今日は横井軍平さんの誕生日。1941~1997年。
この人は有名でしょう。任天堂を「花札とトランプの会社」から「おもちゃ/ゲーム会社」に変貌させた立役者。
軍平さんの好んだ「枯れた技術の水平思考」という言葉は、今でも時々引き合いに出されます。
十分に使われ、安価で信頼性が高くなった技術を工学分野では「枯れている」と表現します。
水平思考とは、本来の目的にとらわれず、広い視野で考えろ、ということ。
つまり、先の言葉は、安くて信頼性の高い技術を、本来とは違う分野で使えば新しい発見がある、という意味です。
ウルトラハンドのヒットは僕が生まれるより前の話だけど、僕が子供のころにはまだ「安い偽物」をよく見かけました。
駄菓子屋に安い偽物が出回るって、かなりのヒットだったってことだよね。
軍平さんは、ウルトラハンドを「暇つぶしで」作っていたのを社長に見つかって開発に引き上げられるのだけど、その後も多くのおもちゃを作り上げます。
手がけた作品は Wikipedia とかで見ることができるけど、多くのおもちゃは僕が生まれる前か、幼少の頃なので特に語れない。
N&B ブロックなら語れるが、これ自体は軍平さんの考案ではない。
というわけで、僕が知っていて語れるのはテンビリオン(冒頭写真のもの)あたりかな。
ルービックキューブが流行した時に作られたパズル。なぜか家に2個もある。
ルービックキューブの模倣品は山ほど出たのだけど、デッドコピーを除けば一番売れたのはこれではないだろうか。
ルービックキューブはかなり難易度が高いのだが、テンビリオンはしばらくいじっているとパターンが見えてくる。
じつは、ちょっと動きを複雑にしたスライドパズルで、動きの規則がわかってくると繰り返しパターンでなんとか解くことができる。
この「規則を発見すれば、時間はかかるが自分で解ける」という難易度が絶妙で、ドイツを中心としたヨーロッパで大ヒットとなったそうだ。
もっとも、軍平さん自身は仕組みを考えて「パズルとして成立するだろう」と言う程度で、自分では解けなかったらしい。
スライドパズルとの類似性は、発売後に明らかになっただけ。
テンビリオンの次の軍平さんのヒットは、「ゲーム&ウォッチ」だ。
電卓戦争を過ぎて電卓が一般化し、安く作れるようになった。じゃぁ、その技術でおもちゃを作ったらどうなるか? という発想。
「枯れた技術の水平思考」だ。
このシリーズを作る途中、ドンキーコングで「十字ボタン」という最大のヒットアイディアも飛ばしている。
ゲーム&ウォッチのドンキーコングはこのサイトで遊べるね。
#上のサイト、著作権問題微妙。ゲームは問題ないが、キャラクターなどの絵柄が…
もっとも、真似して書いたのではなく写真を使っているため、「事実の報道」に近い立場で問題ないともいえる。
そして、十字ボタンのアイディアを引き継いでファミコン登場。
ただし、ファミコン自体は軍平さんの作ったものではない。
今でこそ左手の親指で十字ボタン、右手で各種ボタン、と言う操作が当たり前だけど、ファミコン当時のゲーム機はそうではなかった。
大体、業務用ですら「自分の移動は右手か、左手か」というのがよく議論されたものだ。
業務用でも中央にジョイスティックを置いて、左右に同じ機能のボタンを配置している場合があった。
このころの家庭用ゲーム機では、小さなジョイスティックが付属していることが多かった。
少し縦長の台を片手で持ち、もう片方の手でジョイスティックを操作する。
ボタンは台についていて、持っている手で押す。
スティックの上にボタンがついているタイプもあった。
この場合、スティックを握り、親指でボタンを押す。
当時は他にないから疑問には思わなかったが、あまり使いやすくはなかった。
ボタンを押すために台が揺れると、ジョイスティックが「傾いた」と判定されてしまうことがあるのだ。
これに比べると、十字ボタンは、現在押している方向がはっきり伝わる。
もっとも、初期の(四角ボタンの)ファミコンでは、押すための力が強めでなくてはならず、斜めに入れづらかった覚えがある。
当時は「そういうものだ」と思っていたのだが、後にファミコンが壊れて修理してもらったら丸ボタンに変わっていて、斜めに入れやすい程度のボタンの硬さに変わっていた。
ボタンの形はよく話題になるが、こうした地味な改良も行われていたのだ。
ファミコンの十字ボタンがあっという間に世を席捲したのは皆が知っての通り。
先に書いた「右手・左手論争」も、ファミコンの普及と言う圧倒的事実の前にいつか消えてしまった。
この十字ボタン、特許の絡みもあって他社は真似できない、とよく言われたが、セガもソニーもうまく特許回避して真似ていた。真似したくなるほど出来が良かったのだからたいしたものだ。
(もっとも、セガの「真似」は、斜めに入りやすすぎる問題があった。ソニーはうまく真似したし、今でも基本的な形が変わっていない)
軍平さんはその後、ゲームボーイやバーチャルボーイも作っている。
…バーチャルボーイは黒歴史だから忘れてやれって人も多いが、無視するのも不自然だろう(笑)
ゲームボーイは、任天堂のその後の屋台骨の一つですね。
軍平さん自身も自身の最高傑作の一つだと考えていたようだけど、実際すごくよくできている。
これを真似したゲームギア(セガ)や Lynx(アタリ)はカラー液晶だった。
それをみて「(相手が)カラーなら勝てる」と言ったとか。
機能スペックではなく、「おもちゃ」としての全体バランスを重視していたエピソードだ。
そして、バーチャルボーイを最後に任天堂を退職。
#実際にはゲームボーイポケットが最後だけど、これはマイナーチェンジだ。
当初はバーチャルボーイ大失敗の責任を取った、みたいに言われたけど、事実は違うようだ。
ゲーム業界はこの頃から開発競争が激化し、最新技術を惜しみなく投入するようになった。
これは、軍平さんの好きな「枯れた技術」ではないのだ。つまり、任天堂にいても好きな仕事を続けることができなくなった。
また、50を超えたら好きなことをやりたい、と以前から思っていたともいう。これも事実だろう。
そして、株式会社コトを設立。
ワンダースワンなどを作るが、わずか1年で交通事故により死去。
今、コトはどうなっているのだろう?
と思って調べたら、ベネッセと仲が良いようで、チャレンジの教材などを作っている。
最新作は「漢字計算ミラクルタッチ」。
…うちの長男が持っている。今年の小学3年生が1年間使うために、4月号で届けられた教材だ。
3年生で習う漢字と、計算がすべて学習できるように作ってある。
学習時間などを測るタイマー機能もあるし、毎日の勉強時間が来ると教えてくれるアラームにもなっている。
白黒液晶だけどスマホ風のタッチパネルだし、ちゃんと勉強すればご褒美のゲームが遊べるようになる。
たまごっち的なキャラ育てゲームにもなっていて、勉強しないとキャラが育たない。
非接触通信なんかも搭載していて、友達と簡単な通信ゲームもできるようになっている。
特に突出した部分はないのだけど、いろいろなアイディアをそつなく盛り込んである。
まさに、「枯れた技術の水平思考」なのだろう。
基本的にはただの「お勉強タイマー」と考えてよいのだけど、時々イベントが起こる程度、というのんびりさ加減が上手いようだ。うちの子は結構楽しんでつかっている。
案外身近なところに軍平さんの遺志が継がれていることに驚いた。
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