今日は、二人のデニスに関係する日。
ジャック・デニスの誕生日と、デニス・リッチーの命日です。
1か月前のデニス・リッチーの誕生日でリッチーのことはお伝えしています。
今日はジャック・デニスの方を書きましょう。
ジャック・デニスは…完成後のTX-0の話で登場していますが、その後の話は書いていません。
まずは TX-0 関連のダイジェストから話を始めましょう。
デニスは 1931年生まれ。
1950年代初頭、彼はマサチューセッツ工科大学(MIT)の学生でした。
在学中はテック鉄道模型クラブ(TMRC : Tech Model Railroad Club)に在籍し、鉄道模型を自由自在に走らせるための、複雑怪奇な電気回路を見事に改良できる、凄腕の「ハッカー」でした。
ハッカーとは、当時の MIT の隠語で、用意周到な計画と大胆な行動で人を驚かす能力を持った人のことです。
現在では非常に高いコンピューター技術を持った人の意味で使われますが、これは後に隠語が転化したものです。
彼は大学卒業後は MIT の大学院に残り、教員となります。
そして、1958年、彼は TX-0 というコンピューターの管理を任されます。
TX-0 は、MIT 関連施設の「リンカーン研究所」で開発されたコンピューターでした。
性能は良かったが非常に巨大だった Whirlwind を、当時最先端で高価だったトランジスタを使用して小型化したマシンです。
TX-0 は MIT の電子工学研究所に無償・無期限貸与されました。
当時のコンピューターは非常に高価で、たとえ購入したとしても、触ることはできません。
IBM のコンピューターを購入すると、保守契約も同時に結ぶことになり、毎日オペレーターが通ってくるようになります。
コンピューターを使いたいときは、このオペレーターに頼んで操作してもらうため、購入したとしても触れないのです。
そんな時代に、TX-0 は教員などに無料で開放され、申請すれば「自由に」使ってよいことになりました。
使いたい人は多数いますから、スケジュール調整が必要です。
これは、ジャック・デニスに一任されました。…というか、まだ新人教員だった彼に丸投げされた、と言うことでしょう。
デニスも忙しかったので、TMRC の後輩たちに仕事を丸投げします。
この際、見返りとして「誰も TX-0 を使っていないときは、自由に使ってもよい」と約束します。
こうして、誰もコンピューターが触れない時代に、TMRC のメンバーは学生でありながらコンピューターに触る権利を得ます。
そして彼らは電気回路をいじる天才、ハッカー達でした。
電気回路で「ロジック」を組むのも、プログラムで「ロジック」を組むのも同じことです。
つまりは、やりたいことを十分に分解して、組み合わせで表現できる能力があればよいのです。
TX-0 では次々と…遊びが目的の、役に立たないプログラムが作られました。
オペレーターに頼まないと何もできない IBM のコンピューターなら、絶対にゲームなんて作れなかったでしょう。
でも、TX-0 ではゲームが多数作られているのです。
それらは「世界初のテレビゲーム」と呼ばれています。
1980年前後のパソコンブームの熱狂を、MITでは20年も前に体験していました。
この熱狂を引き起こしたのが、ジャック・デニスなのです。
#TX-0 のゲームが本当に世界初かどうか、に関しては議論の余地があります。
デニスの話からはそれますが、興味のある人は世界初のテレビゲームって結局どれなの?もどうぞ。
デニスは Multics プロジェクトでも重要なアイディアを出しています。
Multics は、ARPA の資金援助により、AT&T、GE、MIT の3者が集まって研究した OS です。
デニスは、この OS の最重要技術の一つ、単一レベル記憶のアイディアを出しています。
メモリもディスクも同じ「メモリ」として考える…今でいう、仮想記憶のアイディアです。
Multics で取り入れられた数々のアイディアは、後に UNIX に取り入れられ、現代の OS の基盤技術となっています。
Multics 自体は失敗した…とよく言われていますが、現実にはこれも風説にすぎず、現代でも Multics から派生した上位互換 OS は使われ続けています。
(NEC が大型コンピューターで使用している ACOS は、Multics の上位互換にあたります)
すぐ上の Multics の説明リンク先では訂正していたのに、こちらの記事を訂正していませんでした。
デニスは、1969年には教授となり、1987年に退職しています。ただし、今でも MIT の名誉教授です。
その後、並列計算の研究などを行っています。
単純に言えば、マルチコアなどのコンピューターで効率的に計算を行う方法の研究ですね。
複数のコンピューターを使って計算を行う、と言う手法はこれ以前からありましたが、大抵は「職人芸」によって成り立っていました。
それを、計算機言語や OS のサポートにより誰でも使えるようにする、という研究をしたのがデニスです。
この研究を受けて、プロセッサを 100個以上使うような「超並列計算」のブームが起きたのは 1990年代初頭。
現在では、多くの PC もマルチコアで動いていますし、超並列計算をパソコンで行うための拡張ボードなども市販されています。
デニスは、2013年の「IEEE ジョン・フォン・ノイマンメダル」の受賞者です。
また、1984年の「IEEE エッカート·モークリー賞」も受賞しています。
この二つはコンピューター科学に関する比較的大きな賞です。
両方貰っている人も結構いますが、やはりコンピューター科学に対する多大な功績がなくてはもらえません。
他にも、多数の賞を取得していますが、これらは「コンピューター科学者」としての偉業をたたえたもの。
テレビゲーム好きの僕としては、デニスの最大の功績は TX-0 を後輩たちに開放したことです。
これにより、コンピューターは武器からホビー(おもちゃ)に変わってしまいました。
この転換こそが、コンピューターの歴史の中で一番の事件だったと思っています。
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