今日はスタンレー・メイザーの誕生日。
4004 の開発者4人の中で、唯一のソフト屋です。
プログラマーの観点から便利な命令を提案し、実際にテストプログラムなども作成しました。
4004の開発者、というと、日本では嶋正利さんが有名です。
嶋さんはビジコン社に勤めていたエンジニアで、ビジコンは電卓を作成していました。
今でこそ電卓は安いものになりましたが、当時は今のパソコンよりも高価な、会社でないと導入できないような機械だったとお考えください。
そして、今のパソコンと同じように、会社ごとの業務内容に合わせて機能をカスタマイズする、という商売も存在していました。
パソコンだったらソフトで実現するのですが、まだコンピューターが高価な時代です。
カスタマイズは、回路の変更で行われました。納入先会社の要望に従って、新たな計算式を実現する回路を作り、組み込むのです。
さて、電卓は当時数社が作っており、激しい開発競争がありました。
より速く、より安く、より高機能に…悪く言えば、開発コストが回収できない消耗戦に突入していったのです。
1969年、シャープが世界初の LSI 電卓を発表します。
LSI は当時の最新技術で、大量生産することで生産コストを引き下げることができたうえ、完成した製品も非常に小さく、使用電力も少ないという優れものでした。
ビジコンでも、LSI 電卓の開発を開始します。
しかし、LSI 電卓には一つ欠点がありました。
LSI は、生産コストは低いのですが、開発コストが非常に高いのです。
開発コストは、製品1個当たりのコストに分散されます。言い換えれば、大量生産すれば開発コストは相対的に下がります。
しかし、LSI は「中の回路をカスタマイズする」ということはできません。
これでは、先に書いたように会社ごとの要望に応えるカスタマイズはできないのです。
この問題に対し、ビジコンは全く新しいアイディアを思いつきます。
電卓の中心機能である四則演算だけを LSI で実現し、追加機能は「プログラム」によって生み出せばよい、と言う考えでした。
プログラムと言っても、パソコンのように電卓にプログラムできるというわけではなく、あらかじめプログラムを作って ROM に入れて置く、と言う形です。
この時点では、10進数で10桁を計算できることが想定されていて、36bit の四則演算器と、そのプログラム機能を作る予定だったそうです。
どのような機能が必要か、と言う要求仕様書をまとめ、嶋さんのグループは渡米します。
渡米したのは、生産してくれる会社を探すためでした。
…ところが、どこも契約してくれません。36bit の演算器というのは、当時の電卓業界としては当たり前のものだったのですが、小さな LSI にするには規模が大きすぎ、どこの会社でもそんな注文は受けられなかったのです。
ところが、インテル社だけは協力してくれることになりました。
この当時、インテルは設立から間もなく、DRAM を作る小さな会社でした。新しい仕事になるのであれば、どんな仕事でも欲しかったのです。
嶋さんたちは「要求仕様書を渡したら、相手がその LSI を作ってくれる」と考えていました。
しかし、拙い英語でやり取りしていたためにちゃんと意思が伝わっておらず、インテルの思惑は「設計図が持ち込まれたら生産設備を貸すよ」でした。
どんな目的の回路だろうが、それを「現状の生産設備で」作れるような回路にするのであれば、インテルとしては生産に何の問題もありません。
でも、設計するのはインテルではなく、ビジコンでした。ところがビジコンには LSI 設計ができる技術者は一人もいませんでした。
何度かのやり取りのあと、インテルも事態に気づき、テッド・ホフを担当につけてくれます。
ホフはインテルの中でも頭の切れる人間で、回路設計も、プログラムも、その応用分野も理解していました。
ただ、それだけに彼の仕事は忙しく、「担当に付いた」といっても具体的に設計などをする時間はありません。ホフのアドバイスの下、嶋さんが設計を行うことになります。
とはいえ、36bit の四則演算回路は、当時のインテルでは生産不可能でした。
どのように設計すれば生産可能な図面になるのか、まったくわかりません。
ここで、インテル社が二人目の担当社員を付けます。
それがスタンレー・メイザーでした。
嶋さんの書いた書籍「マイクロコンピュータの誕生」によれば、メイザーは『どちらかというと功名心の高いところが見受けられるが、非常に親切な男で、アイデアこそうまく出せなかったが、人のアイデアを早く理解でき、それを人に文書にして伝える技術を持っていた』そうです。
彼はこの能力を活かして、忙しいホフに替わり、ビジコンと密接な打ち合わせをおこないつつ、必要な事項はまとめてホフに連絡する、という仕事をしています。
嶋さんの通訳も務めた…と書籍にはありますが、これは「下手な英語を言い直してくれた」というような意味合いでしょう。メイザーが日本語ができたわけではないと思います。
メイザーが間に入り、ビジコンとインテルの間でなんども折衝が行われます。
とにかく、ビジコン側要求仕様をまとめ、インテルに何度も説明しますが、インテルとしては生産可能なものからはあまりにかけ離れており、まったく興味を示しません。
そんなある日、ホフが新たなアイディアをもたらせます。
プログラム可能、と言うのが前提とするならば、四則演算自体もプログラムで処理すればよい、と言うものでした。
4bit あれば、10進数一桁は表現できます。なので4bit の足し算・引き算だけ作れば、これを並べることで何桁でも計算ができます。
足し算引き算ができれば、繰り返すことで掛け算、割り算もできますし、さらに複雑な計算も可能です。
ビジコンの当初の計画とは全く異なるものでしたが、これなら要求する機能は満たし、生産することも可能です。
ビジコン側も、当初の計画とは異なっていたとしても、とにかく機能が満たせる LSI が作れるなら文句はありません。
インテル側も、4bit であれば実際に生産できる規模になりそうだ、と言う判断でした。
ここでやっと開発の契約がまとまります。(ここまでは、インテルは「協力」しているだけでした)
インテルは「生産」だけを受け持ち、開発はビジコンでした。
ただ、ビジコンには LSI 設計ができる技術者はいなかったので、インテル社からもう一人の担当が付くことになりました。それがフェデリコ・ファジンです。
電卓用チップの開発は、嶋正利、テッド・ホフ、スタンレー・メイザー、フェデリコ・ファジンの4人で行うことになりました。
嶋さんは発注側の人間なので、最終的な判断を下すチーフ格です。
ホフはインテル側のチーフで、嶋さんをサポートし、全体方針を定めます。
LSI の設計はファジンと嶋さんが協力して進めます。
そして、今日の主役であるメイザーは、4人の中で唯一のプログラマーでした。
嶋さんが決定する命令セットを使ってプログラムを作成し、命令セットの問題点などを指摘、よりよい命令にするためのアイディアを提案する役割でした。
そして完成したのが、世界初の1チップ CPU 、4004 を含む電卓用チップセット、「4000ファミリー」でした。
4001 が ROM、4002が RAM、4003がシフトレジスタ、4004が CPU というファミリー構成でした。
現在では CPU といえばインテルで、4004 開発メンバーの4人のうち3人がインテル社員でした。
なので、アメリカで CPU開発者と言うと、嶋さん以外の3人が想起されることが多いようです。
1995年ごろだったと思いますが、インテル社が初めて CPU の歴史をWEBに公表した際に、4004 の製作者として、嶋さんの名前が載っていなかったようです。
「インテルは、日本人が大きな寄与をしたことを無くそうとしている」と(少なくとも日本では)騒ぎになり、すぐに嶋さんの名前も載せられましたけどね。
これはどうも、社員ではなかった嶋さんが「社史」には乗っていなかっただけ、と言うことらしいです。
でも、日本だとメイザーは忘れられがち。
4bit 、と言うアイディアはホフのものだし、実際の設計はファジン。それに比べると、メイザーの仕事は…なんというか、地味なんですよね。地味でも大切な仕事なのだけど。
嶋さんの書籍はちゃんと読んでいるのに、実は今日の記事を書くまで、メイザーの存在を忘れていました (^^;;
アメリカでは嶋さんが忘れられがちで、日本ではメイザーが忘れられがち。
でも、3人ではなくて4人でやった仕事です。お忘れなく。
4004 では、インテルは生産のみを担当しています。
…つまり、4004はビジコンのものでしたが、後にビジコン倒産の危機となった際にインテルに権利を売却しています。つまり、4004は現在ではインテルのものです。
4004 を開発したインテルの3人は、次に 8008 を開発しています。
しかし、これはあまり良い設計ではなく、期待したほど売れませんでした。
その後、嶋さんがスカウトされてインテルに入社しています。
ふたたび嶋さんをチーフとして設計したのが 8080 で、これは大ヒット CPU となります。
その後、ザイログ社が設立され、嶋さんとファジンはザイログに移籍します。
ホフとメイザーはインテルに残りました。
ザイログは Z80 を開発し、8bit 時代の覇者となります。
MSX も SEGA も、MZ シリーズも X1 も Z80 を搭載していました。
…PC8801 は Z80 互換でしたけど、ザイログのライセンスを受けずに勝手に作った NEC 製 CPU です。
そして、ファミコンやゲームボーイは Z80 ではありません(笑)
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