今日はスティーブ・ウォズニアックの誕生日(1950)。
いわずとしれた、Apple 創業者3人の1人ですね。
創業者と言っても、ウォズは一山当てようなんて気持ちは全くなく、安定した生活を望んでいた人でした。
当時はヒューレットパッカードの技術者で、その仕事を気に入っていました。会社を辞めて、失敗するかもしれない道に踏み出そうとは全く思ってなかった。
その一方、「二人のスティーブ」のもう片方であるジョブズは、コンピューターは金になりそうだと思ってました。
でも、ジョブズは金になりそうだ、という気持ちはあるけど、ウォズのような技術力は無い。
そこで、強烈にウォズを巻き込もうと画策します。
会社を辞めたくないウォズを散々説得し、ついには会社を辞めさせるのです。
話を、アップル創業より少し昔に戻しましょう。
ジョブズも、ウォズほどの技術力を持っていない、というだけで技術がわからないわけではありません。
彼らはホームブリュー・コンピュータークラブで知り合った友達でした。
ある時、ジョブズがATARI 社から仕事を貰います。
その頃 ATARI が売り出そうとしていた新ゲーム「ブレイクアウト」を、量産前に部品点数を減らし、安く作れるように改良する仕事でした。
ジョブズはこの仕事をウォズに丸投げし、ウォズは、この仕事を「やりすぎ」るほどやっています。
確かに劇的に部品点数は減ったのですが、その手腕が巧みすぎて、誰も論理を理解できないような回路が出来上がったのです。
これでは、何かあった際に改良することもできません。「もう少し回路を冗長にするように」という不本意な依頼を受け、再設計しています。
それでも、ブレイクアウトは発売されて大ヒット。
(日本に輸入された際に「ブロック崩し」と呼ばれるゲームです。画面上部に並ぶすべての物を消したら1面クリア、という概念は、後にインベーダーゲームを生み出すことになります)
ジョブズはアタリ社から 5000ドルの報酬をもらったようなのですが、ウォズには「あまりもらえなかった」と言って、「半分づつ山分け」と称して 350ドル渡しています。
…なんて友達思いのいい奴でしょう!
アップル社の前に、すでに「Apple I」があります。
これは、ヒューレットパッカードに在籍しながら設計し、ヒューレットパッカードに売り込んで断られ、ATARI に売り込んで断られた機械です。
この Apple I という機械がとにかく変わっていて、なんと 6502 なんていう、誰も知らないような CPU を使用していました。
ホームブリュー・コンピュータークラブではみんな 8080 を使っていて、8080 用のソフトは多数ありました。
でも、6502 を使ったのはウォズくらい。だから、ウォズは Apple I ようの BASIC からなにから、全部一人で作る必要がありました。
本当はウォズは、PDP-11 をベースにして 8bit として作られた、モトローラの 6800 を使いたかったのです。
命令セットが非常に美しく、技術者なら憧れる石(LSI)でした。
でも、エレクトロニクス製品の見本市で、6502 を見つけたんです。
6800 と似ているけど「なくてもいい便利な命令」をそぎ落としたような構造。
ちょっと命令が減って、ちょっとレジスタ幅が小さくなっただけで、値段はなんと7分の1でした。
それで、ウォズはこの CPU を使うことにして、あっという間に BASIC を自分で書きあげたんです。
回路設計もソフト作成も出来る、ウォズでないと選ばなかった選択肢でした。
誰も Apple I を販売ルートに乗せてくれないので、ジョブズは自分たちでやろうと考えました。
アタリ社のセールスマンだったロン・ウェインを加え、3人で「アップル・コンピューター」を設立します。
ただし、この時点では任意団体としての会社で、正式に法人化はしていません。
ウォズはヒューレットパッカードに在籍していて、「サイドビジネス」として参加しています。
Apple I の原価はおよそ220ドルで、ウォズは 300ドル程度で売れればよい、と考えていました。
でも、ジョブズは金儲けがしたかったので、卸価格を2倍と考え、小売店のマージンを 1/3 と考えます。
すると、およそ 660 ドル。数字のインパクトを求めて、666.66 ドルで販売することにします。
…これが思わぬ事態を引き起こします。
このころ、恐怖映画「オーメン」が封切りされ、獣の数字 666 というのがちょっとしたブームとなりました。
そして、Apple 社は「獣の数字で得体のしれない機械を売っている」と、苦情の電話が絶えずかかってくるようになったのです。
ジョブズは、これに対し「神聖な数字 777.77 と 111.11 の片方から、もう片方を引いたものだ!」と怒鳴り続けていたそうです。
#666 が獣の数字だ、というのは新約聖書の「ヨハネの黙示録」に書かれているのですが、意味はよくわかっていません。
何言ってるのかわからないから、みんなが意味をこじつけて好きなように解釈しているだけです。
777 と 111 が神聖だ、というのは多分ジョブズがでっちあげただけだけ。777 はスロットマシン的には大当たりですね(笑)
大儲け、というほどではありませんが、Apple I はそれなりに売れました。
ロン・ウェインはこの時点で期待外れだったと去り、代わりにマイク・マークラが参加します。
そして、その3人で法人化を行います。
ウォズも、ジョブズに説得されて会社を辞め、アップル社の後継製品作りに専念します。
ウォズは社員番号1番でした。「ジョブズが1番だと、調子に乗るから」がその理由。ジョブズは2番でした。
でも、自分がウォズより後、ということに納得がいかないジョブズは、後に自分の社員番号を「0番」にしています。
ジョブズは、「拡張性は最小限の、誰でも使えるコンピューター」を主張したそうですが、ウォズは「拡張性にあふれた、スロットが20くらいあるコンピューター」を作ると言い張ります。
結局、スロット8個で決着しますが、この拡張性が、後に他社が参入しても生き残っていけた決め手になりました。
Apple II は、非常に簡素なコンピューターでした。
その簡素さは、ATARI のブレイクアウトを改良した時の、ウォズの手腕を発揮したものです。
貧弱なのではなく、豪華なのに簡素なのです。
カラーが出るにも関わらず、メモリは白黒ビットマップ程度しか持っていません。
アナログジョイスティックが使えるにもかかわらず、特別な回路はもたずに、デジタル回路で処理します。
自由な音階を出せるのに、音を発生する回路はありません。
たった 8K の ROMには、BASIC とアセンブラと機械語モニタ、それに 16bit CPU エミュレーターまで持っています。
#もっとも、6502 は 16bit 演算が苦手なのでエミュレータを作り、BASIC は処理の一部を 16bit CPU として書くことでコードサイズを圧縮しています。
なので、コンパクトな代わりに速度は犠牲になっています。
後に発売されたディスクドライブも、普通なら必ず持つ「フロッピーディスクコントローラー」や、「現在のヘッド位置を知るためのセンサー」などを省略して安くするなど、Apple II は徹底して「簡素」なコンピューターでした。
Apple II はアメリカの 8bit パソコンを制し、一時代を築きました。
大きくなった Apple 社も、売り上げのほとんどを Apple II に頼っていました。
しかし、Apple II はジョブズとウォズの主張の折衷案として作られた妥協の産物でした。
…いや、実際にはウォズが好きなように作ったので、妥協したのは拡張スロットの数くらい。
ジョブズは「自分の考えるコンピューター」が作りたくて仕方がありません。
Lisa プロジェクトを開始します。
この時、Lisa は「16bit」「ディスプレイとディスクドライブを内蔵している」「キーボードはセパレート」「白黒グラフィック」「拡張性を無くして万人にわかりやすくする」というコンセプトを持つ…ごく普通のコンピューターでした。
この後、社を挙げて Apple III の開発が始まります。ディスクドライブと、一体的なデザインを持つ専用ディスプレイを持ち、Apple II の上位互換機でした。
ただ、経営陣が「他社に負けない機能」を求めたために仕様が肥大化しており、開発は難航します。事実、互換性は一部犠牲にされ、設計にも問題があり、後に大失敗となります。
ウォズはこの設計には一切参加していません。
さらに同じ頃、ジェフ・ラスキンも、当時の社長であったマイク・マークラの許可を得て「マッキントッシュ」プロジェクトを開始します。
16bit で、ディスプレイとディスクドライブを内蔵し、取り外し可能なキーボードをディスプレイカバーにして持ち運ぶことができる、白黒グラフィックの、拡張性の無いマシンでした。
マッキントッシュとは、姫リンゴのようなリンゴの品種。「小さくコンパクトに納める」ことが重要なコンセプトでした。
Apple II よりも安い価格を目指します。
ウォズは、こちらの「コンパクト化」には共感したようで、部分的に設計を手伝ったりしています。
Lisa とマッキントッシュは、コンセプトがかぶっていました。
そこでジョブズは、このプロジェクトをつぶしにかかります。
しかし、ラスキンもジョブズに負けず劣らずの頑固者で変人。簡単には圧力に屈しません。
その後、ジョブズはパロアルトを訪れ、Alto を知ります。
そして、「なぜ Xerox はこれを商品化しないのか? 商品化する気が無いならアップルがやる!」と宣言し、Lisa のコンセプトを「Alto の実現」方向に大きく変えます。
#Xerox は非常に優れたコンピューターを作りましたが「これが実現されたらオフィスから紙が不要となり、主力商品であるコピー機が売れなくなる」と考えて長い間研究段階に留めていました。
これでコンセプトは「かぶらなく」なったし、当面集中したい作業も出来たので、マッキントッシュプロジェクトは潰されずに済みました。
しかし、Lisa は失敗でした。
ジョブズらしいこだわりが細部まで活かされ、一切妥協せずに作られた素晴らしいマシンは、非常に高価なものだったのです。
Apple II は $1298 でした。ディスクドライブも $595 で追加できました。しかし、Lisa は 1万ドルでした。
余りに売れなかったため、後に8千ドルまで値下げされましたが、やはり売れませんでした。
ジョブズの「こだわりすぎ」が Lisa を売れないマシンにしてしまいました。
ジョブズは Lisa プロジェクトから追放されます。
ジョブズは、先日まで潰そうとしていたマッキントッシュプロジェクトに潜り込みます。
そして、ラスキンを追い出してプロジェクトを自分のものにするのです。
ラスキンはこれに怒り、アップル社を退社しています。
Lisa にかかった「開発費」はLisa プロジェクトの責任です。
マッキントッシュプロジェクトは、Lisa の資産だけを流用し、もっと安くマシンを作ることを目指しました。
今度こそうまくいくはずでした。
マッキントッシュが発表されると、熱狂的に迎え入れられました。
発表後数時間で750万ドル分の予約が入り、大学関係からむこう2年間で3500万ドルの予約が入ったと言います。
#初代Mac の価格は $2495 だったので、3千台の一般予約が入り、1万4千台の大学関係からの予約が入ったことになります。
しかし、実際に出荷が始まるとキャンセルが相次ぎます。
使い始めたユーザーが問題点を指摘しはじめ、購入しようとしていた人たちも考え方を変えるようになったのです。
マッキントッシュは、Lisa に次ぐ失敗作になりました。
にもかかわらず、ジョブズは「これからはマッキントッシュの時代だ。Apple II なんてもう時代遅れで、使っている奴は間抜けだ」と社内で吹聴して回ります。
ウォズは、これに反発するように…しかし表立った抗議もなく、ひっそりとアップル社を去っています。
この頃、アップル社の売り上げのほとんどは、ウォズが作った Apple II が生み出していました。
その後は汎用プログラマブルリモコンを作る会社 CL9 (クラウドナイン)を興しています。
これは、赤外線を利用するリモコン機器に対して、どんな命令でも出せる魔法のリモコン。
日本でもハル研がクロッサムとか作っていましたが、その元祖です。
現在でも「学習リモコン」というのがあるけど、当時は IR 規格(リモコン信号の統一規格)とかなかったので、自由な信号を学習して出せるだけでなく、手順を覚えさせたり出来るのはすごいことでした。
CL9 で作っていたリモコンは、6502 をベースとしたカスタム CPU を使っていたようです。
この会社も後に売却し、小学校の教師を無償でやったり、好きなことをして暮らしているようです。
金儲けにはあまり興味がないそうですが、彼自身アップル社の設立者の一人であり、お金は余るほど持っています。
人々、特に子供が楽しんでくれるのであれば、莫大な額をポンと寄付したりもします。
ジョークが好きで、ジョーク集の本を出したりもしています。「公式コンピュータージョーク集」。
日本語訳が家にあります。…ウォズの本だというので買ってみたけど、中身は結構ベタなアメリカンジョーク集。
(一応、コンピューターにまつわるものを集めたことになっていますが、無理やりなものも多いです。
一部はコンピューターマニアでないと理解できないもので、その部分はさすが)
ユーモア好きで、持っているお金を周囲の人の幸せのために惜しみなく使うその姿勢から、多くの人に慕われています。
彼がお気に入りのジョーク…というか、ネタは、アップルストアで社員割引を使って買い物をすること。
「社員番号は?」と聞かれて「1番」と答えるのが好きなのだとか。
アップル社は退社しているのですが、書類上はまだ社員で、給料ももらっているんだそうです。
余談になりますが、マッキントッシュが売れ始めるのは、ジョブズがマッキントッシュプロジェクトを外されてアップル社を去った後。
変なこだわり方をするジョブズがいなくなり、問題のある個所をやっと「問題だ」と言えるようになったら、すぐに良いコンピューターに改良されました。
ウォズもジョブズもいなくなった Apple の話は、またそのうち。
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