エンゲルバートが88歳で亡くなったらしい。
昨日のニュースで知ったが、亡くなったのは7月2日だそうだ。
彼は「マウスの父」と称されることが多いのだが、これはとんでもない過小評価だと思う。
むしろ、マウスは彼の「消し去りたいもの」、いわゆる黒歴史だったはずだ。
(昔のインタビューでは、こんなに普及するならもっといい装置にしたかった、作った当時は出来の悪い「暫定装置」だった、と答えていた。
最近のインタビューでは、これほど普及した装置を自分が作った、と素直に喜ぶ傾向にあったようだ。)
ダグラス・エンゲルバートが作ったのは、マウスなんかではない。
彼は、現代コンピューターのすべてを作り出したのだ。
追悼を込めて、自分の思い出を語る。
まだ中学生だった 1984年。アメリカで Macintosh というパソコンが発売された。
Apple // が憧れだった頃、その Apple から全く新しいマシンが発売になった、というので興味を持った。
しかも、今までのパソコンとはまったく操作系が違うらしい。
それから数年後、Mac を触らせてもらえる機会に恵まれた。
まだ漢字 Talk が 2.0 のころ。漢字を使うなら漢字 ROM が必要、という当時の常識に反し、Mac ではアメリカと同じハードウェア上で、ソフトウェアのみで漢字を表示していた。
そして、はじめて触ったマウスに感動した。
お絵かきソフト以外に使い道もなく、当時まだめずらしかったマウスの意味が初めて理解できた。
早速自分の MSX 用のマウスを買い(当時は高価な周辺機器だった)、Mac 書道の真似事などして遊んだ。
そんな経験があるので当時理解されなかった HALNOTE を購入し、Mac に憧れる状況が続く。
大学に入ると、マシンルームに Mac が置いてあった。
当然遊びはしたが、憧れのものを触れるようになると、憧れはさらに先へと進んでいく。
Mac はアラン・ケイの Alto をベースにしている、と知り、Smalltalk に興味を持った。
アラン・ケイは、その頃の僕のヒーローだった。
当時のコンピューターの利用方法とは全く違う、グラフィカルな操作体系を一人で考え出した…と思っていたのだ。
しかし、調べるにつれ、そうではないことがわかってきた。
アラン・ケイの前には、ダグラス・エンゲルバートがいた。ケイのシステムは、エンゲルバートのオーグメントを元にしたものだったのだ。
オーグメント…古い名前を NLS と呼ぶが、これは世界で最初のテキスト処理環境だ。
コンピューターが「計算機」であり、計算のみに使われていたころ、コンピューターの能力を使えば文字を操作することもできると気が付き、テキスト環境を作り上げた。
NLS には、世界初の「ラスタースキャン・ディスプレイ」が装備されていた。
NLS には、世界初の「ワードプロセッサ」が作られていた。
NLS には、世界初の「アウトラインプロセッサ」が作られていた。
NLS には、世界初の「オンライン・チャットシステム」が作られていた。
NLS には、世界初の「ビデオ会議システム」が作られていた。
そして、NLS には、世界初の「マウス」が作られていた。
この大発明をした人を、「マウスの発明者」と呼ぶのは過小評価だとわかって貰えるだろうか?
大学4年生の時、卒業研究にハイパーテキストを選択した。
研究室は自然言語処理を専門にしていた。ハイパーテキストは自然言語処理ではないが、教授は僕が強く興味を持っているのを見て、見逃してくれた形だ。
(それでも、ハイパーテキストを研究するには、自然言語処理の研究室が一番ふさわしかった)
ハイパーテキストと GUI は必ずしも表裏一体ではないが、GUI によるテキスト処理、という流れから、アラン・ケイ以前にあった NLS の重要性を示唆してくれたのも、担当教授だった。
さらに、教授はエンゲルバートに数度会ったことがあり、オーグメントについて論じた論文を取り寄せてくれた。
たった一人で、コンピューターを「計算機」から現在の形に変えた。
この頃、エンゲルバートは僕のヒーローだった。
もっとも、エンゲルバートが最初ではない、ということも、最近になってやっと理解できて来た。
NLS は、最初の「ラスタースキャン」ディスプレイは備えたが、ディスプレイ自体は最初ではない。
NLS は、最初の「ワードプロセッサ」を作り出したが、これは現代的な意味での「ワープロ」ではない。
アウトラインプロセッサやチャットに至っては、その仕組み自体がややこしいので「最初」と説明したところで理解して貰いにくい。
結果、わかりやすいのは「マウスの発明者」という説明になるのだろう。
自分がエンゲルバートの説明を書いたころ、彼はまだ僕のヒーローであり続けていた。
だから、彼を非常に偉大に書いてある。
エンゲルバートは、海軍のレーダー技師で、ディスプレイに向き合う仕事だった。
だからディスプレイを接続したコンピューターを着想した。
…と、歴史の本には書いてあった。
今、あったことのある方のお悔やみ記事を読んだところ、そのレーダーではライトペンを使ってレーダー機器と対話できたらしい。
だからこそ、文字を使った対話である「オーグメント」を着想したのだという。
…これ、レーダーと言ってもSAGEのことだ。
すでにコンピューター処理式であり、自分が考えていた、アナログで動作するレーダーではない。
つまり、エンゲルバートは「レーダーと対話」していたのではなく、SAGE システムというコンピューターと対話していたことになる。
エンゲルバートが最初にコンピューターとの対話を着想した、と言うのではないのだ。
エンゲルバートが NLS の開発を開始したのが 1957年。1960年代から本格化したようで、1964年には軍から予算がついている。
同じころ、1958年には TX-0 が学生たちに開放され、学生たちはテキストエディタやチャットシステムなどを作り出している。
…エンゲルバートが「少し先に」テキスト処理を着想したのは事実だが、彼がやらないでも誰かが世界初のテキスト処理を実現しただろう、ということだ。
コンピューターがバッチ処理で計算する、ただの「計算機」から脱却し、対話的な装置になりつつある時代だったのだ。
エンゲルバートがコンピューターを変えた。
今、僕がこうして文章を書いているのも、この文章をあなたが読んでいるのも、彼がいたからなのだ。
彼がいなかったとしても、誰かがやっていただろうとは思う。
しかし、それが彼の偉大さを減じるものではない。
そういう時代に差し掛かっていたとはいえ、正しい方向に導いたの彼なのだから。
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