今日はアラン・チューリングの誕生日(1912)。
コンピューターの歴史を少し学ぶと…いや、歴史に踏み込まずとも、コンピューターの世界を少し深く覗き込むと、チューリングの名前がいたるところに出てきます。
先日も、史上はじめて、チューリングテストに合格した人工知能が現れた、というニュースが世界をかけめぐりました。
これはどうやらテスト方法に不備があり、合格とはとても言えないようなお粗末な内容だったようですが…
詳細は後で書きますが、こんな風に現代社会でも、チューリングの名前は時々登場するのです。
チューリングはイギリスに生まれ、子供のころから数学の高い才能を持っており、周囲を感心させています。
大天才でした、などと簡単には書きません。
数学や論理的なこと以外、一般常識などの発達は遅い、いわゆる発達障碍児だったようです。
具体的に言えば、おそらくアスペルガー症候群。
当時はアスペルガー症候群という言葉はありませんし、当然診断されたわけでもないので断定できませんが、まぁ大方そうだろう、と言われています。
蛇足ながら付け加えると、アスペルガー症候群はは発達のバランスが平均値から外れている子供につけられる名称です。
別に何らかの病気ではありませんし、発達バランスの問題なので、大抵は大人になるにしたがって発達が遅れていた部分も発達し、問題は無くなります。
でも、早く発達した部分…チューリングの場合、読み書きや計算能力は大人になるころには常人を超えたレベルになります。
ニュートンもアインシュタインも、大天才とされる人は大抵アスペルガー症候群だったようだ、という指摘があります。
さて、チューリングは大学に進み、高等数学を研究します。
チューリングが大学に進学したその年、数学者を震撼させる恐ろしい論文が発表されます。
ゲーデルの不完全性定理。
1900年に、当時高名な数学者だったヒルベルトが「今後100年で解決すべき23の難題」を数学者に示します。
いずれも難題でしたが、それを解決できればもっと新しい数学分野が開けるだろう、という問題を集めてありました。
それらの難題の中に、人類が過去に構築してきた「数学」が矛盾を持たないことを示せ、というものがありました。
これ、非常に重要です。これまでの人類は、数学を重要な道具として使い、矛盾がないと信じて高等な理論を構築してきました。
しかし、だれも矛盾がないことを確認はしていないのです。もし矛盾があれば、過去に築いた高等理論は砂上の楼閣として崩れ去ります。
しかし、「数学」の枠組みの中で、その「数学」に矛盾がないかを検証するのは、非常に難しいのです。
もし、数学に矛盾があれば、「数学に矛盾はない」という矛盾した結論に至る可能性がありますから。
それでも、数学者たちは、頑張って証明しようとしてきました。
この問題だけでなく、他の22問についても証明に挑む人が多くいました。
たとえ難しくても、数学の問題については必ず証明が与えられるはず、それがこの時代の常識でした。
ところが、です。ゲーデルが1931年に発表した論文は、非常に恐ろしいものだったのです。
その論文に書いてある内容を簡単に言えば、「(まだ証明されていないが)もし数学に矛盾がないのであれば、証明不可能な問題が必ず存在する」ということを、誰の目にも明らかなように、論理的に示してあったのです。
もし数学に矛盾があれば、過去数千年にわたって築き上げた数学は失われます。
しかし、数学に矛盾がなければ、いつか解けると信じていた難題は、永遠に解けないのかもしれません。
どちらに転んでも、数学者には夢も希望もない、という宣告でした。
数学は非常に高度で、人間の知恵の産物だと考えられてきました。
すでに簡単な計算機はありましたが、そんな機械で計算を行えるのはほんの一部だけ。
多くの計算は、やはり人間の手で行わなくては…。そう、夢も希望もなくたって、数学者にはまだまだ仕事があります。
チューリングは1936年に、ゲーデルの不完全性定理を別の手法で示します。
それが「計算可能な数について」と呼ばれる論文です。
ここで、チューリングは「非常に簡単な計算機」を想定します。
一つの計算機は、たいしたことはできませんが、とにかく計算は行えます。
チューリングが想定したこの機械を、チューリングマシンと呼びます。
そして、少しづつ性能の違う、そうした計算機が沢山ある、と想定します。
現実にはあり得ないことですが、無限個の計算機があれば、無限の数を数えることができます。
さて、無限の計算機があり、それによって無限の数が扱えるのであれば、実はたった1台の計算機で無限の数を扱うこともできます。
非常に単純な機能しか持たない「チューリングマシン」をどのように組み合わせれば、たった一台の計算機ですべてをこなす「万能チューリングマシン」を作れるのか、チューリングはそれを明らかにしています。
そして、実は万能チューリングマシンは、すべての機械を統合したような大掛かりなものではなく、非常に簡単な仕組みになってしまうのです。
これによりわかることは、人間にしかできないと考えられていた計算のほとんどは、実は機械でも出来るような単純作業の寄せ集めである、ということでした。
命題を与えられたときに証明を考え出す、という作業も、無限を扱える「万能チューリングマシン」により、無限の時間をかければ得られてしまうのです。
数学者には夢も希望もなく、仕事すらも機械に奪われてしまうようです…
ただ、ここで問題になるのは「無限の時間」を本当にかけられるのか、ということです。
場合によっては、万能チューリングマシンは無限ループにハマり込むことがある、と示されます。
無限ループにはまり込んでしまえば、答えは出ません。
無限の時間がかかってから「ループでした」と気づいても遅いので、できれば動作前に、どの程度の時間で結果が出るのか見積もりたいところです。
しかし、論文中でこれは不可能であることが示されます。
結論としてはこうです。
万能チューリングマシンはあらゆる計算を行うことができ、あらゆる証明を行うこともできます。
しかし、時として無限ループにハマりこみ、無限の時間をかけても結果を出さない場合があります。
そして、その時が来るまで、無限ループにハマるかどうかはわかりません。
これが、「証明不可能な命題」です。手法は違いますが、そのような命題が存在する、という結論はゲーデルと変わりません。
チューリングの論文の中に出てくる「万能チューリングマシン」は、この時点では論理的な考察を行うための道具にすぎませんでした。
しかし、非常に単純な動作を繰り返すことで、ありとあらゆる計算を行うことができる、という可能性が示されたことになります。
この後アメリカに留学したチューリングは、ジョン・フォン・ノイマンと親交を結びます。
ノイマンは後に完成直前の ENIAC を知り、さらには次に作られようとしていた EDVAC の計画を知ります。
EDVAC は万能チューリングマシンのサブセットであると見抜いたノイマンは、このプロジェクトを事実上乗っ取り、後に「ノイマン型コンピューター」(現在のコンピューターの総称)の生みの親として名を残します。
後にチューリングはイギリスに戻り、政府の暗号解読組織に在籍します。
その後第二次世界大戦が勃発し、当時「世界最高レベルの機密保持性能」であった、ドイツ軍のエニグマ暗号の解読に従事します。
当初は構造も不明だったものの、同盟国であるポーランドが入手したエニグマの情報を入手。
ポーランドはこの情報を元に、暗号解読を行う機械を設計していました。
エニグマには癖がありました。
平文と暗号は「絶対に」異なる文字となる、などです。
こうした癖を使って、暗号文のほんの一部でも解読できたら…暗号にとって一番重要な「鍵」を見つけだすヒントを手に入れたことになります。
当時は秘密鍵暗号ですから、鍵さえ手に入ればこちらの物。他の暗号も次々解くことができます。
ポーランドの作った機械は、「必ず」暗号が解けるわけではありませんが、総当たりで暗号を解いてみて、上記の癖や、解けた一部の単語などを使って「明らかに違う答え」を排除し、解読文の可能性の高いものだけを人間に示すものでした。
暗号解読自体は総当たりです。非常に時間がかかるため、イギリス軍も機械を作ることにしました。
チューリングはこの仕様設計を行っています。
ポーランドの作った機械は「ボンバ」と呼ばれ、イギリスの機械はそれにならって「ボンベ」と名付けられました。
(いずれもボンブ、爆弾のこと)
ボンベは、大量に並んだ「エニグマのレプリカ」が、ひたすら暗号を作り出すのを制御する、機械式の専用計算機でした。
チューリングはこの後もエニグマの癖を研究し、ボンベを高性能化する改良を提案したりしています。
さらに、数学的な手法でエニグマを解読できるかもしれないと示唆し、これを元に「コロッサス」が作成されています。
(チューリングは方法を示唆したのみで関与していないようです)
戦争中の暗号解読は、軍の絶対機密でした。
チューリングは数々の功績に対し表彰されていましたが、表彰された件や仕事内容は当然、暗号解読の仕事をやっていたことすら他言してはなりませんでした。
戦後、チューリングはマンチェスター大学で、マンチェスター Mark I に携わっています。
その際には、コンピューターでチェスを行う手順なども考案していますが、これはプログラムと言うよりはアルゴリズムのアイディアメモに近いものです。
この頃に、コンピューターの知性はどこまで人間に近づけるのか、ということに強い興味を持ったようです。
しかし、コンピューターはいつまでたってもコンピューター。そのままでは「人間」にはなれません。
ここで、思考実験としての「チューリングテスト」を提唱します。
人間は、相手の見た目や声などを結構気にしますが、これは「知性」とは関係ありません。
コンピューターの「知性」を判断するのであれば、これらを徹底して取り除く必要があります。
そこで、テレタイプライターを使って二人の人間が文字で会話できるようにして、遠く離れた小部屋で会話を行います。
離れているので、相手の見た目や声などはわからず、文字での会話からのみ、相手の知性を判断できます。
この時、遠く離れた部屋にいるはずの「相手」がコンピューターだったとしたら?
コンピューターが未熟なら、相手は人間ではない、とすぐにばれてしまうでしょう。
でも、十分に会話をしても多くの人が「相手は人間だ」と判断する様になれば、それはコンピューターが人間並みの知性を持ったことになります。
冒頭に書いた「チューリングテスト」とは、このようなものです。
史上初の、人間と認められた人工知能…というのは、たった5分しか会話を行っておらず、しかも「英語は母国語ではない」という設定で、会話が成立しないものだったそうです。
どうやら、会話が成立しないにもかかわらず、相手が英語をわからないのでは仕方がない、という判断で「相手は人間だ」と判定された様子。
これは正常なテストとは言えません。
このイベントはチューリングの死去60年目の命日に行われたので、節目の日に記念として発表できるような成果が欲しくてねつ造された…のでしょう。
さて、晩年チューリングは同性愛で訴えられています。
当時、同性愛は罪でした。
チューリングは戦時中に、女性と婚約しています。
その後、チューリングが「同性愛者だ」と彼女に打ち明け、それでもかまわないという彼女をチューリング側から別れているそうです。
…これ、単に女性と付き合うのが苦手だった、ということは無いのかな。
チューリングがアスペルガーだったとしたら、人付き合いはかなり苦手なはず。
ましてや異性が相手では考え方も違いすぎてどうしてよいかわからないかも。
本当に同性愛者だったらそもそも付き合わないと思うし、面倒くさいから別れる口実じゃないの? という気もします。
また、戦時中の彼のアパートには、夜な夜ないろんな男がやってきて、一晩中起きていた、というアパート管理人の証言もあります。
裁判になった際、彼はこの証言に対し、なんの弁明もできませんでした。
…だって、彼は絶対口外してはならない軍の最高機密を扱ってたんですよ?
夜中でも相談事項が大量にあったのは想像に難くないし、それを他言できない以上、弁明なんて無理です。
まぁ、多くの歴史家が「彼は同性愛者だった」としているので、それなりの証拠もあるのでしょうし、そうだったのだと思います。
でも、噂が大きくなりすぎている可能性はかなり感じます。
偉大な人物の醜聞なので、皆面白がっている節もあります。
結局、チューリングは同性愛の罪で、1952年に有罪判決を受けています。
そして、その2年後に謎の死を遂げます。
…自室で死んでいたのです。42歳の若さでした。
部屋には青酸の瓶が多数あり、かじりかけの林檎が落ちていました。
林檎に青酸を塗って食したことによる自殺、とされましたが、これには後の歴史家から各種異論が出ています。
彼は「来週やるべきことのリスト」を常にまとめていて、この時もリストが作られていたそうです。
やりたいことがあるのに、自殺する理由がありません。
また、検視結果からも、死因は青酸中毒であるものの、青酸を「食した」反応が出ていないのだそうです。
チューリングは化学も好きで、自室で化学薬品を扱うこともありました。
その時の扱いは、かなり雑だったそうです。
そのため、これは換気不足により、発生した青酸ガスを吸入した事故死ではないか、と言われています。
2012年はチューリング生誕100年でした。それを前に、彼の名誉を回復しよう、という活動が起こります。
2009年に、政府による謝罪が請願され、数千人が署名を行いました。
これに対し、当時のイギリスの首相は、過去にチューリングを同性愛で有罪としたことに対し「間違っていた」と公式謝罪しています。
冤罪だったというわけではなく、当時の法律で正しくとも、彼の偉業を考えると名誉を貶めている、という意味です。
2011年、今度はチューリングを免罪し、名誉を回復してほしい、という請願書が出されます。2万人以上の署名が集まりました。
しかし、法務大臣はこれには応じられない、と拒否します。
彼個人の考えとして、チューリングが罪人となっているのは遺憾であるが、当時の法にのっとった正当な手続きだったため、法務大臣としてこれを曲げることはできないとの理由でした。
では、法を曲げましょう。2012年にチューリングに恩赦を与える法案が貴族院に対し提出され、可決されます。
これをもって、イギリス女王名義で、正式な「恩赦」がだされています。
彼が同性愛者で、変人の数学者であったとされるのはもう過去の話。
今では、イギリスを代表する偉人の一人として讃えられています。
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