今日は山内博さんの誕生日。
任天堂の元社長で、先日亡くなりました。
亡くなったのは山内溥さん? 字が違いますね。typo じゃないですよ。
これ、山内さんが50歳の時に改名したためです。今日は誕生日なので、生まれた時の名前で書きました。
追悼文で書きたいこと大体書いたので、もうあまり書くことないのですが…
いや、伝説には事欠かない人だから、いくらでも書けるかな (^^;
任天堂ってもともと小さな会社だったし、山内氏はワンマン経営者でした。
でも、ワンマンだからこそ優れたバランス感覚を発揮している。
取締役会で相談して…とか、普通の経営していたら、ゲーム&ウォッチもファミコンも作り出せなかったでしょう。
社是とか、社風とかを作るのが大嫌いだったそうです。長期計画を立てるのも大嫌いだった。
おもちゃ屋なんだから、その時の時代の雰囲気を感じ取って、雰囲気が変わる前にすぐ作る。
ブームに間に合った、と思ったらそのブームはすぐ収束するから慢心しないで次の手を考える。
これが経営哲学でした。
ゲームボーイを「子供が使うものだから」と頑丈にさせたのも、ファミコンの時に壊れやすくて失敗したから、というだけの話でしょうね。
別に、子供のことを思いやったのではない。ファミコンは修理が多すぎたし、無償交換も多かった。
頑丈に作っとかないとコストが嵩むから、修理が不要なものを作らないといけない。ただそれだけだと思います。
僕の経験談は…以前どこかに書いたかもしれないけど、四角ボタンファミコン持ってました。
四角ボタンはボタンのゴムが切れやすくてね。切れてもおもちゃ屋で100円くらいでボタンを売っていたので、買ってきて自分で修理しました。
(本当は補修部品で、技術者が修理すべきなのでしょうが、あたりまえにおもちゃ屋で売ってしまうくらい故障が多かったのでしょう)
でも、ある日、ゲームキャラクター(スプライト)の表示がおかしくなったんですね。
遊んでいて、どうもチラチラする。一部が消えるというか、明滅する感じ。
でも、電源を切ってしばらく置いてまた遊ぶと大丈夫なのね。しばらく遊んでいるとおかしくなる。
そのうち、症状がひどくなってきてスプライトが表示されなくなったりもしました。
どうもおかしいので任天堂に修理に出したら、新品になって帰ってきた。そのうえ、修理代はいらないという。
今でいう「神対応」ですね。
他にも、僕の周辺にはそういう友達が数多くいました。
ひどい奴は、前の拡張コネクタに5円玉を突っ込んで取れなくなってしまい、送ったら無償で新品になって帰ってきた。ちゃんと5円玉も帰ってきたそうです。
#なんで5円玉なんか突っ込んだのかといえば、任天堂の「ベースボール」で、拡張コネクタを適当にショートさせると魔球が投げられる、というバグがあったためだ。
当時は小学生でしたが、友人の間でも「売れすぎていて、個別に修理をするより新品送った方が簡単」説が出ていました。それにしても、「無償」というのがよくわからない。
これ、大人になって知ったのですが、初期不良対応だったそうです。
初期のファミコンの PPU (画像回路)には不具合があって熱を持ちやすく、熱暴走で動作がおかしくなる。
だんだん症状がひどくなった理由は判りませんが、熱で一部回路が溶け、電気が正しく伝わらなくなったのかもしれません。
僕の周囲で買った奴は初期型が多かった(四角ボタンはあたりまえで、灰色コードもいました)ので、どんな理由でも任天堂に送ると新品になって帰ってきたのですね。
「修理しました」といって金をとってもよかったと思うけど、任天堂に非がある場合は取ろうとしない。
これはきっと、山内さんの指示だったんでしょうね。
ファミリーベーシックでもそういうことありました。
購入した時は、Ver.1 カートリッジが付属していました。でも、後に Ver.2 が付属するようになります。
そんなこと全く知らないで遊んでいましたが、ある日ベーマガのプログラムを見たら、知らない命令を使っている。SCR$ という関数で、画面に書かれているキャラクタを読み取ることができます。
Ver.1 では、「背景画面」は名前の通りただの背景で、飾りでした。でも、Ver.2 では SCR$ のおかげで、背景の迷路の壁にぶつかったりできるようになり、作れるゲームの幅がぐんと広がったんです。
えー。そんなのずるい。どうやったら Ver.2 手に入るの?
任天堂に電話したら、「無償で交換しますからカートリッジ送ってください」と言われました。
確か任天堂までの送料はこちら持ちでしたが、新しいカートリッジと、マニュアルの追加ページのコピーを送ってくれましたよ。
後に Wii の初期型買ったときも、リモコンカバーの無料配布、リモコンストラップの無料配布と、2回無料でいただいています。
この時には社長は岩田さんでしたが、非を感じたら無料、というのは任天堂の社風なんでしょうね。
#社風が嫌いな任天堂にも社風はある。
その後も「神対応」と呼ばれる無償交換の話を聞くたびに、「あぁ、きっと不良ロットがあったんだな」とか思ってしまいます。
いや、悪い意味じゃないよ。先に書いたように、不良と判ったらお金は取らない、というのは立派な態度。
任天堂も山内さんも、正当な理由での金儲けはしますが、金そのものに執着している感じは受けません。
任天堂ではなく山内さん個人として、アメリカ大リーグのシアトルマリナーズのオーナーをやっていた時期がありますが、「米国任天堂がお世話になっている土地だから」と言う理由だけで、マリナーズの経営難の時に買い取っています。
でも、金は出すけど口は出さず、そもそも野球好きでもなかったので一度も視察に行かなかった、と言う伝説付。
お金持ちだけど、普段はあまり大きな買い物をしない人だったそうです。
亡くなった時の追悼記事で読んだのですが、その記事を書いた記者さんがマリナーズ購入直後、別件で任天堂に取材に行ったのだそうです。
その時に広報の人に、「社長の山内さんとはどんな方ですか?」と聞いたのだとか。
その答えが「お金持ちですけど質素倹約を好む方で、特に大きな買い物もしません。…あぁ、先日マリナーズを買いましたけど」。
マリナーズを買うって普通の事態じゃないのだけど、「普段の生活」の一部として語られているのが面白い。
話は逸れて業界の噂に…当時聞いた話ね。信憑性はわかりません。
ファミコンの頃にファミコンのサードパーティが沢山生まれるわけですが、当初はそれぞれが勝手にソフトを出していました。
山内さんは、これでは粗製乱造でアタリの二の舞になる、と、ライセンス制度を作ります。
制度ができるまで結構時間がかかって、ちゃんと動き始めたのはファミコンブームから三年半後だそうです。
#アタリに粗製乱造があったかどうかはともかく、山内さんはそう思っていた。
ライセンス制度はその後ゲーム業界では当然のものとなって、スーファミの頃もありました。
ゲームを作った会社は、任天堂に製造してもらう必要があります。
製造委託料は任天堂にとって大きな収入源でした。
(山内さんは、「うちはメーカーではなくて、ダビング屋です」と言っている)
この製造量は、任天堂とゲーム会社の交渉で決まります。
任天堂としては、いくらでも作れば儲かるわけですが、「ゲームの売れる量」を見極めて製造量を決めていました。
スーファミの当時、ドラクエシリーズが一番人気のあるソフトで、ファイナルファンタジーは人気が出始めたところ。
ドラクエは3で380万本を売り上げ、4でも300万本を超えました。
ところが、ドラクエ5(1992)は人気が出ず、最終的にも 280万本程度でとまります。
このドラクエのつまづきに、スクエアは勝負所、と感じたようです。
次のタイトルFF6(1994)でドラクエ3超えの400万本を狙います。「ドラクエ以上に売れたソフト」として有名になり、トップの座を取ろうという考えでした。
しかし、ライセンス制度では任天堂の了解がなくては製造ができません。任天堂に、一挙 400万本を要求します。
次のタイトルは絶対面白い、発売前から盛り上げ、発売日に一気に売れる体制を整えたい、という要求でした。
ここで、スクエアの思惑について説明する必要がありますね。400万本売るにしても、様子を見ながら増産すればいいんじゃね?
でも、当時は、まだ「ゲームを速く終わらせた人」が英雄な時代。
話題のソフトを発売日に買って、翌日は会社を休んで攻略、というような人も(ゲーム業界には)いました。
休んで、は極端だとしても、発売日に買って「速解きレース」に参加できないと、急に遊ぶ気が無くなってしまったりするのです。
当然、売り上げは発売日がピーク。発売日に在庫切れ、なんて事態になったら、重大な機会損失なのです。
ROM ゲームは生産に時間がかかるから、あわてて増産しても出来たころには購入熱が冷め、誰も買ってくれない、と言うことになります。
販売目標とする数は初日に揃える。当時としては普通の考え方です。
ただ、スクエアの場合ライバルのドラクエがあまりにも強く、「ドラクエ超え」を狙う販売目標が400万本と、常識外れな数になっただけです。
しかし、任天堂は、あのドラクエでも総計で300万本いかなかったのだから、RPG ゲームのブームが終息しつつある、と思っていたようです。
それを、発売日に400万本そろえようというのです。スクエアを説得し、止めさせようとします。
でも、最終的にはスクエアが責任を取るから、ということで製造したようです。
#僕はこの時「発売日前に、定価の2倍でFF6買わないか」と友達に声をかけられました。スクエア関連の知り合いがいて、ソフトを作りすぎてすでに在庫管理できない状態だから多少持ち出せる、と言う話でした。
ドラクエ以上になんて売れるわけない、と考える社員もある程度いたそうで、そうした社員は会社が傾く前に辞めるつもりで「退職金代わりに」持ち出して売りさばいていたそうです。
僕はスーファミ持ってなかったしFF興味なかったし、なにより怪しい話に近づきたくなかったので丁重にお断りしました。
FF6の最終売上げは255万本。ドラクエほどには売れませんでした。
大量の在庫を抱え、スクエアは倒産の危機に瀕します。自業自得です。
でも、山内さんは「最終的に400万本を承認した任天堂の責任でもある」と、救済措置を出します。
自分の側に非があればコストを負担する。任天堂の神対応は、こんなところでも発揮されるのです。
救済策として、任天堂の看板キャラであるマリオを貸出し、スクエアの得意なRPGを作ってもらうことになりました。
これが、後の「スーパーマリオRPG」(1996)です。
「作ってもらう」ということは、任天堂が製作費を持つと言うこと。
独立したゲーム会社は、通常は製作期間は支出が超過し、販売して一気に回収します。
でも、この時のスクエアはお金を出さずにゲーム制作が続けられる、ということになります。
販売しても利益の大半は任天堂が持っていってしまうけど、いくらかはスクエアにも入ります。
スクエアはこれにより立ち直り、次のFF7を NINTENDO64 で作りはじめます。
…が、スクエアまさかの裏切り。
FF7は急遽プレステにプラットフォーム変更となります。
スクエアを弁護しておくと、スクエアはFFシリーズで一貫して「映画のような演出」を目指していました。
ファミコン時代のわずかな容量でも映画を目指した演出をしていましたが、この時期相次いで CD-ROM ゲーム機が発表され、CD-ROM なら映画のような演出も可能、と言われていたのです。
ところが、任天堂は予定していたスーファミ用 CD-ROM の発売をやめ、NINTENDO64 でもCD-ROM は採用しませんでした。
これは、FFシリーズにとって生命線を絶たれるような事態でした。
山内さんは、「機種の選択はゲームを作る側にあるのだから、仕方がない」と、スクエアを送り出しました。
しかし、この後スクエアは任天堂への出入りが禁止となります。
実は山内さんは怒っていた説、さらに別に怒らせるようなことをした説などありますが、どれが本当かわかりません。
ただ、この後社会現象ともなるゲームボーイアドバンス用にスクエアはゲームを提供することができず、スクエアの株主総会でも問題視されるような事態となっています。
#後に和解し、アドバンス用ゲームも発売しています。
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