今日はインドの祝日、「エンジニアの日」。
インドで多くのダムを作ったエンジニア、Sir Mokshagundam Visvesvaraya (…読めない。モッシャンダム・ヴィスヴェスバラーヤ、でいいのかな?)の誕生日にちなんで制定されました。
なんでインドの祝日の話なんて出すのかって?
世界中で「エンジニアの日」が制定されているのに、日本にはないからですよ!
エンジニアって、国の知的生産力を支える非常に重要な存在です。
だから、多くの国で、祝日にまではなってないにせよ、エンジニアを称える日を制定しています。
先日、ロシアの「プログラマーの日」だと書いたけど、ロシアはエンジニア関係をものすごく讃えていて、宇宙飛行士の日もあるし、宇宙飛行士を称える壁画(レリーフ)も公式に作っています。
このレリーフの中には、宇宙飛行士だけでなく、科学者やロケットの設計技師、プログラマーなど、多くの技術者の姿も描かれている。ロシアでは、技術者は讃えられているのです。
アメリカでは「フリーメイソン」って組織があって、ムー的には悪の秘密結社だったりするけど、もともとは石工組合から起こって、エンジニア一般の組合になったものだとされてます。
シンボルの1つは、コンパスと直角定規で、エンジニアであることを意味するものです。
中世においては、エンジニアは尊敬され、特別な地位を持っていました。
だから職業組合が発達して、政治にまで影響力を及ぼすようになったのです。
(ムー的に悪の秘密結社なのはこのためで、フリーメイソンが政治を動かして歴史を闇で動かしていると…)
そんなわけで、世界中でエンジニアは称えられるのだけど、日本ではエンジニアって軽んじられる存在。
社会基盤を支え、日常生活を守ってくれているのに、大抵は給料も安くて仕事もきつい。
エンジニアになりたい、なんて人はどんどん減っています。
そして、それは生活を脅かす事態でしかないのに、多くの人はそのことに気付いていません。
なぜなら、エンジニアは軽んじられているから。
彼らが社会を支えていることは気づかれておらず、いなくなっても問題はない、くらいにしか認識されていない。
もちろん、エンジニアの重要性をわかっている会社はありますよ。
ものづくりをしている会社は、エンジニアがいないと商品が開発できない。
そういう会社はエンジニアを大切にしている。
それでも…そういう会社ですらも、エンジニアはあまり日の目を見ることが無い。
なぜ日の目を見ないかと言うと、技術上の苦労話をしても、誰も興味を持たないから。
ここでも、「会社内」では大切にしていても、「世間一般」との常識の乖離により、エンジニアは称えられることが少ないのです。
エンジニアが重要である、というのは、心ある一部の会社や組織内だけでの認識で、世の大多数にとってエンジニアなんて興味の対象外なのです。
インドでは、カースト制があります。
仕事は世襲制で、子供は親の仕事を受け継ぐか、もっとカーストの「下位の」仕事をするしかない。
これ、悪いように言われますが、昔から続く生活の知恵でもあります。
インドは昔から非常に人口が多かったので、皆で仕事をわけあわないと、失業して死者が出た。
だから、仕事を細分化し、自分の仕事以外は「やってはならない」ことにして、みんなに仕事が回るようにしたのです。
そして、無用な競争を避けるため、ある種の仕事をする人が急に増えたりしないようにしたのです。
このカースト制にはちょっとしたトリックがありまして、今までになかった新しい仕事と言うのは、カーストの「最下層の仕事」とされます。
それがどんなに重要な、金を生む仕事であってもです。
エンジニアも比較的新しい仕事のため、カーストの最下層の仕事。
でも、重要技術なので非常に金を生みます。国力を上げ、国民全員を幸せにする仕事でもあります。
だから、インドは貧困層に対し、エンジニアになるための教育を熱心に行っています。
優れたエンジニアになることは貧困から抜け出すチャンスでもありますし、優れたエンジニアはみんなのあこがれでもあり、尊敬されるのです。
カーストと言うのは宗教上の物であって、経済上の「儲け」や、民衆の「尊敬」とは別物。
ここが非常に良くできていて、カースト最上位の王様はもちろんお金持ちで尊敬されますが、カースト最下位のエンジニアも、優れていれば金持ちで尊敬される存在になれるのです。
そして、優れた技術を持ち、国民を幸せにしたエンジニア…Sir Mokshagundam Visvesvaraya は、王からも尊敬されるような人物でした。
だから、誕生日が祝日とされたのです。
インドでは、映画スターもカースト最下位の仕事ですね。
インドでは映画産業が盛んで、時々世界的に有名になる映画が出るのは皆さんご存知の通り。
翻って日本。
最初に書いたように、エンジニアは軽んじられています。
というか、エンジニアに必要な「論理思考」自体が軽んじられている雰囲気がある。
必要なのは、理系の知識「ではなく」、論理的な思考ができるかどうか。
でも、今の日本では、論理的な思考を展開する人は、めんどくさい人であり、ウザイ奴であり、疎んじられます。
もっと軽い、直情型の人の方が注目を浴びやすい。
それが悪い、と言うのではないですよ。多様性は重要なことです。直情型の人材はみんなを牽引する力を発揮します。
世にとって重要な人材であることは間違いありません。
ただ、そうした人材が注目を浴びることと、その逆のタイプが疎んじられることは別問題。
違うタイプは車輪の両輪ですから、逆のタイプにももっと注目が集まらないといけない。
まぁ、わかっている人はわかっていて、この傾向は1980年代ごろから起こり始めたのですが、1990年ごろには「将来のエンジニアを育てなくては」と言う動きは各所で始まっています。
2008年から始まった「未来技術遺産」登録の制度なんかも、もっとエンジニアリングの重要性を伝えていこうという意図があるし。
取り組みは数多いので、徐々にでも変わってくれればよいかと思います。
この文章を読んだ人が、少しでも「技術者のお仕事」に興味を持ってくれれば…いや、興味を持たないでもいい。町工場で油まみれで機械作っている人を「実はすごいのかも」って思ってもらえるだけでも、世を変える一歩となるでしょう。
蛇足1。
長い文章を書いていると、すぐに盛り込めない話題が出てしまいます (^^;
文章下手でスミマセンが、蛇足の追記。
アメリカでは「国民全員がコンピュータープログラムを出来るようにしよう」という政策で盛り上がっています。
一方、国内では職業プログラマーであっても「そんなこと、できるわけないじゃん」と言う反応。
まぁ、職業プログラマだからこそ、プログラムの難しさを知っていますからね。
でも、ちょっと誤解がある。
「全員がプログラムできるように」というのは、本当にコンピューター言語を使いこなせるようにすることが目的ではなくて、論理的な思考力を身につけさせよう、と言う意味合いです。
論理的な思考能力を身に着ける一番手っ取り早い方法は、自分でプログラムをしてみること。
人間相手に教えてもらっていたら時間の制限などもありますけど、コンピューターはあなたがどんなにエラーを出しても、根気よく付き合ってくれます。
あなたも投げ出さないでやり続ける必要がありますけど。
そして、見事に思い通りに動けば、それが正解だと瞬時にわかります。
別の方法でも論理的な思考力は養えるけど、「プログラムが作れるように」というのは、わかりやすいし、誰もが試しやすい方法ではあるのです。
蛇足2。
「ジョブズみたいな人材が現れない」と嘆く人が多いけど、実は必要なのはウォズだ、と言う話でもあります。
ジョブズはウォズが支えたから最初の成功を得て、その後の仕事に繋がったのですよ。
優れたエンジニアがいないと、優れたアイディアは世に出ないのです。
#日本には、優等生的に「優れた」エンジニアは多数いますが、ウォズみたいな変態(褒め言葉)レベルはあまりいないように思います。
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