昨日、元任天堂社長、山内溥さんが亡くなった。85歳。
社長なので直接ゲームをつくったりしていた人ではないが、小さな花札・トランプ屋だった任天堂を大企業にした中興の祖だ。
もちろんビジネス的な手腕にたけていたのだろうが、それよりも「遊びの本質を捉えていた」ことの方が重要だったように思う。
父が駆け落ちで逃げているため祖父に育てられ、後継ぎとして大事に育てられた。
かなり贅沢もしているし、自由に育てられ、多くの経験をしたらしい。この経験は後で役だったのだろう。
実家は京都だが、早稲田大学に入りたい、と言えば下宿として東京に豪邸を建ててもらえる。
そして、そこを拠点に毎日遊び歩く。月に数度はステーキを食べ、ビリヤードなども熱中したという。
時は戦後すぐ。進駐軍の人間か、よほどの金持でなければそういう生活は出来なかったはずだ。
(山内氏自身、物資の横流しを行うヤミ屋と勘違いされていたそうだ。後に「組長」と呼ばれる迫力は、そういうところからきているのかもしれない)
しかし、祖父が死んで大学は中退。若いうちに任天堂の社長になった。
大学中退と言う、社内でもかなり若い人間がいきなりの社長。社内的な反発もあり、ストライキなど起きている。
しかし、遊び歩いて培った「遊びに対する勘」は鋭く、プラスチック製の高級感のあるトランプや、ディズニーとライセンス契約したキャラクタートランプなど、新たなニーズを掘り起こしてヒットを出すことで社内の反発は収まった。
さらに会社を大きくするために海外視察に出かけ、世界最大のトランプ会社を訪問した時、山内氏は衝撃を受ける。世界最大の企業なのに、オフィスは中小企業並みのサイズだったのだ。
これでトランプだけでは会社は成長しない、と危機感を持ち、非常にいろいろな方面に手を出すことになる。
ラブホテル経営までやっていた、というのはよく話題になるし、タクシーの運用や、お湯をかけるとごはんができる、インスタントライスなんていうのも発売している。
タクシーや食品は、たしかに迷走だったかもしれない。
しかし、そういう失敗があったからこそ、山内氏は「任天堂はゲームの会社だ」と強く認識するようになる。
ここでいう「ゲームの会社」は、ゲーム機をつくったりする会社ではなく、楽しみを提供する会社、と言う意味だ。
山内氏は、お客さんはゲームが遊びたいから「仕方なく」ゲーム機を買うんだ、と言う名言も残している。
その意味では、ラブホテルなんて言うのは「レジャーの提供」としてそれほど迷走ではなかったのではないかなーと僕個人は思っているのだが、どうなんでしょう?
先日横井軍平さんのことを書いたが、彼を見出したのも山内氏だ。
軍平さんの仕事は本来、設備機器の保守点検だった。開発とは関係がない。
ある時、軍平さんが暇つぶしで作っていたおもちゃを見て、山内氏は「後で社長室にこい」という。
就業時間中におもちゃなんて作っていたから怒られるかな…とこわごわ社長室に行くと「あれを商品化しろ」といわれる。
さらに、それがヒットすると開発課が新設され、軍平さんはそこに配属される。
その後も、軍平さんが電卓が安くなったのを見て「あれをゲームに転用したい」とアイディアを披露すると、すぐにシャープの社長に掛け合って生産の道筋をつけてしまうなど、とにかく動きが速い。
その一方で、慎重にならなくてはならないときは、とことん慎重だった。
ファミコンの開発やゲームボーイの開発では、技術的に限界と思えるところまで突き詰めても社長が「ダメだ」というので開発者が追い詰められた、という話が伝わっている。
また、ゲームボーイに関しては持ち運ぶものなので強度も考慮させるなど、ゲーム機としてよりも「おもちゃとしての」総合性を追求させている。
何かを生み出そうとするときは、いろいろな懸念事項があるが、それを即座に判断し、手早く済ますところはすぐに動き、慎重にならないといけないところは時間をかけてもじっくりと取り組ませる。
そういう采配の出来た人だった。
現社長の岩田さんを見出したのも山内さんだ。
もっとも、岩田さんは HAL研の社長になるよりも前から、ある程度有名人だった。
倒産しそうなHAL研を援助するときの交換条件が、岩田さんをHAL研の社長にすることだった。
岩田さんはもともとプログラマーとして腕の立つ人間だったが、これで経営手腕も身に着けた。
その後、任天堂の社長に指名したのも山内氏だ。
ただ、岩田社長下で大ヒットした DS は、まだ山内氏の指示で開発が始まったものだった。
Wii が岩田氏の本領が発揮されたことになる。
大ヒットではあったが、売れたのは本体だけで、実はソフトがあまり売れなかった、と言う事実もある。
完全に岩田体制で作られた Wii U 、3DS は苦戦している。
任天堂だけでなくゲーム業界全体が斜陽になりつつあるので、岩田さんが悪いわけではない。
軍平さんは、任天堂を「もともとスキマ産業の会社だった」と認識していたようだが、山内氏は「ゲーム会社だ」という。
ただ、どちらも「技術者は最先端技術を使いたがるが、消費者にとってそれは重要ではない」という視点は重なっている。
Wii U だって 3DS だって、別に最先端技術は使っていない。軍平さんの「枯れた技術」の思想は残っている。
だけど、消費者が本当に求めているものを送り出せているのか、と考えると少し疑問を感じる。
最後に厳しいことを言う、山内さんの役割ができていないような気がするのだ。
山内さんは京都の人間だ。
京都の企業人は、ちゃんと人を見る目を持っている、と思う。
軍平さんや岩田さんを見出したのだって、そういうことだろう。
「日本人は実績などばかり気にして人を見ない」とよく言われるのだが、京都の企業は案外人を見ているし、特に任天堂や京セラ、ロームなどは人を見ていると思うのだ。
今訃報記事を読んでいたら、任天堂の山内さん、村田製作所の村田さん、ロームの佐藤さんが、「京都の三大奇人」だそうだ。僕の認識していた京セラは入っていないが、まぁ同じような感じなのだと思う。
人を見ることができる人と言うのは、「そんなんダメだからやめろ」とは言わない。まずはやらせてみる。
やってみてダメならそこで諦めさせるが、いつでも再チャレンジ可能にさせて置く。
上手くいきそうなら、そこで叱咤して慢心させず、さらに良いものを作らせる。
人を使うときの理想だと思う。
一言でいえば「やってみなはれ」だ。
これは誰の言葉だったかな…と思って調べたら、サントリーウヰスキーの鳥井さんらしい。
正確には「やってみなはれ。やらなわからしまへんで」。
サントリーは大阪の企業で、鳥井さんも大阪出身らしい。
言葉は明らかに京都弁だけどな…とおもったら、鳥井さんは大阪でも、京都の文化が濃い地域で生まれ育ったらしい。
やっぱり、京都の人は人を見る目があるのだと思う。
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