2013年10月06日の日記です


ジョン・ワーノックの誕生日(1940)  2013-10-06 10:31:35  コンピュータ 今日は何の日

今日はジョン・ワーノックの誕生日。

アドビ・システムズの共同設立者で、ポストスクリプト言語の設計者です。


…ごめんなさい。僕、この人詳しく知りませんでした。

「今日は何の日」で何書こうかな~と探していて見つけただけ。


もっとも、ポストスクリプトの開発裏話とか、アドビ社の略歴程度は知っていましたが。


以下に書くことには間違いがある可能性が高いです。

読み物として楽しむ程度なら問題ありませんが、資料として読む場合は他の資料も調べることをお勧めします。




ワーノックは1940年にユタ州に生まれました。数学の苦手な子供だったそうです。

しかし、高校時代に良い数学の先生に出会い、急に数学に興味を持ち、ユタ大学に進学します。


しかし、ワーノックは数学に「興味はあった」のですが、依然として「苦手」だったようです。

(僕もそういうタイプなのでよくわかります (^^; )


大学を卒業した後は勉強を続けようとはせず、IBM で働いたり、数学の教師になったり、結婚したりしています。まぁ、大学卒業後の普通の生活ですね。


しかし、なにかに目覚めたようで、1968年、ふたたび大学院に戻る決意をします。

働いた後に大学院に進むのは、欧米ではよくある話。大学院にはギリギリの成績で滑り込んだようです。


大学では数理哲学を学びましたが、大学院はコンピューター科学を専攻しました。

ユタ大学院には、当時珍しいコンピューターの学科があったのです。

アラン・ケイも1966年にユタ大学院に進学しています)


そして、大学院在学中に当時のコンピューターグラフィックス界の未解決問題であった、隠面処理アルゴリズムを開発します。


…ここ、彼について書かれたネット上の資料(特に日本語の物)を読んでいると「数学の未解決問題を解いてしまった! 天才だ!」というようなニュアンスになっているのですが、違和感があるので詳細に解説。


彼がこのアルゴリズムの研究で博士論文を書いたのが、1969年。


ところで、世界初のコンピューターグラフィックソフトとされる、サザーランドのスケッチパッドが、TX-0 の後継機種 TX-2 で作られたのが 1962年です。


スケッチパッド当時のコンピューターは、科学計算や爆弾開発時のデータ解析など使用される、膨大な計算力を持った「兵器」です。

コンピューターをお絵かきに使おうなどと言うのは、当時異端の研究でした。研究者も多くはありません。

コンピューターグラフィックスが学問分野になるのは、もう少し後の話。


で、サザーランドは1968年からユタ大学で教授を務めています。

ワーノックが直接サザーランドに教えを受けたかどうかはわかりませんが、研究内容についてサザーランドの示唆があったのではないかなぁ、と思います。


だとすれば、その内容は「研究者が少なく、時間が足りなくて未解決だけど、じっくり取り組めば大学院生でもなんとかなると思う」レベルの問題を研究させているでしょう。


最初にアルゴリズムを開発したのは事実ですし、ワーノックはその問題を解けるだけの能力はありました。

でも、誰も解けないような「数学の未解決問題」ではなくて、単に研究者がいなかっただけの問題で、解けたから天才、と言うものでもありません。




さて、サザーランドは大学教授の傍ら、1968年に会社を設立しています。

ワーノックは大学院で研究を続けていましたが、76年にサザーランドの会社に移っています。


この会社では、3Dグラフィックデータベースのための「記述言語」の研究を行っていました。


これについても、説明を加えたほうがよいでしょう。

当時、コンピューターは黎明期で、コンピューターごとに表示能力は大きく異なっていました。


どのコンピューターでも使えるデータを作る際、重要なのは、デバイスへの依存性を無くすことです。

たとえば、現代的に画像ファイルとして使われる JPEG ファイルは、縦横の表示ドット数などが固定されていて、「デバイス依存」です。


ずっと昔、640x480 の表示が当たり前だった時代に、WEB 表示用に小さな画像を作っていたとして、それを現代の画面表示で見ると小さすぎる、と言うようなことだってあるでしょう。

(当サイト内には、そうした画像が多数あります (^^;; 1996年からやっているもので)


このようなデバイス依存性をどうやれば無くせるか、というのは一つの重要なテーマでした。

記述言語を利用する場合、実際の表示サイズとは無関係の「仮想的な」画面を想定し、その画面の中で絵を描くための手順を記述します。


実際の表示の際には、計算によってデバイスに適したサイズに数値が変換され、表示を行います。

これならば、どのコンピューターでも、そのコンピューターごとの最適な画像を得ることができます。


これが、グラフィックをデバイスに依存しない形で記録する「記述言語」です。



記述言語には、もう一つの利点があります。

通常、解像度が高いデバイスで表示するためのデータは、非常に大きなものになります。


しかし、記述言語では描くための手順だけを記録すればよいため、小さくて済むのです。


Apple は Apple II 用の Pascal で「記述言語」の概念を取り入れた方法でグラフィックを扱っていましたし、LOGO などは記述言語そのものです。

1980年代には、NAPLPS とかキャプテンシステムとか、記述言語を使って画像通信を行うのが流行しました。




ワーノックは、1978年にXerox のパロアルトリサーチセンター(PARC)に移籍します。能力を買われ、引き抜かれたそうです。

ここで、レーザープリンター用の「ページ記述言語」を開発します。


そして 1982年、PARC の同僚チャールズ・ゲシキと一緒に、アドビシステムズを企業。

PARC で研究したページ記述言語をさらに洗練させ、PostScript 言語を完成させます。


アドビと言う会社名は、シリコンバレーのワーノックの自宅そばに流れていた川から取られた名前です。


良く知られているように、アドビとは日干し煉瓦のことです。シリコンバレーのあたりは雨が少なく、1800年代後半の調査では、この周辺に住んでいたインディアンはみな日干し煉瓦の家に住んでいました。

そのことから、この周辺は「アドビ」と名付けられ、そこに流れる川はアドビ川となったのです。

(川の名前の由来をインディアンの言葉、とする資料もありましたが、エジプト語由来のスペイン語から英語に取り入れられたようです)



ところで、1984年に Apple が Macintosh を発売します。

Mac は、Apple Pascal に源流をもつ「画面記述言語」で画面を描画するシステムを採用していました。


最初の Mac は白黒だった、と言うのは有名ですが、実は画面記述言語のレベルでは、カラーに対応しています。


Mac は、最初から印刷を強く意識したコンピューターでした。

当時はカラープリンタが珍しく、そのことも画面を白黒にした理由の一つでした。

(もちろん、カラー表示用の RAM を無くすことでコストを抑えたのも大きな要因です)


画面のサイズは、1ドットが 1/72 inch になるように決められていました。

最初に発売された専用ドットインパクトプリンタも、1ドットが 1/72 inch でした。

これ、印刷業界でいう「1ポイント」のサイズを基準にしています。


そして、Apple はアドビの持つ PostScript 技術を購入し、レーザープリンターを発売しました。


画面表示用の記述言語(QuickDraw)から PostScript に変換しなくてはならず、本来の性能が引き出せないと言う問題はありました。しかし、QuickDrawは元々デバイスに依存しない方法で表示を行っていたため、十分に綺麗な印刷が可能でした。


実は、PostScript プリンタの発売前から、Appleとアドビは、第3の別会社に接触していました。

これがアルダス社で、アルダスは PostScript を前提とした印刷ソフト、「ページメーカー」を作成します。

ページメーカーは PostScript を前提としていたため、QuickDraw からの変換は不要でした。PostScript プリンタの本当の性能を引き出すことができます。


グラフィカルな画面を持つ Mac と、綺麗な印刷を行うための PostScript 、そしてその架け橋となるページメーカー。

これは、それまでのパソコンでは想像もつかなかった新しい環境でした。

ここに、デスクトップパブリッシング (DTP)のブームがおこります。



その後、ジョブズが Apple を追放され、NeXTコンピューターを作成する際には、画面表示にも PostScript の亜種、Display PostScript を採用しました。

これで、特別なソフトがなくても、画面表示と印刷結果が「完全に」一致します。


PostScript は「言語」ですので、ファイルに記録することができます。

カプセル化された(Encapsulated) PostScript の略で、 EPS ファイルと呼ばれます。


EPS は、PostScript 形式のファイルを扱うソフト間で使用されるデータ形式でした。

アドビでは EPS のフォーマットを改良し、PostScript プリンタ「以外」でも印刷したり、画面に表示したりできるソフトを開発します。


つまり、このソフトがあれば、PostScript プリンタがなくても PostScript ファイルが印刷できるのです。なんという軽業でしょう!

このソフトは「アクロバット」と名付けられ、アクロバット用に改良されたファイル形式は PDF (Portable Document Format)と呼ばれました。


PDF ファイルでは、PostScript の機能を一部削除し、あらゆるデバイスで扱いやすいようにしています。


現在の Mac で使用されている OS (MacOS X)は、NeXT のOS をベースに開発されましたが、画面表示は Display PostScript ではなく、PDF 形式を採用しています。(画面表示システムの、Apple 社での技術名称は Quartz)




PostScript は「言語」なので、ジャンプ命令やサブルーチンコールもあります。ハノイの塔を解決するプログラムは何種類も作られていて、PostScript プリンタに送り付けると、解決手順を延々と印刷します。


一方で、「言語」であるが故のセキュリティホールもあります。

PDF で機能を一部削除したのは、このセキュリティホールを無くすためでもあります。


もっとも、言語とは言っても直接テキストエディタで記述する人は多くないでしょう。

PostScript を「直接記述」したいのであれば、普通はアドビ社の販売しているソフト、「イラストレーター」を使います。

Draw系のグラフィックソフトですが、事実上 PostScript のデータ形式を直接操作しています。

イラストレーターでは EPS や PDF も読み書き共に対応しています。


今ではアドビ社と言えば「フォトショップ」のイメージがありますが、これは 1988年に外部から購入し、1990年に発売したソフトです。

イラストレーターは 1986年には発売されているので、歴史的にはこちらの方が長いです。


アルダス社のページメーカーは、DTPのブームでライバルが登場した際に、十分に対応できずにシェアを大きく奪われました。

ライバルが次々と新機能を搭載し、便利になっていくのに、ページメーカーは古臭いまま取り残されていたのです。


その後アルダス社はアドビに売却され、ページメーカーもしばらくは販売が続けられましたが、2001年のリリースを最後に開発を終了しています。

(ページメーカーに代わるソフトとして、現代風に新規に作られたソフト、InDesign を販売しています。)


Flash の内部は PostScript ではないのですが、イラストレーターのライバル(?)ソフトであったスマートスケッチが起源ですし、アドビは PostScript の会社なのだなぁ、と改めて思います。



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