先日こんなツイートをした。
父は小さな会社の社長だった。
小学生の頃、将来僕も社長をやりたいと言ったら、社長の一番大切な業務は、かっこよく判子を押すことだ、と押し方の英才教育を受けた。
独立自営の現在役立っている。
RT @kaoriya: 判子押すのがなかなかうまくならない (´・ω・`)
— wizforest (@wizforest) 2014, 4月 28
G.W.明けの今日、書類仕事をしていて思い出した。
ちゃんと説明しておいた方が良さそうだ。
父は長年会社経営をしていたが、業界全体が斜陽であったことと不況が重なり、晩年になって会社を畳んだ。
それでも借金を一切残さず、すべてを清算して終わらせるという見事なものだった。
上のツイートに書いたように、父が社長をやっていたので普通のサラリーマンの生活と言うものは僕にはどうもわからず、小学校のころは将来自分も会社経営するのだろう、と普通に思っていた。
大学卒業後、一旦はゲーム会社に就職したが、その後独立して会社を興している。
もっとも、人様の人生に責任を持つのは怖いため、基本的には僕と妻のみの会社だ。
で、会社を興すと決めた時に、父が社長業の心得として、たったひとつ教えてくれたのが「判子の押し方」だった。
他には何も教わっていない。いや、「会社を維持するのに決まった方法などないから教えられない」とだけは教わったかな。
#父は昔勤めていた会社が子会社を興す際に一度社長となり、軌道に載せてから改めて自分の会社を興している。
2回会社を軌道に載せているわけで、「決まった方法などない」はこの経験に基づく言葉。
社長が判子を押すというのは、長い時間かけて社員が下地をならし、ビジネスを成功に導いたときだ。
相手の会社との契約がまとまり、そのことを書類として残す段になってはじめて、社長が登場して判を押す。
社員が苦労した仕事を形として残す、その最後の締めくくりが「判子を押す」ということだ。
ここはかっこよく押さなくてはならない。それが社員の苦労をねぎらう意味にもなる。
これが父の教えだった。
じゃぁ、どんな判子がかっこいいのかって言えば、判子なんて「インクの染みを残す」以外のことはできないのだ。
その染みを見てかっこいいと感じるためには、自分の中にかっこよさの基準を持たなくてはならない。
逆に言えば、基準を持てばかっこいい判子は誰だって押せるようになる。
まず、法律的に重要な事。
判子にはいくつかの意味がある。
書類の文字などの上に判を重ねると、これはその文字に対して何らかの責任を負う意味になる。
誤りを見つけたので横線を引いて消し、書きなおす。この際には横線を引いた文字の上に判子を押し、上に正しい文字を記入する。
(書類の形式によっては、さらに何文字削除、何文字追記、と明記して、改竄を防ぐ)
書類が複数枚にわたる際は、2枚のページにまたがるように判子を押す。割り印、と言うやつだ。
あまりページ数がおおい場合は、ホチキスで止めた上から紙を糊付けしてホチキス止めを外せないように封をして、この紙に対して割り印を押す。
#余談だけど、司法書士等の方は、封印したホチキスを外す、という芸当を持っていたりもする。
もっとも、この場合も元通りにホチキス止めはできないので、誤りを訂正して新たなページを作った後は再度ホチキス止め・封印して判を押す必要がある。
まぁ、いろいろあるけど判子は責任を持つことを意味する、ということだ。
そして重要なのが「判子に判子を重ねる」場合も、文字と同じく削除の意味がある、ということ。
判子がかすれてしまったために二度押し、などが厳禁なのは、このためだ。
二度押したと言うことは、その判が無効であることを意味する。
同じ理由で、ほかの人の判子に重なるように押してもいけない。
法的に有効な判子は、必ず周囲に「枠」が付いている。角印でも丸印でも、すごく細い線で囲まれるようになっているのだ。
周囲が綺麗に押されれば、その中央が押されずに欠けていると言うことは普通はあり得ない。
つまり、この線は「判子がかすれなく、完全に押されている」ことを確認しやすくするためのものだ。
「小笠原」さんの判子の上を隠して(押印時に紙などで覆って)「笠原」さんの判子を偽装したりできないようになっている。
枠にはこうした意味があるから、枠が一部でも欠けたりしたら、本来その判子は使ってはならない。
枠は細いものだし欠けやすいから、判子は大切に扱わなくてはならない。
父の教えの一つは、「枠をしっかりと押すこと」だ。
一度判子を書類に乗せたら、上から押さえつけて動かないようにしたうえで、その力をゆっくりと、ぐるりと一周回すようにする。
感覚としては、枠をしっかり押すつもりで。そうすると中の部分までしっかりとした印影となる。
ゆっくりと周囲に力を加えるためには下が固くてはならないし、柔らかすぎてもいけない。
印鑑マット、と言うものがあるが、あれは無造作に印鑑を押しても枠が綺麗に出るように、少し柔らかめにつくってある。
印鑑マットで周囲に回すように力を加えると、書類がしわになってしまい、判子がうまく押せない。
だから、新聞の朝刊を半分に畳んだものを下に敷く、というのが父の流儀だった。
紙の束は固すぎず、柔らかすぎず、非常にはっきりとした印影を出してくれる。
僕は仕事場に新聞を持ち込まないので(日経ではないけど購読はしてますよ)、適当な文庫本などを下に置くことが多い。
実は、押し方としては以上がほぼすべて。
これだけでは「かっこいい」とはならなくて、後は個人の感性になってくる。
最初に書いたように、自分の基準を持たないといけないのだ。
でも、自分だけの基準では、ほかの人にカッコイイとは思ってもらえないだろう。
そのため、実際には大体決まっているルールと言うものがある。
判子を「まっすぐ押さないといけない」と思う人が多いのだけど、まっすぐにきれいに押した判子は、神経質な印象を与える。これはかっこよくない。
多少曲がっていたほうが自然な感じがする。
判子の押し方に人柄が出るとしたら、少し曲がっているくらいの方が、自然体な、付き合いやすい人に見えるのだ。
そして、曲げるときは右側が上がるようにする。「右肩上がり」、つまり業績が向上しますように、という、まぁ駄洒落だ。
でも、たとえ駄洒落だとしても右肩下がり(業績が落ちる)よりはいい。悪いイメージより、良いイメージになった方がかっこよいのだ。
社長業でなくても、判子を右肩上がりに押す人は結構いる。社内を回覧する書類などに判が必要な際は、左側に上役が来るように押印欄が並ぶことが多いため、「上司にお辞儀するように押す」とされることもあるようだ。
でも、契約書などの書類では押印欄があるわけでもなく、社長より偉い人がいるわけでもない。
ここは「右肩上がりに」押すものなのだ。
角度的には「11時30分」とよく言われる。上の部分がこの方向を向くように。
…つまり、15度傾ける、と言う意味合いだな。
ところで、署名の際には実印を一緒に押すことが多い。
そして、通常は判子を署名に少しかかるように押す。
先に書いたように、判子を文字に重ねるのは削除の意味合いもあるのだけど、署名に関しては特例だと思っていい。
特例だから、重ねずに判子を押しても間違いではない。
実際、実印であるかどうかを判断する場合に見やすいように、重ねない方が良い、という人もいる。
実印を署名に重ねるのは、実印が非常に重要なものだからだ。
真っ白な紙に押された印影があれば、その印影を元に偽造を行うことが可能になる。
ページ間の割り印などは、紙の厚さのせいで判子の一部が浮き、途切れる。
このため、偽造の心配は低くなる。
また、訂正印などは実印を使用せず、個人の(書類訂正者の)認印で構わない。
しかし、署名の横に、署名にかからずに実印を押したとしたら、それは偽造をたくらむ者にとっては、非常にありがたいものとなる。
署名に載せるように押すのは、このような意味合いだ。
文字にかかってよいのはだいたい半分弱。四割程度、と僕は思っている。
半分以上が文字にかかると、実印の確認の妨げにもなるだろうから。
#実際には印鑑証明と押印された書類の2枚を重ねて、ぴらぴらと高速でめくり、目の残像現象で同じ印であることを確認することが多い。
このやり方だと、たとえ全部が文字にかかっても、それほど確認の妨げにはならない。
改めてまとめると
・固すぎず柔らかすぎない、紙束のようなものの上で押すと良い。
・周囲の枠を押すつもりで、力を一周回す
・印影は少し右肩上がりに傾ける。11時30分に。
・署名に4割程度かかるように。
これが「かっこいい判子」の押し方。
父から唯一教わった、社長業の心得。
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