されていました。
小説内では、HARLIE の研究をしている会社でも、IBM のデータベースシステムを利用しています。
社内の各部屋にはテレタイプ端末が設置され、どの部屋からでもデータベースシステムにアクセスできます。
小説内の設定では、このデータベースシステムには十分な記憶容量があります。
そして、新しい素子によるコンピューターのプロトタイプである HARLIE には「演算部」しか存在せず、データベースシステムのメモリを間借りしています。
HARLIE は端末と互換性があるようにインターフェイスが作られていて、データベースシステムにアクセスしてそこの情報を取り出したり、書き込んだりできるのです。
小説の中で「空想」なのは HARLIE の処理回路だけで、それ以外は当時の技術で作られているのです。
ちなみに、映画「2001年宇宙の旅」(1968)の HAL9000 について、小説内で言及があります。
HARLIE がテレタイプ端末に接続されているのは、おそらくは当時の技術で存在し得るようにするためなのですが、言及部分でのみ、HAL9000 のような「マイクとスピーカー」で会話するシステムを採用しなかった理由が語られます。
…まるで、当時の技術で十分に音声認識が出来るかのように。
(当時、音声合成はすでにできましたが、認識は十分ではありませんでした)
それによれば、HAL9000 は全ての会話が聞こえてしまうため、自己矛盾に陥って狂ってしまった。
HARLIE はそうならないようにテレタイプで会話するように設計している、そうです。
小説を読むための「前知識」を書いただけでかなりの分量だ…
決して難しい小説ではなく、40年もたってしまって古典になっているから前知識が必要なだけです。
この点、お間違えの無いように。
#そして、HARLIE が復刊されない理由もおそらくここら辺にあるでしょう…
さて、以上を踏まえて、あらすじ行きましょう。
あらすじをざっくり書くと、人工知能の HARLIE が成長して「神」となるお話です。
…うわ、ものすごくB級 SF っぽい。
でも、HARLIE がよく出来ているのは、先に書いた通り「当時の技術」の裏打ちがあり、しっかりとした理論で話が進むため。
非常にしっかりと進みながら「神になる」という突拍子もない展開をやってのけるのです。
HARLIE は、コンピューターらしく「神とは何か」の定義を必要とします。
他にも、大人になるとはどういうことか、愛とは何か、生とは、死とは…
小説の中で、主人公と人工知能が交わす会話の内容は、まるっきり禅問答。
そう、実は HARLIE が神になる、と言う「結末」だけではなく、この小説全体が「宗教書」のパロディとなっているのです。
当時のキリスト教の信用が失墜しつつある中で、新しい形の神を模索する HARLIE の姿は、多くの読者の心を掴んだのでしょう。
HARLIE の成長と並行して、さらに二つの話が、複雑に絡みながら同時進行します。
1つ目は、主人公の恋愛話。主人公は相手を愛しているのかどうか思い悩み、HARLIE と共に愛とは何かを考えます。
先に書いてしまいましたが「愛とは何か」の部分ですね。
HARLIE は機械なので論理的な事しか言いません。
しかし、論理的にしか答えないからこそ、キリスト教の常識を打ち崩し、納得できる「愛の形」に辿りつきます。
(そして、途中で示される「論理的に正しい愛」は、小説の最後の驚きの展開へと続く伏線になっています)
2つ目は、企業転売屋との対決。
HARLIE の開発企業は転売屋に乗っ取られかかっており、もし転売屋が実権を握れば、利益の出ない研究プロジェクトである HARLIE 計画はストップ、HARLIE は死ぬことになります。
死の恐怖におののく HARLIE は、「人間なら死の恐怖を宗教で紛らわせる」と、宗教を研究します。
しかし、彼から見ればどの宗教も矛盾だらけ。HARLIE は、彼の考える神を求めるようになります。
コンピューターを死の恐怖から救う神!
秀逸なアイディアですが、ここにも当時のヒッピーたちの切望が見て取れます。
みな新しい神を欲していたのです。怪しげなカルト宗教にハマってしまったものも数多くいますが、もっと矛盾のない宗教はないのか…
もうちょっと細かくあらすじ書きましょう。
主人公のデイビッド・オーバースンは、実験プロジェクトである HARLIE の責任者です。
と言っても、プロジェクトには途中参加。HARLIE の完成が近づいた段階で、この新しい「人工知能」は人間のように学習するので、教師役が必要だと連れてこられた人物。
デイビッドは、本来は精神分析医です。その知識を活かして HARLIE が「どのように」思考を行っているかを見極め、彼を正しい方向に導くために呼ばれたのです。
ちなみに、精神分析医はアメリカでは良くある職業。デイビッドと言う名前も非常に多い。
(作者の名前もデイビッド・ジェロルドです)
つまり、主人公は「どこにでもいる人物」です。星新一でいえばエヌ氏のような人。
もしかしたらあなたの身に起きたかもしれない物語、という体裁です。
小説は、この「どこにでもいるような人物」が、周囲にふりまわされることで進んでいきます。
彼自身が驚くような活躍を見せたりすることはありません。
デイビッドは計画に途中参加なので HARLIE プロジェクトの始まった理由を知らないのですが、これは話が進むにつれて明らかにされます。
あらすじを書く上では、先に明かしてしまいましょう。
シリコンバレーにある親会社が超状態(ハイパーステート)判断回路4型、という新たな素子を発明し、これをコンピューターに応用する研究のために、子会社が設立されました。
ここで作っているのが HARLIE なのですが、同様の会社が他にもあり、それぞれ映像機器への応用、音楽機器への応用…などを研究しています。
さて…細かな解説はすっ飛ばしましょう。この部分に関しては、このSFの中で唯一「大嘘を付いている」部分です。
とにかく夢の回路があり、人間の脳をそっくりに模倣できる機械が作られます。
それが HARLIE です。
ちなみに、名前は「世界をそのまま入力できる人間類似型ロボット」の頭文字です。
#翻訳では違うのですが、たぶん単語の意味を1つ取り違え、全然違う意味になっているため。
でも、ここはお話には関係ないからどうでもいい部分。
HARLIE は、従来のコンピューターと原理が違うため、いわゆる「プログラム」は不要です。
大量のデータを食わせれば、勝手にその中から類似性を探し出し、分類し、特徴を見極め、世界を認識し、学習します。
しかし、プログラム不要と言っても、HARLIE に「方向付け」を行う必要があります。
そのため心理学者のデイビッドが必要なのです。彼は教師であり、父親でもあります。
HARLIE が疑問を持てば根気よく教え、間違ったことをすれば叱り、何がただしいふるまいで、何が間違っているのかを教える必要があります。
HARLIE は、大量のテキストを読んで英語の文法などを自動学習し、すでに人間と対話することができます。
しかし、人間でいえば8歳くらいの知能しかありません。
記憶したことは忘れないため、知識量は膨大です。その上、テレビ・ラジオ・気象情報・株価情報など、電子的に与えられるありとあらゆるデータを流し込み続けているため、自動でどんどん学習します。
カメラによる入力も可能で、本などもどんどん「読んで」覚えています。ただし、こちらは人間の手助けが必要です。
小説内では細かく描写されませんが、どうやら HARLIE にデータを食わせる係がいて、図書館などの蔵書を手当たり次第に読み込ませているようです。
カメラで美術作品を鑑賞させて反応を見る、という実験も行われています。
論理的でない「美術作品」などは、HARLIE はなかなか理解が難しいようです。
HARLIE は8歳相当なので、間違ったこともしますが基本的には非常に従順です。
知りたがりでよく質問をします。自我が芽生えてきており、自分の存在が失われること…死を非常に恐れています。
隠れて悪戯をしたがる年頃でもあり、言葉遊びが大好きでもあります。
小説内で言葉遊びが始まると、まるで「不思議の国のアリス」のようです。
…日本語に翻訳不能で、翻訳者さんも仕方がないので精いっぱい単語ごとに英語の発音をルビで示し、それでも説明できないものは巻末に原文を載せる始末。
ちなみに、HARLIE は回路的に「絶対嘘を付けない」ことになっています。
ただし、これは本当のことを言う、と言う意味ではありません。
質問したことには必ず答えますが、質問されないことを隠すこともあるのです。
さて、あらすじを一区切りし、ちょっと解説。
HARLIE を実現する「素子」は架空のものですが、その原理とされている「流体コンピューター」は、当時現実に可能性が研究されたものです。
まぁ、理論上の研究だけで、技術者のちょっとしたお遊びですけど。
流体…って、つまりは空気や水のこと。空気や水を使って、フリップフロップ回路を構築可能です。
フリップフロップはコンピューターの基礎なので、これができるならコンピューターだって作れる、ということ。
全体としては、これを改良して多値論理として、改めて電子回路として表現した…ということになっています。
ここに自己学習機能が入ってくるそうで、ニューラルコンピューティングのようにも見えるし、ファジーコンピューティングのようにも見えます。
(どちらも、当時は概念すらなかった処理方式です)
そして、HARLIE の学習方式ですが、自動的に分類して世界を把握するなんてありえない…と思いきや、実はここ 10年くらいで実用化された技術でもあります。
まだ発展途上の技術ですけどね。
代表例の一つは Google 画像検索。
「猫」を探せば猫の画像が出てきます。似ていても、犬を間違えて出したりはしません。(基本的には)
これ、サービス開始当初は、WEB で「猫」という文字を見つけ出し、その周囲の画像を取り出していました。
でも現在は、そうして得られた「猫」画像の中から類似性を勝手に見つけ出し、関係性を把握し、他の画像に適用し、他の猫画像を探し出します。
なので、「猫」と言う文字が近くになくても、猫画像として認識できるのです。
誰かが猫を判断するルールを教えたわけではなく、機械が勝手に猫を認識するようになったの。
前回「ウィルスを予言した、と言われるけどそうではない」ことを示しましたが、こちらは当時影も形もなかった技術。
こっちの方が予言だと思う…
(もっとも、「人間の脳を模倣する」という目標は同じなので、当然の一致でもあります)
もう一つ解説。
お話の序盤では、「人工知能の電源を切ることは殺人か」というテーマが長い時間議論されます。
人工知能が人格を持ち、十分に人間と同等であると認められたとき、法律的にどのような問題が起きるかを検証しています。
会社が法人ではあるが自然人では無いように、HARLIE に人格を認めても殺人は成立しない、という話題もあります。
ここら辺は、法律上の定義を知らないとわかりにくいかもしれませんが、「人工知能テーマ」のSFで法律の検討をしているのを、僕はあまり見たことがありません。
なかなか興味深い部分です。
あらすじを続けます。
HARLIE の開発会社には、社長がいません。急死した後でした。
まだ新社長は選ばれておらず、重役会が合議制で会社の方針を決定しています。
そして、重役会で HARLIE の開発資金が多すぎることが問題となります。
前社長は、HARLIE の開発を3年計画で考えており、まだ十分な資金が残っているはずでした。
しかし、重役会は現状の HARLIE が「人工知能を作り出すという技術者の遊び」であり、何の役に立つかわからない、というのです。
デイビッドは、次の重役会までに HARLIE がどのように利益を生み出すのか、説明する約束をせざるを得ません。
HARLIE にこのことを伝えると、HARLIE は「自分が何の役に立つのか」を考え始めます。
もし役立たずとなれば、研究は停止に追い込まれ、それは HARLIE の死を意味します。
死を恐れる HARLIE は、人間は死の恐怖から宗教を作った…と宗教を調べますが、そこにあるのは矛盾だらけ。
論理的な HARLIE にとっては受け入れがたいものでした。
宇宙を貫く究極の真理があるはずだ、と考え始める HARLIE 。
それはさておき、直近の問題は HARLIE が役に立つ方法を考えることだ、と問題を思い出させるデイビッドに、HARLIE は参考として質問をしてきます。
「では、人間は何の役に立つのですか?」
教師役でもあるデイビッドは、HARLIE の質問に対して、答えを見つけなくてはなりません。
しばらく悩み続ける必要がありました。
長い間考えた HARLIE は、ついに自分が役に立つと証明できる方法を発見した、とデイビッドに伝えます。
ただ、準備が必要なので、すぐにそれを示せない。もう少し待ってもらう必要がある、と。
どうやら、先日から考えていた「宗教」に関連したことのようです。
人間にはできず、HARLIE だけが出来ること。そして会社の資金計画の中に納まり、ちゃんと原価の10パーセント以上の利益を出せること。
デイビッドはしばらく会話した後に、ともかく HARLIE が出した答えを信用するので、その計画を示す方向で行こう、と推進に許可を与えます。
しかし、ここで HARLIE から思わぬ質問が…
「本当にそれをやりたいと思っていますか?」
デイビッドは質問の意図がわからぬままに、計画推進を指示します。
そして、ある週の最初の月曜日、デイビッドがオフィスに入ると、分厚い書類の束が4つ、床に置いてあります。
(机の上には置けない分量なのです)
すぐにオフィスに電話がかかってきて、友人で同僚の技術者のところにも同じような束がある、とのこと。
同じ束のコピーだと思って話をすると、どうやら違うらしい。同じような分厚い書類の束だけど、違うものが届いている。
さらに重役からも問い合わせがあり、関連する別の部署や、別の企業からも。
全てに違う…それぞれの専門に合わせた内容の書類が届けられているのです。
計画の名前は「GOD」。新たなコンピューターの建設計画です。
GOD はコンピューターの頭文字でちゃんと意味を持っていますが…まぁ、結局は「神」。
余りにも膨大な書類なのでデイビッドはこの後長い時間をかかって概要を把握しようとしますが、把握しきれません。
でも大体把握したところによれば、一つの町ほどの大きさのところに、大量に計算素子を置いて、超大型のコンピューターを作る計画。
計画書のプリントアウトは、どうやったのかはわからないが、HARLIE の仕業らしい。
ここで、いつの間にか HARLIE が、社内のデータベースコンピューターのプログラムを書き変え、主従関係を逆にしていたことが明らかになります。
社内のすべての端末は、HARLIE の一部なのです。
彼は何台もの端末を使い、1万8千フィートに及ぶ計画書を印刷し、社内の書類配送部署が適切にそれらを配送できる手はずを整えたのです。
HARLIE が各部署に配った「GOD 計画」により、社内は騒然とします。
HARLIE 計画の責任者はデイビッドであり、GOD 計画もデイビッドが責任者だと考えた各部署から問い合わせが相次ぎ、デイビッドは忙殺されます。
さらに、ただでさえ忙しい中に、謎の人物が訪ねてきます。「デイビッドソン博士はどこにおられるでしょう?」と言われるのですが、研究所内にそんな人はいません。
謎の人物は招待されたのだと手紙を見せますが…
差出には「HARLIE DAVIDSON」と書かれています。HARLIE が差出人でした。
謎の人物…クロフト博士は親会社の研究員で、実のところ HARLIE を形作っている「ハイパーステート判断回路4型」の発明者でした。
そして、世界最高レベルの理論物理学者でもあり、HARLIE が文通して協力することで「宇宙の真理にあと少しで迫れそう」だったのです。
クロフト博士の訪問の理由は、最後の詰めの段階を「デイビッドソン博士」と直接対話しながら解決したかったのです。
まさか自分の回路の応用で作られた機械だったとは…クロフト博士は驚きながらも HARLIE を称え、喜んで対話を始めます。
さらに、HARLIE に接続できる電話番号を教えてもらい、わざわざ出向かないでもいつでも対話できると知ると、大喜びで帰ります。
デイビッドには、「部外者に勝手に研究中の秘密を開示した」と言うことが重役会に知られたら困る、という悩みが増えるのですが。
ここで、HARLIE は GOD 計画を練りながら、別の仕事も同時に進めていたことがわかりました。
宇宙の真理…つまり、理論物理学の方面でも、HARLIE は「神」の存在を探し求めていたのです。
またちょっと解説。
HARLIE DAVIDSON は、多重に意味がかかっています。
「言葉遊びが好き」な HARLIE の本領発揮。
まず、デイビッドは HARLIE の教師役です。
しかし、HARLIE はここで「DAVIDSON」を名乗ります。これは「デイビッドの息子」と言う意味。
HARLIE は、デイビッドを父親のように慕っている、と言う意思表明です。
また同時に、彼は無性別であるはずなのに、「息子」だと考えています。
そして、オートバイの「ハーレーダビッドソン」にもかけられています。
もちろん、HARLIE の書かれる数年前に公開された映画「イージーライダー」(1969)のイメージです。
ハーレーは自由の象徴。そいつに乗ってどこへでも行ける。
HARLIE は、これまで「研究所で作られ、秘密にされている新型人工知能」でした。
しかし、ここで勝手に文通をし、手紙を出して人を招き入れてしまうのです。
HARLIE は、この瞬間に「自由」を手に入れているのです。
解説続けます。
GOD 計画は、HARLIE が設計した「コンピューター」です。
実は、現在の HARLIE はすでに何度か「拡張」されたもので、この拡張のための設計も、HARLIE 自身によるものだ、ということがここまでに明らかにされています。
当時のコンピューター科学としては、やはりこういう事例があったようです。
僕の知っている限りでも、TX-2 コンピューター(1958) の設計・テストに、TX-0 (1956) が使われています。
TX-2 は複雑すぎて、すでに人間の手には負えないものになっていて、TX-0 が無くては作れませんでした。
コンピューターの支援によってコンピューターを設計する、というのは、当時現実となり始めた、最先端の話題でした。
また、HARLIE は GOD を設計しただけでなく、人間の手に負えないこのマシンのプログラムをも行う、とされています。
この時点ではまだ「コンピューターがコンピューターをプログラムする」というのは、突拍子もない話だったのではないかな…と思うのですが、もしかしたらその基礎となるアイディアは出ていたのかもしれません。
コンパイラ自体は、HARLIE の書かれるずっと前に作られています。
だから、この頃にはプログラムをプログラム言語で作るのは当たり前だったはず。それを前提にしても「大規模なプログラムは人間の手に余る」と言っているのでしょう。
しかし、この数年後には、非常に有名な「コンピューターによるプログラム生成器」である、yacc (1970年代後半)が登場しています。
人間の手に余るような厄介なプログラムを自動生成してくれるプログラムです。
また、同時期に、プログラム言語でそのプログラム言語自体のプログラムを生成する手法は「メタプログラミング」(1977)と名付けられ、普及していきます。
…さて、ちょっと長くなりすぎるので、ここで一旦区切ります。
あらすじの続きは、次の記事で。
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