今日はブレーズ・パスカルの誕生日(1623)。
うちのページ的には、パスカリーヌの開発者。
または、Pascal 言語に名を残す人。
「人間は考える葦である」という言葉で有名な哲学者ですが、パスカリーヌを考えたり世界初の公共交通機関を考案したりする発明家でもあり、確率論を創始した数学者でもあり、圧力の単位「パスカル」に名を残す物理学者でもあり、そして宗教家でもありました。
業績多すぎ。
それぞれ非常に興味深いものですが、本気で説明すると長すぎるのでざっと紹介。
興味を持ったら自分で調べてね。
パスカリーヌは別のページに書いてあるので簡単な概要だけ。
現存する、世界最古の「計算機」です。歯車で計算を行います。
現存しなくていいならもっと古いものもあるし、パスカリーヌは足し算・引き算しかできないけどね。
これ、当時のフランスの通貨体系が非常にややこしかったために作られた機械でした。
これ重要。そこをおさえとかないと、足し算引き算くらい機械を使わない方が速い、という話になっちゃう。
当時の通貨体系は「リーブル」。1リーブルは20スーで、1スーは12ドゥニエでした。
10進法と20進法と12進法が混ざってる。
普段の生活ならいざ知らず、税務官吏をやっていたパスカルのお父さんは、ややこしい体系に苦闘していました。
このお父さんの仕事をために、と発明した、なんと親思いの子供。ちなみに、17歳の時から製作を開始し、発明は19歳の時です。
確率論。
当時は賭博は非常に人気があり、当然必勝法は誰もが知りたいところ。
当然多くの人が同時多発的に確率論を研究しはじめ、パスカルもその一人に過ぎません。
しかし、彼は一人で研究を行ったのではなく、直感的に矛盾するような問題をいくつも考えては、友人を巻き込んで議論を始めたため、多くの数学者がこの問題を考えることになります。
あとで書きますが、パスカルは「自分で考える」ことを最重要だと思っていたようです。
だから、彼が研究して発表するのではなく、周囲に問題を投げかけて、考えに巻き込む。
巻き込まれた人が多く、パスカルの周辺で確率論の研究が進んだため、確率論はパスカルの創始、ということになっています。
以下は僕の個人的な話になりますが、大学1年の時に確率が必修でした。
しかし、その授業が厳しかった。単位を落とす人は珍しくなく、僕も例にもれず2回も落としました。
おかげで確率はそれなりに詳しくなり、あとでゲーム業界に入った際に役立ちました。
確率の使い方って、ゲームの面白さをかなり左右します。
せっかくいいアイディアなのに、ここら辺の処理でつまらなくなっているゲームもよく見ます。
圧力。
流体力学の原理の一つである「パスカルの原理」を見つけています。
油圧機器…パワーショベルとか、ダンプトラックとかは、パスカルの原理を応用することで非常に大きな力を出しています。
流体の圧力の研究をした功績から、圧力の単位に「パスカル」が使われています。
台風の中心気圧は 980ヘクトパスカル…とかいうときの「パスカル」ね。
これも僕個人の話を書くと、死んだ父は油圧機器の設計販売会社をやっていました。
別に父に教えられたわけではないですが、なんとなく油圧の原理とか好きでしたね。
ヘロンの噴水とかいつか取り上げたいテーマ、って、サイト作りはじめた 20年前から言っている気がする (^^;;
公共交通機関。
最初に書いたように、17世紀は富裕層と一般庶民の間には明らかな格差がありました。
富裕層の移動手段は馬車ですが、一般庶民は徒歩。
その時代に、パスカルは庶民でも安価に乗れる「乗合馬車」を考案し、実際に運用しています。
1662年に始められた乗合馬車は、世界初の公共交通機関とされています。
パリ市内の各地を結ぶもので、運賃は1区間5スー。
…先に説明しましたが、20スーが1リーブル。
事業の認可条件として「労働者は乗せない」などがあり、庶民でも上層を相手にした模様。
しかし、誰でも乗れるわけではないややこしい条件が嫌われ、思ったより利用が伸びず、採算があいません。
後に6スーに値上げしても厳しく、15年で廃止されています。
19世紀に入ってから乗合馬車は復活し、その際には「omunibus」と名乗ります。
「万人のために」という意味のラテン語ですが、略称として bus だけが使われたのが、現代の乗合自動車(バス)の名前の由来。
また、多くのものが相乗りをすることから、小さな話を寄せ集めて作る物語形式を「オムニバス」と呼びます。
人間は考える葦である。
パスカルは乗合馬車の運用開始から半年後に、39歳の若さで世を去ります。
元々病弱だったのですが、急に体調が悪化したのです。
死後、パスカルの考えを示すメモの断片が編集され、本として出版されます。
それが、哲学者としてのパスカルを有名にした「パンセ」でした。
「人間は考える葦である」はその中でも一番有名な言葉。
葦は弱い者の代表です。簡単に折り、殺すことができます。
人間の肉体はまた、簡単に死に至ります。その点では葦と同じ。
しかし、人間は考えることができます。思想はどこまでも自由です。
宇宙の果てを思うことも、遥かな未来を想うこともできます。
これが葦と人間の最大の違い。
ちなみに、「考えることは偉大だ」の後は、「愛はもっと偉大だ」と続きます。
考える、というのは所詮論理の積み重ね。論理なんて超えてすべてを包み込む愛はもっと偉大です。
さて、パスカルは宗教家でもあります。
16世紀にはじまった宗教改革は、宗教のあり方を変えました。
集金のための機関になっていた宗教のあり方を見直し、本来の宗教に戻そうとしたのです。
それでも、そこは宗教ですから、神の存在は疑う余地のない前提でした。
信じよ、さらば救われん。
ところがパスカルは、まず宗教を疑え、と問いかけます。
先に書いたように、宗教には集金機関の側面もありましたが、そうした部分は疑ったときにすぐぼろが出ます。
疑ってもやはり信じられる部分は、たぶん本物。そこを信仰すればよいのです。
さらには、神の存在を疑います。
パスカルは、研究テーマでもあった確率論を導入し、思考実験を行います。
その結果、神は存在しないかもしれないが、存在を信じて信仰することが、良い人生を過ごせるとの結論に達します。
これ、現代風に言えば「信念を持って生きる人は幸せだ」ってことです。
パスカルの時代には宗教が重要だったから「信仰せよ」となりますが、何か信じられるものを持つなら、何でもいい。
そして、信念を持っている人にとって、神がいるかどうかなんて些細なことなのです。
この言葉、先に書いた「愛は偉大だ」と呼応します。
本来ここでの愛は宗教用語(神の慈悲)なのですが、現代的に考えると「打算的ではない信念」…かな。
打算的ではない信念は全てを包み込むし、そういうものを持てる人は幸せな人生を送れる。
もっと簡単に言えば、趣味に打ち込める人はしあわせだ、ってことか。
これは卑近すぎるかもしれないけど、本質的に間違っていない気がする。
まぁ、現代でも十分に通じる、含蓄を持った言葉だとわかってもらえると良いです。
Pascal 言語。
これはパスカルの発明品じゃありませんね。名前の由来はパスカルですけど。
でも、もっとも僕のページらしい話題なので(笑)書いてしまいます。
ALGOL の影響下で作られたコンピューター言語で、そういう意味では C の親戚。
C は「高級言語のふりをしたアセンブラ」だと言われることが多いのですが、Pascal は本当に高級言語でした。
ここでいう「高級」というのは、ハードウェアの違いなどを気にしないで良い、という意味。
Pコードコンパイラとか説明したいけど、詳細に入り込み過ぎると長いので泣く泣く割愛。
Apple 社は、Pascal が好きでした。
Apple II 用にも Pascal の処理系を発売していましたし、Macintosh は Pascal の使用を前提とした ROM を持っていました。
Mac 発売後に C が流行して、Mac 用のプログラムは大抵 C で組まれることになります。
でも、内部 ROM の利用時には Pascal との互換性を気にする必要がありました。
文字列の持ち方とか、パラメータの積み方とか違うんだよね。
ちなみに、MacOS X に切り替えた際に Pascal とは決別したので、今は気にする必要ありません。
その昔、MS-DOS に TurboPascal という言語処理系がありました。
これ、優れもので、当時の遅い CPU でも一瞬でコンパイルが終わります。
それでいて、コンパイラ言語なので当時主流だった BASIC などよりずっと速いのです。
まるで魔法でした。
TurboPascal は後に言語仕様を拡張し、オブジェクト指向に対応しています。
しかし、これでは Pascal とは呼べないため、現在では Delphi という名前でリリースが続けられています。
昔ほどの人気は無くなってしまったようだけど、いまでもコンパイルの速さは健在で、気軽にプログラムを楽しめます。
そのため、趣味のプログラムをする人には人気があるようです。
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