SF作家のダニエル・キースが6月15日に亡くなったそうです。
えーと、僕は別にファンじゃないです。
「24人のビリー・ミリガン」を読んで、「ビリー・ミリガンと23の棺」を読んで、「アルジャーノンに花束を」の長編版を読んだだけ。
多分、アルジャーノンの中編もアシモフのアンソロジーで読んでいると思うけど、これは記憶が定かでない。
そんなわけで、3つか4つしか読んでないので別にファンなわけじゃない。
でも、どの物語も心の底に刺さったままになっている。
ビリー・ミリガンは小説ではないので、彼の小説はアルジャーノンしか読んでないことになりますね。
ちなみに、アルジャーノンは何度も映像化されていますが、初映画化だった1968年のアメリカ映画の監督は、昨日誕生日だったテッド・ネルソンのお父さん。
まぁ、これは余談です。
アルジャーノンを読んだことがない人は一読をお勧めします。
良いエンターテイメントとはこうやってつくるのだ、というお手本のようなお話。
作者自身、「もう一度同じように書いてみたい」と公言するほど、非常に良く組み立てられています。
先に中編・長編と書きましたが、上の言葉は中編小説が SF界では名誉ある「ヒューゴー賞」を受賞した時の言葉。
実際、この後全く同じ話を長編小説として書き直し、話を長くしたにもかかわらず冗長になることもなく、「すでに受賞した作品の書き直し」としては異例なことに、今度は「ネビュラ賞」というこれまた名誉ある賞をもらうのです。
SF というのは空想物語なわけで、その内容はまぁ、嘘なわけです。
でも、嘘をつきすぎると面白くもなんともなくなる。嘘が少なければ、それは SF ではない。
よく言われるのは、大きな嘘を一つだけ、ということ。SF に限らず、エンターテイメントでは重要な原則です。
アルジャーノンでは、「脳を手術することで知恵おくれを改善できる可能性が見つかった」というのが、重要なたった一つの嘘。
まだハツカネズミでしか実験されていませんが、可能性は高い。
そこで、知恵おくれで身寄りもないチャーリーが被験者に選ばれ、人間に対して手術を試みることになります。
小説は、常にチャーリーの報告書の形で進みます。
知恵遅れがどれだけ改善したかを記録に残せるように、手術法を考案した医師の指示で、毎日自分で報告を書くことが義務付けられるのです。
これ、評判を聞いて読んでみた、という人が、結構最初の数ページで挫折します。
すごく日本語が読みにくいのです。原作の英語版も、綴りなどがデタラメで読みにくいそうですが、日本語版も句読点の位置とか無茶苦茶。
もちろん、知恵おくれのチャーリー本人が書いた報告書だからです。
多くを説明せず、文章も書けないほど知能が低いことを示しているのです。
それでも、話の端々から、チャーリーは「もっと頭が良くなればいいのに」と思いながらも幸せに暮らしていることが読み取れます。
そして、手術が行われ、どんどん頭がよくなっていきます。ここら辺がこの小説の見せ場。
頭がよくなるのと引き換えに、どんどん幸せを失っていくチャーリー。
先日まで自分より頭が悪かった人間が急に自分より賢くなってしまった…
そんな時に周囲はどのように受け止めるか。いつまでも幸せなままではいられないのです。
ここら辺は、SF ではなく、ダニエル・キースの人間観察眼の光るところです。
ここでは嘘はなく、非常にリアルな人間模様が描かれます。
やがて、手術をした医師を超えるほど頭がよくなったチャーリー自身により、この手術の欠陥が明らかになっていきます。
知能だけを良くしてもだめなのです。感情の発達が追いつかず、やがて精神に異常をきたします。
さらに、急激に得た知能がピークに達すると、今度は急激に失われていくことも判明します。
…あらすじ紹介したいわけではないので、ここで終わりにしときましょう。
有名すぎるお話だから、あらすじは他のサイトでも紹介されているし。
これ、頭が良いことが幸せなのか、という普遍性を持ったテーマを、SFでないとできない「大きな嘘」によってうまく掘り下げています。
何よりすぐれているのが、終始報告書と言う形で一貫性を持たせていること。
すべてチャーリー目線です。周りの人の言動も、チャーリーの目線を通して書かれていますので、本当は何を考えているのかわかりません。
「幸せ」を論じる際に、客観性なんて役に立たないでしょう。すべてが主観目線だからこそ、テーマが浮き立つ。
最初に挙げた後の2冊、「ビリー・ミリガン」シリーズは、犯罪者のビリー・ミリガン自身が語った自伝です。
ビリー・ミリガンがアルジャーノンを読んで、「作者の人に自伝をまとめてもらいたい」と熱望したことも、この本の中に出てきます。
ビリー・ミリガンは多重人格者。
人格の一つが犯罪を犯して逮捕されてから、精神鑑定で多重人格であることがわかりました。なんと24重人格。
この事件以前、多重人格の例を精神科医が報告していることはありましたが、多くの人が嘘だと思っていました。
しかし、ビリーの取り調べなどは映像として残され、人格が変わった際に表情まで一変することから、やっと多くの人がこの精神病を信じるようになったのです。
ただ、「24人のビリー・ミリガン」では、多少オカルト的な解釈も入っています。
これは、ビリーがそう考えていたのか、ダニエル・キースがそう考えていたのか不明です。
たとえば、人格の一つは本当にどこから来たのかわからない。
習ったことも行ったこともない国の訛りで喋る。
前世なのか、霊が憑依したのか…そういう、少しオカルトめいた人格として語られます。
ビリーがダニエル・キースに自分の物語を書いてほしいと熱望したのは、彼自身が自分のことを理解できなかったから。
多重人格者にとって、別人格に「交代」している間は、一切記憶がないのです。
ただ、事件が起きて多重人格であると診断されてから、一部の別人格とは「会話」ができるようになっていました。
中心となる数人の意見により、自伝の執筆が依頼されたのです。
ダニエル・キースは、時間をかけて多くの人格と面会し、物語をまとめ上げています。
こちらは小説ではなくて「自伝」なのだけど、非常に面白いです。
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