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10-29 メガドライブ発売日(1988)
10-29 メガドラ25周年記念?
今日はメガドライブの発売日(1988年)。
最初のゲーム機である SG-1000 はファミコンと同日(1983/7/15)に発売になってしまったため、ファミコンの陰に隠れてしまった感があります。
セガはファミコンに対抗すべく、マイナーチェンジである SG-1000II (1984) を出します。安くしてデザインを変えたものですが、SG-1000 では使いにくかったジョイスティックが、ファミコン風になったのが最大の変更点でしょう。
さらに画面表示を大幅強化した「セガ・マークIII」(1985)、音源も強化した「マスターシステム」(1987)と進化していきますが…。
この段階でも、SG-1000 との互換性は残っていました。むしろこれは足かせとなり、結局ファミコンに勝利することはかないません。
そして、満を持して、メガドライブの発表。いや、実はまだ互換性はあるのですが、CPU に SG-1000 互換の Z80 と、当時高級 CPU だった MC68000 の2つを搭載、という豪華なマシンでした。
当時、MC68000 は70万個程度の出荷実績しかなかったのに、セガはメガドライブのために一度に100万個の注文を行った、と話題になりました。
量産効果で、高級 CPU だった MC68000 の値段は一気に下がり、他の分野でもよく使われるようになりました。
…今進化の歴史書いてみたらひどいな。新機種出しすぎ。前の機種買った子供がかわいそうだ。
特にかわいそうなのは SG-1000II とマスターシステムを買った子か…
発売直後に買っても、翌年には「上位互換」のハードが出ちゃうんだから。
(マーク III に音源を取り付けるとマスターシステム相当になったので、この間は互換性が保たれている)
それはさておき、メガドライブはこのような経緯で発売され、やっとアメリカでは NINTENDO (ファミコン)を超える人気を得ることができました。(アメリカでの商品名は SEGA GENESIS)
Super NINTENDO (スーファミ)には一時的に単年度シェアを奪い返されたりしましたけどね。最終的には、16bit 時代のゲーム機として、世界で一番売れた機種のようです。
そして、南米の貧困国などでは今でも人気のあるゲーム機のようで、まだ販売台数は伸び続けています。
これだけ売れたら文句もないわけで、ファミコン相手に苦しんでいた時代に毎年のように発売していた「マイナーチェンジ版」の発売は、基本的にありません。
外付け機器のメガCDとか、廉価版のメガドライブ2とか、メガドラ2とデザイン合わせたメガCD2とか、いっそのことメガCDを内蔵したワンダーメガとか、極限まで小型化したメガジェットとか、携帯機にしてしまったノーマッドとか、32bitCPUを外付けする Super32X とか、IBMPCとくっつけたテラドライブとか、メガドライブの音源関係安く作り直して子供向けにしたピコとか…。いや、あれはマイナーチェンジじゃなくてシリーズ商品なんですよ、と書いておきます。
#テラ・メガ・ピコと、機能を単位で表しているのが何気に好き :-)
ただ、国内ではやっぱりスーパーファミコンの陰に隠れてしまった感があります。
2年も前に発売したのに、先行発売のメリットを作り出せなかった。
僕はファミコンはもっていましたが、その後は MSX / MSX2 / X68000 とパソコンを買い続け、ゲーム機は買いませんでした。
大学時代、パソコンサークル仲間のたまり場となっていた部屋(サークルなので部室はなかった)に、近所に下宿していた後輩がメガドライブを持ってきます。
下宿に帰るのは寝るときだけで、学校にいる時間の方が長いから置いときます。自分が遊ばないときはご自由に遊んで構いません…とのことでした。
いや、遊びましたね。後輩がもってきたゲームだけですが。
特に記憶に残っているのは、雷電、ベアナックルII、ハードドライビン、ぷよぷよ、ソニック・ザ・ヘッジホッグ、ソニック・ザ・ヘッジホッグ2、ゆみみみっくす、魔物ハンター妖子あたりかな。…最後のはオチのつもりで。
ソニックは当時話題になっていたのですが…好きな人ごめんなさい。僕、このゲームそれほど高く評価していません。
面白かったのは事実なのですが、僕は「短い時間でも遊べる」ということがゲームには重要だと思っているので。
スーパーマリオは、土管ワープを覚えると短時間で最後まで行けます。ソニックにはこれに相当するものがなく、すべての面を遊ばないといけない。
ソニックは3面が非常に面白く、後の面は難易度が上がっていく…と言う感じだったので、「つまらないのを我慢して」2面までをこなし、3面を十分楽しんでクリアしたら電源を切る、というゲームでした。
ゲーム作る人が、苦労して作った面を飛ばされるのを嫌がるのはエゴだと思っています。作ったのだから見てほしい、というのは判るけど、遊ぶ方にとってはそんなの関係ない。ゲームと言う遊びで、なにかを強制されたくはない。
最初は道がわからず迷い込んだり、慣れた後で改めて好きなルートを通ったり、というのはもちろんできてよいのですが、作成された面は「全部通るもの」ではなく、「ユーザーの選択の幅を広げられるもの」であるべきだ、と言うのが持論。
スーパーマリオとか源平倒魔伝とかストライダー飛竜は、ルートをどんどんショートカットしていける、と言う点を評価しています。
#あ、ここで思い出したけど飛竜も遊んでた。でも、メガドラ版は出来が悪かった…。
上に書いた「ショートカットしていける」は業務用飛竜の話。
…まぁ、これもソニックを遊び倒して至った結論なので、そんなことを考える程度には遊びました。
このあとテレビゲームの作成会社に入った時に、こうした「いろんなゲームを見て考えた」経験は役立ちました。その意味では思い出深いゲームです。
#ちなみに、ソニックのキャラクター自体は今でも結構好き。
ゲームも悪くなかったしキャラクターも好きだし…それで気軽に遊ばせてくれなかったから、余計に恨みが募っているんだろうな (^^;
ハードドライビンはかなり好きだった。後にセガサターンで発売されたときに買ってがっかりしたくらい好きだった。
僕は3Dゲームはそれほど好きではなかった(というか、今でもゲーム性に懐疑的)のですが、ハードドライビンはそれでも好きだった初期の3Dゲームの一つ。
3Dの問題点は空間把握が難しいことなのですが、このゲームは「キッチリ決まりを守る」ことがゲームの中心で、予想外の出来事が起こりにくいために、空間をあまり把握する必要がありません。
そして、1ゲームは5分~10分程度。スタントコースを1周してチャンピオンシップに進み、1周してゴールすると次の人に交代…と言う方法で、誰が速いか競っていました。
チャンピオンシップコース、一緒に走る車が「最速記録の影」なので、こうやると一人づつ遊んでもレースが成立するのです。
メガドライブは、 A B C の3ボタンがありましたが、これを Accel Brake Clutch に、頭文字通り割り振っているのもうまかった。メガドライブのボタンはまさにこのために作られたのだ! というフィット感。もちろんそんなことありませんが。
と、あまりメガドライブと関係ないことも含めて、思ったことをいろいろ書いてみました。
現在は、なぜかメガドライブ2を所有しています。貰い物。
でも、もらってから一度も箱を開けていないので、ちゃんとパーツが揃っていて動作するのかもわからない (^^;;
だって、ソフトがないんだもん…
あぁ、そういえばテラドライブも持ってました。これももらってから動作確認してません。
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いつか書きたい…と、まだお仕事で ST-V のプログラム書いていたころから思っていたセガ・サターンの話、思い切って書きました。
当時 ST-V のプログラムを作っている会社にいて、僕は ST-V のプログラム担当でした。ST-V ってのもそのうち説明するけど、セガサターン互換の業務用基板ね。
その当時にこの WEBサイトを作りはじめて、X68k の画面構成を説明する際に、重ね合わせ性能ではセガサターンもかなわない、と書いたりしています。
その時からセガサターンを説明したい、でも企業秘密だからダメだな…とか思っていました。
今年の夏だったかな。ツイッターで、「古いゲームの保存」と言う話が盛り上がっていたんだ。
まぁ、定期的に出るような話で、古いゲームを「文化財」として残すにはどうすべきか、と言う話。
業務用基板を残そうとしている人たちの仕事の価値は認めたうえで、僕はエミュレータでも良いと思っている。
というか、原本としての基板が残っていても、貴重すぎて誰も遊べないからエミュレータ「も」活用すべき。
まぁ、その話はいいんだ。こんなのは先に書いたように定期的に出る話。
この時の話は、ゲームは「作品」であって、それを作った人たちが何を考えたのか、その時代がどういう時代だったのか、という文脈と切り離してしまって「文化財」と言えるのか? という問題提起があった。
これは、ちょっと新鮮な意見。ものだけ残っていても、そのものの価値がわからなくなってしまうでしょ? というわけだ。
これを受けて、ゲームを作っている人たちには、作成中からできるだけ多くの記録を残してほしい、と言っている人もいた。
ゲーム作成現場にいた人間として、これは賛同できない。あまりにも多くの取捨選択があり、それだけで精いっぱいなのが現場だ。そのうえ、その記録の保存作業、なんて言われたら仕事がすすまない。
でも、コンピューター関係の歴史が好きな研究家としての僕は、上の意見にすごい賛同したいんだ。
作成中は無理でも、いろんな現場にかかわった人が、少しづつでも記録を残したら…
この記録は、「資料」としての記録でいい。間違いがあったって、他の資料と突き合せればわかるから、記憶違いがあっても構わない。
とにかく記録を残しておけば、あとで研究する人の役に立てるかもしれない。
…と思い至って、「記録として」サターンの話を残そうと思いました。
僕は先に書いたように ST-V のプログラムを作っていたし、僕がゲーム業界に居た時期は、サターン発売直前からドリームキャスト発売直後まで。
だから、この話を残したいというより、この話しか書けない。
ただ、この話は当時働いていた会社をすでに辞めたとはいえ、一応企業秘密。…いろいろ調べたけど、会社が「雇用中」は守秘義務があるけど、辞めた後は大丈夫なのね。
#法改正があって退職後も守秘義務は続くようになったが、僕が辞めたのは改正前。
でも、以前いた会社に迷惑がかかるといけないし…と思ったけど、その会社自体はすでに無くなっているのでした。再編の激しいゲーム業界だからね。(吸収合併された存続会社はあるけど)
だいたい、調べてみたら結構当時の関係者がいろんなところで打ち明け話をしているよ。
サターン自体フリーでエミュレータ作られちゃうくらいで、技術は秘密じゃなくなっている。
じゃぁ、そろそろいいよね…時効だよね…
そんなわけで、残したい内容はたくさんあります。
技術的な話は調べればわかることだし、当時の「業界の噂」みたいなものは、嘘かもしれない。
そんなものもひっくるめて書き残しておきます。当時の雰囲気を残す資料、と考えているから。
その一方で、聞きたい人もいるかもしれないけど、あまり核心を突きすぎて今でも秘密にしといた方がよさそう、というものは書かないつもりですし、基本的になにかを特定できてしまう固有名詞は出さない予定。
と、いろいろ厳しい制約の中で語るので、期待外れかもしれませんよ、と先に予防線を張っておきます。
今後、週1ペースで公開して、1か月くらい続く予定。
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