目次
03日 ボーリング
05日 水星とプラネタリウム
06日 Nexus 7 買った
12日 nexus 7 と US キーボード
13日 答えは重要ではない
17日 湘南台こども館
18日 ふたござ流星群
21日 サンタクロース
26日 クリスマス
妻の誕生日だったので、どんなお祝いがいい? と尋ねると、家族みんなでボーリングに行こうという。
家族で気軽に楽しみたい、ということもあるが、長男(8歳)にボーリングを教えたいのもある。
地域の子供会で、昨年度末にボーリング大会があったのだけど、長男はボーリングをやったことが無いので尻込みして参加しなかった。
子供が生まれてから、ボーリングしていない。本当に久しぶり。
3歳児もいるので、ガーターにならないレーンにしてもらった。
ガーターの溝の手前にバンパーが立っており、ボールを跳ね返す。
最初しばらくは僕は調子が良い。3連続スペアとか出した。
でも、5歳と3歳の下の二人の面倒も見て、一緒に投げているので早くも疲れが出て、後半ぼろぼろ…
妻はカンを取り戻すのに苦労して、前半ひどいスコア。でも後半ダブルとか出す。
長男、はじめてなのでひどい投げかた。
教えて頭では理解できるようだが、重いボールに振り回されて体が思うように動かない。
(とはいえ、子供向けの5ポンド球。これが一番軽かった)
しかし、バンパーに3回跳ね返ってピンを8本倒したりする。
とにかく倒れれば本人は喜ぶ。「うまくいった」気になっている。
長女と次女は、ボールを投げることすら難しいので、レーンの手前において、押す。
当然超スローボール。ピンに届くで1分近くかかるし、ピンの手前のセンサーが「ボールが通った」ことを感知して倒れたピンを排除するときに、まだピンを倒している最中だったりする。
当然、スコアが正確に記録されない。
なによりも、次女はガーターが出ないはずのレーンでガーターを出した。これには驚いた。
バンパーは、ピンのわずか手前で終わっている。余りに遅いボールがバンパーに沿って転がり、最後のわずかな隙間で転がり落ちたのだった。
1ゲーム目。妻と長男が127点で同点。僕は126点。なんと、長男に負けてしまった。
もう1回やりたい、という長男のために、2ゲーム目。
長女と次女は疲れて飽きているのでやらない。
(この二人のボールが遅いのが全体の進行を遅くしていたので、2ゲーム目は高速に進む)
しかし、僕はもう疲れて、2ゲーム目は100に届かず。なんてひどいスコアだ。
妻は2ゲーム目にもダブルを出し、長男もストライクを出した。最終的に妻の勝利。
長男はまたやりたいらしい。まずはフォーム矯正しないとな。
とりあえず、Wii Sports でも(いまさら)引っ張り出すか。
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いつものように4時半に起きて皿を洗っていると、5時ごろ妻が起きてきて「おっきいスマホ貸して」という。
おっきいスマホ、とは、仕事で借りている Galaxy nexus (SC-04D) のこと。
3G通信しなければ自由に使ってよい、といわれているので家で便利に使っている。
妻はしばらく空中であちこち動かし、「ちょっと出かけてくる」。
これで大体察しは付く。空中で動かしているのは、Google Sky Map を確認しているのだ。
ということは、なにか珍しい天体現象があるということだ。
なにがあるの? と聞くと、水星の西方最大離隔だそうだ。
って書いたところで何のことやらわからない人のほうが多いだろう。
太陽の周りを回っている惑星、一番内側は「水星」だという知識を持っている人は多いと思う。
では、水星を見たことある人は?
水星を見るのは結構難しい。太陽の近く過ぎて、太陽がまぶしくて見えないのだ。
見えるのは、太陽が地平線に沈んでいて、水星だけが空に現れる瞬間だけ。
「だけ」と書くのは簡単だが、このタイミングが難しいのだ。
太陽から見て、東側に水星が離れた場合、太陽が沈んだ直後に見られる。
つまり、夕方に水星が見られる。
妻はこのタイミングを狙ってここ2年くらい水星を見ようとしていたのだが、そのためには太陽が地平線・水平線に沈まなくてはならない。
家の近所でそのような条件の箇所が見つからず、なかなか見られないでいた。
我が家は鎌倉で…中学校の歴史で習うと思うのだが、鎌倉は山に囲まれている地形なのだ。
そこで、考え方を変えて、太陽から見て水星が西側に離れた場合、つまり明け方に見ようとしていた。
家の近所で出来る限り東の空が開けて…地平線が見えるような箇所を探していた。
西方最大離隔、とは、つまり今日が西の方角に一番離れる日だと言う事だ。
というわけで、今から見つけておいた場所に行ってみるつもり、とのこと。
新聞を取りに先ほど外に出たが、今朝は初霜が降りていた。しっかり防寒して、という。
僕も興味はあるけど、子供が起きてくるといけないから家にいる。
しばらくして、「みえた~」と言いながら帰ってくる。
しかも、「確認して帰ってきたら、家の庭からも見えてた~」とのこと。
せっかくなので望遠鏡で見る、と準備しているので、僕も外に出る準備をする。
庭先なら観察できるから。
見ると、たしかに水星が見えていた。
夏だと太陽は山の端から出るために水星観察が出来ないのだが、冬至の近い今は、ぎりぎり谷戸の中央、山の切れ目の部分に出てくるようだ。
水星のすぐ上には金星。さらにすぐ上に土星。ほぼ直線に並んでいる。
さらに直線を延ばすとスピカが光っているが、これは偶然。
惑星って、ちゃんと同一平面状にあるねぇ、と僕が言う。
そして平面が微妙にずれてるねぇ、と妻が言う。
実際それがわかる配置になっているのだ。
#以下、5日後の追記
一度見えるポイントがわかれば、「最大離隔」でなくても結構見えることがわかった。
水星の動きは速いが、5日経ってもまだ見える。
追記終わり。
さて、そんなわけで妻の以前から念願であった「水星を見る」という夢を果たしたわけだが、ついでにもう一つ。
今日大平さんのイベント行かない? と持ちかけてみる。
大平さんとは、メガスター作者として有名な大平貴之氏のこと。
(という説明でわからない人は、ここから先は読んでもつまらないだろうから帰ってよろしい)
その大平さんが、六本木ヒルズでスカイ・クルーズ・プラネタリウムというイベントをやっているらしい。
先日知って妻に教えたところ、見に行きたいと言っていた。今なら二人とも仕事が多少余裕があるんで、忙しくなる前に見に行こうという相談だ。
妻も異論はないようで、見に行く。
結構チケット高いです。2000円。
でも、これはプラネタリウム代だけではなく、展望台と、美術館の入場料金込み。繋がった施設だから込みこみなのね。
プラネタリウムイベント開館時間前だったので美術館を見に行く。
…知らない作家さん。というか、僕は美術作家なんてほとんど知らない。
えーと、美術品なので、実物を見ると迫力が違うと思います。
ネットでも検索は出来るだろうけど、絵に関しては多く語らないでおきます。
興味のある人は見に行きましょう。
と、前置きした上で。
中二病です。いい年した作家さんだけど、すごく中二。
前半、中二っぷりに「なにが評価されている人なんだろう」と理解できなかったのだけど、それはある程度時代を追いながら展示してあるから。
最初は、本当に中二病。自分の欲望を丸出しにするのが恥ずかしいから、斜に構えている。欲望を丸出しに見せたいくせに、見せたくないフリをしているのが、非常にウザい。
でも、最近の作品に行くに従い、中二っぷりが切れを見せ始めます。欲望丸出しで、斜に構えるところがなくなると、むしろすがすがしい。
で、最後は圧倒されて、確かにすごい人だと認めるようになりました。
代表的な作風は、かわいい女の子を裸に剥いていたぶること。
手足ちぎって料理していたり、手足切断して犬扱いしていたり、シューティングゲームのターゲットとして惨殺したり。
もう、エロ漫画でも描かないような、「かわいい女の子を自分の好きなようにもてあそびたい」という願望をそのまま出した感じ。中二としか言いようが無い。
でも、中二であることは本人も自覚しているし、それを確かな技術で描いていたりするので、エロ漫画とも違う独特の世界になりえている。
それ以外の作品も多数あった。たとえば、平安時代の巻物のように、綺麗な和紙を長くつなげて、崩し字の美しい綴りで言葉を書き連ねていた作品があった。
なんだろうと読んでみると、2ch のどっかのスレから抽出したと思われる罵詈雑言が、延々と書き連ねてある。
非常に美しい文字で。「美しい日本語」として。
ひとりでデモ行進が出来るマシン、というのもあった。
マイクに向かって演説をすると、最後の部分だけを後ろの人形たちが合唱する。シュプレヒコール、ってやつを自分ひとりだけで行える。
人形がおざなりに作ってあるいい加減さに、こういったデモ行進は「どうでも良いのだ」という感じがにじみ出ている。
デモ行進、という何かに対する反逆に対して、反逆している感じがある。
近年のテーマとしては、ダンボールで安っぽい彫像をつくる、ということがあるようだ。
ワークショップとして、素人に巨大なダンボール細工を作ってもらう。寄せ集めて芸術作品とする。でも、ダンボールだから展示が終わったら捨てる。
本来、長期保存が前提の「美術品としての彫像」を、気軽に、いい加減に作って捨てるもの、として再定義しようとしている。
結局、この作家さんとしては、すべてに反逆することから始まっているようだ。それと、中二的な悪ふざけ。
美しい絵にもどこか毒があるし、エロ漫画みたいな絵も、それが眉をひそめられることを理解したうえで描いているのだろう。
さて、目的ではなかった美術展の話を長々書いたのにはわけがある。
最終的な評価として、チケット代2000円のうち、1500円分くらいは美術展の料金だな、と思ったから。
…そう、期待していったプラネタリウムは、かなり期待はずれでした。
300円くらい出してもいいかな。残る200円は展望台の料金ね。
たぶんね、水星を見て喜んでいるような、本当に星が好きな人が見に行っちゃいけなかったんですよ。
しっかりと物は作ってあるし、言い方は悪いのだけど「大学祭かとおもった」。
やりたいことはわかるのだけど、なんだかスマートでない、もどかしい感じ。
六本木ヒルズだから、おしゃれなデートコースとして気軽に入るような人向けに作られているのだと思う。
…でも、その割にはウラシマ効果とか、泡状宇宙とか、40億年後のアンドロメダと銀河の衝突とか、そういう話も出てくる。
大平さんが星好きだからそういう話題を交えたかったのかもしれないけど、全体の中では「その話題出す必要あったの?」というような中途半端な扱いで、誰に向けてメッセージを出しているのか謎すぎる。
わざわざ鎌倉から電車で見に行くようなものではありませんでした。
星好きの人が見に行くようなものでもない。
おしゃれなデートコースに組み込むにしては、理系説明が面倒なのでこれも向かない。
(説明なんかすっとばして、キラキラ輝く星に「わーきれー」って言っているだけならいいけどね)
まぁ、たまたま通りがかって、理系の素養はあるけど星や宇宙論に詳しいわけではなくて、でも知りたいとは思っていて、2000円を気軽に出せる、という人なら見ても損は無いです。
(なんだかすごく狭いターゲットだな…)
翌日追記:
書いた後で調べたら、美術館に入るチケットもあって、1500円だった。
この金額で、展望台も入ることが出来る。
だから、主催者側としてはプラネタリウムは500円くらい、という認識のようだ。
まぁ、妥当な金額だと思う。
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すでに話題になって久しいし、特に目新しくも無いけど、Nexus 7 買った、と記録しておく。
Google Play から注文したのは先週の水曜日。
初期に買った人のBlog記事などに寄れば、海外から発送される、とのことだったけど、すでに日本でも人気が出ているし、どうせ国内から発送だろうとタカをくくっていた。
…シンガポールのgoogle法人から注文明細が届いた。
つづいて Fedex で送った、という、メールが届き、発送地は香港だった。
まぁ、のんびりまとうと思ったら、Fedex はやいはやい。翌日には税関に到着し、翌々日の金曜日の朝には横浜の集配センターまで来ていた。
これは、金曜日中に到着するか! …と心待ちにしたが、届かなかった。
ネットで調べると、Fedex は国内に入るまでは早いが、国内に入ると信じられないくらい遅い、という評判が見つかる。
国内配送は西武運輸が行っているが、主に企業向けの運輸会社なので、多くの企業が休みである土日は配送を行わないのが原因らしい。
まぁ、最初からのんびり待つつもりだった。週末は届かないものと諦めよう。
土曜日は子ども会で近所の公園の草取りがあったので、家族総出で公園まで行って、適当に掃除しながらこどもを遊ばせる。
…帰ってきたら、日通航空の不在者票が入っていた。
Fedex の提携先は西武運輸で、「沖縄のみ」日本通運だと Wikipedia に書いてあったが、さすが Wikipedia だ。嘘だった。
というわけで、すぐさま再配達のお願いをして Nexus 7 入手。
目的の一つとして、妻の誕生日プレゼントでもあったので、間に合った。
(僕も共用するのだけどね)
ところで、一緒に使う予定のNexus 7 専用キーボードは国内からの発送だったので、注文翌日には届いていた。
話が前後してしまうが、昨日の日記に書いたように、妻は仕事で借りている Galaxy Nexus (通称「おっきいスマホ」)を頻繁に使っている。
主に WEB で調べ物をしているのだが、出来ることならメールもやりたい、という。
Galaxy Nexus では、仕事で使うべく自分のアカウントを設定しているので、それは出来ない。
じゃぁ、安いし画面広くて便利だし、Nexus 7 買ってしまおう、という流れだった。
本当は、Nexus 10 を欲しくて迷いもしたのだが、Google は「国内でも売る」と言っておきながら売ってくれないし。
出さないなら出さないと最初から言ってくれれば、2000円クーポンが付いてくる期間中に購入したのに。
(今回購入したのは、最近発売の32Gモデルではなく、安いほうの16Gモデル。うちの使い方ならこれで十分なので。しかし、この機種なら1ヶ月前に買えばクーポンが付いてきた)
すでに Android 4.2 発表後だが、Nexus7 は 4.1 インストールで送られてきた。
速攻で強制 4.2 インストール。(普通に使っていると、自動アップデートまで結構待たされる)
妻と僕が共用するので、4.2 の新機能であるマルチアカウント使いたいから。
購入して1週間ほど使っているが、これと言って特筆すべきことは無い。
画面が大きくてすばらしい! ということも特に無いし、非互換に困った、ということもない。
つまるところ、何のトラブルもなく便利に使えているよ、ということです。
ガジェットとしては一番望ましい状態。
#一応、画面が広いのでコミックビュワーが使いやすいとか、WEB が使いやすいとか、そういうメリットはあります。
でも、画面が狭くても出来ていたことが「ちょっと便利になった」程度で、特筆するほどではないの。
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Amazon Fire HD 10 購入【日記 19/04/26】
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22年 iPhone の Javascript で Howler.js を使う
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特にトラブルはない、と書いて日が浅いが、トラブル話。
そういえば、先に日記を書いたときに、すでに1件問題が生じていたのであった。
しかし、問題の切り分けが出来ておらず、「自分の設定のせいだろう」くらいに思っていた。
これが、根が深いので記録しておく。
同じ症状で悩んでいる人は多そうなので、役に立つかもしれない。
時間とともに解決されそうな問題なので、日付に注意しないとまったく役に立たないかもしれない。
先に書いたとおり、Nexus 7 には、専用のキーボードを一緒に買った。
日本では Nexus 7 は「好き者の間で」盛り上がっている程度なのだが、アメリカではかなりのヒット商品になっている。
そのため、Nexus 7 専用の商品が結構発売されている。
専用キーボードはその一つ。
しかし、どこかの会社が販売している、というものでもない。
どうも、中国あたりの会社が作ったものを、OEM で多数の会社から販売させている。
(Nexus 7 を設計・製造している ASUS だって台湾の会社だ。中国・台湾あたりにはよいものは作るのに独自ブランドを持たず、 OEM で販売する会社は非常に多い)
まぁ、いろいろ説明するより、実物のレビューを書いている人もいるので、そちらを読んだ方がわかりやすい。
Nexus 7 とまったく同サイズで、ピッタリはまるカバーとなり、共通の充電器で充電が出来る。
妻は「純正品かと思ってた」というくらい良く出来た製品。
OEM 先によって2580円~6980とかなり値段に幅がある。
ハードウェアは全く同じもの(箱やマニュアルなどは違うかも)なので、自分は最安値で購入した。
さて、このキーボードだが、US キーボードである。
レビューのページにあるが、US キーボードとしては「TABキーが無い」という欠陥を持つ。
自分は JIS 派で、US キーボードは若干苦手ではあるが、ものすごく使い込もうというわけではないので、これでも OK。
(HP-200LX だって、変則キーボードだけどベースは US だった)
TAB がないこと以外は、ごく普通の Bluetooth US キーボードだ。
Android は Bluetooth のサポートは行っているが、キーボードを認識するかどうかは「メーカー依存」だった。
それが、4.0 からはキーボード認識が標準になり、4.1 からはレイアウト変更が可能になり、4.2 からはユーザーが追加レイアウトをインストールできるようになっている。(作ることも可能だが、知識が必要)
…と、ここまでが前知識。
先に書いた専用キーボードは、TAB がないという問題はあるが、ごく普通の US キーボードであり、レイアウトは標準で入っている。
これを使えば、キーボード上の刻印どおりの文字が打てる。
しかし、である。なぜか日本語入力中は、JIS キーボードとして認識されてしまう。
さらにいえば、「日本語IMEを通して」アルファベットを入力していても、JIS キーボードとして認識されてしまう。
IME を使わなければ、ちゃんと US キーボードとして認識する。
なにかがおかしい。
IME の存在でおかしくなるのだから、当然 IME が悪いのだろうな、と、標準ではない IME を入れてみる。
ちなみに、Nexus 7 の標準 IME は、iWnn 。Watashino Namaeha Nakanodesu. の略、というのはどうでもいい話だな。(今ネット検索したら、この話当たり前に流布しているのね。15 年前だと、Wnn は有名だったけど名前の由来知っている人は限られていたから、この話するとウケタのに)
これを Google 日本語入力に変えてみる。
…やっぱりあった。Google 日本語入力の設定の中に「ハードウェアキーボード」のレイアウト変更がある。
ここを US キーボードにしたら、IME 入力中でも刻印どおりに打てるようになった。
しかし、別の問題が発生。
Google 日本語入力では、日本語/アルファベットの入力切替に、「半角/全角」キーを使うらしい。
US キーボードにはそんなもの付いていない。タッチパネルの左下に切り替えボタンも出してくれるのだが、いちいち押すのが面倒くさい。
iWnn では Shift + Space で切り替えが出来たのに。
しかし、OS でキーボードレイアウトを選ばせているのに、IME でも選択させるというのも奇妙な話。
問題の根本は、Android 4.0 以前は、公式な Bluetooth キーボード対応がなかった、ということにありそうだ。
さっきから IME と書いているが、これは Android の用語としては正しくない。
Windows でいう「IME」の機能は、Android では「キーボード」の一部だ。
キーボードは、画面上にソフトウェアキーボードを表示し、入力を OS に渡す役割がある。
だから、Windows でいう IME と違って、英語環境でも動作する。日本語(だけでなく、CJK 言語圏)だけの問題ではない。
日本語の場合、ソフトウェアキーボードの表示と入力検知だけではなく、漢字変換までを行っている、というだけだ。
結局、OS から見れば「キーボード」のソフトを起動して任せておけば、入力文字列が送られてくる、というだけで変わりは無い。
つまりは、「キーボード」は、入力をすべて司るソフトウェアだ。
だからこそ、Android が公式に Bluetooth に対応する以前から、iWnn や Google日本語入力が、Bluetooth キーボードの対応を行ってきた。
Android 4.0 以降、OS が Bluetooth キーボードの処理を行うことになった。
ここらへん、どういう枠組みで動かそうとしているのかわからないが、iWnn なども、Android 4.0 以降であれば、OS を通して Bluetooth キーボードのキーを検知すべきなのだろう。
しかし、まだシステムは切り替わったばかりで、アプリケーションが追いついていない。
今までどおり、IME に当たる存在が、キーボードのハードウェアを直接処理している。
そして、その処理が大変だからこそ、「日本語を扱うのだから、キーボードは JIS ってことで」処理しているとしても、心情として理解できる。
レイアウト変更に対応している Google日本語入力が褒められるかといえば、OS と IME の2箇所でキーマップを扱うようになっているという混乱が生じているだけで、あまり良い状況ではない。
結局、これは「Android 4.x は互換性が悪い」という、ありふれた話に帰結するのだろう。
結局、日本語入力したいなら JIS キーボード使え、って話なのかもしれないが、一体感のあるキーボードというのは結構魅力だ。
というか、買っちゃったから使いたい。
当面は、IME を探せば解決できる問題かもしれない。その一方で、IME は入力のしやすさを非常に左右するので、むやみに変なものを入れようとも思わない。
まぁ、今のところ、ここら辺が悩みどころ。
当面は、刻印が違っても気にしない、というのが対処法になりそうだ。
(JIS になっている、と解っていれば、刻印と違っても大体の記号位置は覚えているので)
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22年 Windows 11 の 22H2 アップデートでネットがつながらなくなる
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新聞報道によれば、脱ゆとり教育の成果があらわれて、小4の学力調査で、理科・算数の国際的な順位が上がったのだそうだ。中2の学力調査は横ばい。
しかし、「理数は楽しいか」「将来理数を役立てた職業に就きたいか」のアンケート結果は非常に低い。
脱ゆとり教育で知識は植えつけられたが、理数の「楽しさ」は教えられていない、という傾向。
一応、数学コーナーを(ほったらかしだけど)書いているので、コメントしておくことにしよう。
理科離れ、という言葉が言われて久しく、そのために学校教育の改革が行われているけど、実のところそこは余り問題ではないように思う。
教育論には詳しくないし、教育の現場も良く知らない素人が何かを語るのはおこがましいのだが、いろいろと思うところがあるので書き連ねる。
僕の日記ではあまり書かない(でも時々顔を出す)政治問題も絡んでくる。
理科や数学が嫌いになる要因は、「勉強についていけなくなるから」ではないと思う。
そんなの、昔から付いていけない子はいっぱいいた。ゆとり教育で「付いていきやすい状況」になっても、理科離れは止まらなかった。
(理科離れは相変わらず進み、学力も低下する、という最悪状況に陥った)
ちなみに、僕は数学と物理は完全に落ちこぼれていた。でも、今でも数学好きだし、理科好きだ。
だから、「学習到達度」と「理科離れ」は必ずしも関係は無い。
(全く無い、とは言わない。やはり、付いていけなくて嫌になる子は一定数いるだろうから)
本来、理科は机上学問ではない。フィールドの学問だ。
それを教室で教えるからよくない、もっとフィールドに出るべきだ、という話も昔からある。
それはそうだと思う。
実際、これらの声を受けて、現在の小学校低学年の授業では、「理科」という教科はなくなっている。
理科は「生活科」の一部となっていて、この生活科というのは、できるだけフィールドに出て、当たり前に思っている自分たちの周辺を観察しよう、という教科だ。(社会科と理科が混ざった状態と思ってよい)
しかし、フィールドの時間を増やしても、やはり「理科好き」は増えていないという現実がある。
もっといえば、学習時間の都合でフィールドにばかり出られないのは、「理科が好き」という答えが多い諸外国だって同じではないかと思う。
フィールドに出ることは、必ずしも理科の楽しさを教えることと一致はしないだろう。
(これも、全く無い、とは言わない。時間が許すならフィールドに出たり、実験したりしたほうがよいのは当然だ)
おそらく、理科や数学が嫌いになる最大の要因は、「答えが正しいか間違っているかがすぐわかる」からではないかと思っている。
体育や音楽では、絶対的な正解なんて存在しない。
演奏が下手でも、逆上がりができなくても、「まぁ、できなくても生活に困らないから」と許される。
国語にも、絶対的な正解なんて存在しない。
漢字テストで「ハライとハネが正確でない」とバツをもらっても、字として読めればまぁいいかな、となる。
作者の心情が読み取れなくても、実際のところ作者が何を考えていたかなんて誰にもわからないわけで、学校のテストでは間違いってことになるけど、まぁいいよ、って話になる。
しかし、理科や数学には絶対的な正解がある。数字を間違えると容赦なく減点され、親にも「成績が悪い」と怒られることになる。
この構造で、勉強を好きになれ、というほうに無理がある。
子供はほめて育てろ…どころか、大人だってほめて育てろと言われる世の中で、理科と数学の教育だけが、できない人間を減点する厳しい方法で動いている。
まず、この意識を変えなきゃダメだ。
「教育システムを」変えるのではない。周囲の大人の意識を、社会全体の意識を変えなくちゃいけない。
勉強なんて、できなくても構わない。体育や音楽が「できなくてもいいや」と言われる程度には、理科や数学だって「できなくてもいいや」といわれないといけない。
ただ「できなくていい」と言い続ければ学力は低下する。それは本意ではない。
体育や音楽で、できない人間ががんばると「根性があった」とほめられたりする。
なのに、現状の数学や理科では、根性は評価されない。答えが間違っていれば「ダメ」という厳しい世界だ。
でも本当は、数学や理科にだって「根性」に相当する評価が可能だ。
そして、実際のところ、この部分こそが「理数系の愉しみ」の部分なのだ。
理数系では、答えは一つしかないかもしれない。
でも、応えに至る道は多様だ。いろんな考え方が合ってよい。むしろ、いろいろな考え方をしなくてはならない。
学校教育では、とにもかくにも、「問い」を設定して「答え」を導かなくてはならない。
だから、答えにいたる道筋を先生が紹介することになる。
ここで、紹介されるのは、過去数千年の人類の歴史の中で洗練された方法であることが多い。
それこそが、後世に…自分たちの子孫に残したい、英知の結晶だからだ。
でも、10年やそこらしか勉強していない人間が、過去数千年の英知の結晶に触れたとしても、「楽しい」とは思えない。ただ、そうやって解くものだと「暗記」しようとして、別の方法が多様にある、という楽しさまで見落とすことになる。
理科って言うのは、正解を求めるものではない。疑問を楽しむものだ。
なんで空は青いのだろう?
なんで海は満ち干きするのだろう?
宇宙の果てはどこにあるのだろう?
流れ星の正体ってなに?
いちおう、これらに対する「正解」は数通りはある。「小学生に聞かれたときの、それらしい説明」と、「科学を理解する人に対する説明」と、「現状一番もっともらしい説」だ。
つまり、こんな簡単な質問ですら、「正解」は一通りではない。
でも、正解を知る、なんていうのは「些細なこと」だ。
正解を知りたいと思い、もっともらしい説明をひねり出すことが理科の一番の楽しみだ。
その説明が、「いわゆる正解」と違っていたとしてもいい。
それなりの妥当性があるならば、もしかしたら正解かもしれないのだ。
日本では、教育とは「学習」、つまり、教師から知識を学び(教えてもらい)、習う(真似する・覚える)事だと思われているが、理科は記憶するものではなく、考えるものなのだ。
(ただし、考えるためには知識ベースが必要になる。この知識ベースは記憶しなくてはならない。だから、現状の教育方法が全くダメだ、というような単純な話ではない)
数学も同じ。数学は、理科から派生した「道具」に過ぎない。
だからこそ「理数」といっしょくたにされやすい。密接な関係にある。
つまるところ、数学も答えが重要なのではない。答えにいたる道筋を見つけ出すことが重要で、計算が正確であることを競うものではない。
(もちろん、計算が正確であることは重要だが、ここで言いたいのは、答えだけを見て評価してはならない、ということだ)
ついでに言えば、理科の答えが一つで無いように、数学の答えも一つではない。
学校では、評価しやすいように「答えが一つ」になるような問題ばかりを出しているだけで、数学の答えが常に一つだと思っていると、数学の愉しみを奪うことになる。
つまるところ、「答えを出さないといけない」という強迫観念が、理数離れを起こしているように思える。
理数以外の教科、国語・社会・音楽・体育なんかは、たった一つの答えを求めたりしない。
なのに、理数だけはたった一つの答えを出せと強要され、それが「出題者が想定したものでないと」ダメだ、とされる状況が問題だ。
勉強っていうのは、知的好奇心を満たしたい、という欲求から始まるものだ。つまりは遊びの一種に過ぎない。
遊びって言うのは楽しいはずなのに、「さぁ遊べ。今すぐ遊べ」なんて強要されたらつまらなくなる。
ただそれだけのこと。必ず答えを出せ、という強要を止めれば、理数はもっと楽しくなる。
もっと言えば、学校に行ったら勉強しなくちゃいけなくて、解放されたら遊んでよい、というのも「強要」の一種。
勉強なんて遊びなんだから、のんべんだらりとやったって構わない。
(ただ、テレビゲームでもだらだら無目的にやるのはつまらないもので、なにか目標を持って邁進したほうが面白い。勉強だって、学校では一生懸命やって、それ以外のときは「学校でできないような」興味心で遊ぶ、というメリハリは必要)
これ、最初に書いたように「教育現場で教え方を変えなくちゃいけない」という話ではないからね。
変わらなくちゃならないのは、これを読んでいるあなた自身。
あなたが学生であれば学ぶ態度を変え、あなたが親であれば子供に対する態度を変え、社会人であれば周囲に対する態度を変えなくてはならない。
すべてのことに対して、答えがあるはず、答えを出さなくちゃ、という考えを止めることが、ひいては「理数離れ」を食い止めることになる。
…ただ、これは案外茨の道。
答えが「ない」ことを前提に入れないといけないから。
答えがあるなら、調べればすぐわかる。記憶すれば後々困らない。これが「学習科目」の目的。
答えが無いことを前提にすると、常に考え続けなくてはならない。
これが、非常に難しい。というか、疲れる。
多くの人は嫌になり、脱落する。そして、「たった一つの答えを記憶しようとする」という元の状態に戻る。
考えることを「疲れること」ではなく、「楽しいこと」にするためには、意識を変えないといけない。
答えを出すことではなく、考えること自体を目的とする。
つまり、最初に書いたように「答えを出す必要は無い」と了解しておく。
とりあえずの答え、というのは必要だけど、それは「とりあえず」と断ってよい。
考えが熟したら置き換えても良いし、状況が変化したら破棄しても良い。
さて、最初に書いたとおり「政治問題」を絡める。
理数系学力調査の話を読んで最初に思ったのは、実はここから下の話だ。
教育問題で理数離れが続いていることは嘆くべき?
「一位じゃなくちゃだめなんですか?」っていうのは、スパコンだけの話ではない。
順位が落ちたらダメ、というのであれば、なんで?
なんで順位は上がっても、理数に興味持つ子が少ないと問題になるの?
原発問題。
危険は排除すべきだと思う。それは当然。
じゃぁ、危険って何のこと? 原発を廃炉にすれば危険は去るの?
東京電力が、現在廃炉を求められている原発の「維持費」を必要経費に計上するのは悪いことなの?
北朝鮮のミサイル発射。
なんであれを「ミサイル」と呼ぶの?
衛星を打ち上げたならロケットではないの?
日本は衛星打ち上げてよくて、北朝鮮だとダメなの?
なんでアメリカが確認できた衛星を、日本は確認できなかったの?
もしかして、自衛隊無能なの?
どの問題も「当然○○だ!」というような主張がある方も多いとは思う。
実のところ、問いかけの形にしているが、答えを求めているわけではない。
どの問題も自分の中では答えは出ている。
でも、そんな答えは重要ではない。あなたの答えも重要ではないし、僕の答えも重要ではない。
大切なのは、個々人が、答えを出そうとして熟考する過程だ。
最後に、僕以外の誰にとっても大切ではない、僕なり答え。
理数離れ、というのは、日本人が考える力を失いつつある、ということだと思う。
それは、将来、いかなる問題も解決できない…なにも決められない国になることを意味する。
いや、「理数離れ」が言われだしたのは、実のところ自分たちの世代、いま世の中を動かす中心世代なのだ。
だから、すでに日本は、何も解決できない国に、すでになっている。
問題なのは「理数離れ」という現象ではなく、考える力を失った人が多い世の中が「当たり前」の状態になってしまっていること。
子供の「理数離れ」は、大人の「考えること離れ」に起因した、表面現象に過ぎない。
すでに多くの大人が、答えが無い問題に対して、安易に答えを求めすぎる。考えようとしない。
結果として、答えとしてよさそうな意見を見ると付和雷同するだけで、その先についてのビジョンを持てていない人が多い。
付和雷同ではなく「自分で」考えなくてはならない。
それが、理科離れを、決められない国を、食い止める方法だ。
選挙はもうすぐだ。
答え、つまり選挙結果は重要ではない。
みんなが考えること。その結果に責任を持つこと。
そして、その結果は「とりあえずの答え」でしかないと開き直ること。
結果が悪ければ、次回選挙で積極的に置き換えればよい。
やり直しが効かない、なんて思わないでよい。そんなに深刻ではない。
深刻になりすぎると、結果を恐れる余り、自分の責任を回避しようとして、自分で考えずに人の意見に乗っかろうとすることになる。
それは一番避けなくてはならないことだ。
開き直ってよいのに責任を持つこと、というのは矛盾しているように思えるかもしれない。
先に「結果が悪ければ」と書いたが、選挙の結果が悪いと、次回選挙まで数年間の政治的混乱を生じることになる。
この混乱を、甘んじて受け入れること。わずか数年間の期間で限定的だが、これが結果に対する責任だ。
自分の行動に責任を取る、というのは、そういうことだ。
たとえ投票の棄権や、結果として落選者に投票して、自分の意にそぐわない人物が選ばれたのだとしても、その結果は甘んじて受け入れること。
世の中が悪いのは政治のせいだとか、どうせ信頼できる政治家がいないとか、愚痴ばかり言うのは「責任を果たしていない」。
現状は、過去の自分が選択した結果なのだから、責任は自分にある。
結果に納得がいかない場合は、愚痴を言い続けるのではなく、次回選挙で覆せばよい。
気持ちを切り替えて、次回は納得できるように、新たに考えはじめること。
これが結果に対して「開き直る」ということだ。
流動的な状況にあわせ、常に「賢く」振舞う有権者というのは、政治家にとって一番怖い存在だ。
固定票は全く怖くないし、扇動される程度の浮動票も実はそれほど怖くない。
みんなが、それぞれの立場において「賢く」振舞おうとする。
…そういう状態になれれば、それがどういう方向であれ、確実に世の中は良くなっていくだろう。
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別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【あきよし】 自体:事態の表記違い、他ページも含めて指摘ありがとうございます。修正しました。 (2015-04-07 12:02:50)【校正エージェント】 考えること事態を目的とする。 (2015-04-05 10:55:38) |
3歳の次女の朝の口癖は、「きょう ほーくえん ある?」だ。
あるよ、と答えれば「いぇーい」と喜び、仲良しの○○ちゃんと遊ぶ、とかお手紙書いてもっていく、とか楽しみにする。
ないよ、と答えれば「いぇーい」と喜び、「じゃぁ くるまで どこか あそびにいく!」と言い出す。
遊びに行く、といわれたときは、僕は間髪いれずに「いやだ」と応える。
毎週のようにどこか遠くに遊びに行くわけにはいかないから。
金銭的にも贅沢だし、休みの日は部屋を片付ける約束だから。
まぁ、「いや」と言われたときの憮然とした反応が面白いから、軽くイジワルしているところもある。
しかし、大抵「いや」と言われると思っているからこそ「じゃぁ、どこか行こうか」と言われたときの次女の喜びようはすごい。
部屋はちゃんと土曜日に片付けたし、前日の雨もやんだし、妻の仕事もいまは忙しくない。
朝のうちに選挙の投票を済ませてしまい、日曜日は久しぶりの家族での外出となった。
こどもに「どこ行きたい?」と聞いたところ、どんぐりハウス(こどもログハウス…児童館のこと)という答え。
ただ、パッチンが作れるところはこないだ行ったから、別のところが良いという。
できれば、黒板があるところがいいという。
近所にこどもログハウスは数件ある。
パッチンのところ…は、港南台にある「どんぐりハウス」だ。
黒板のところは、藤沢方面にあるログハウス「のびのびランド」。
しかし、のびのびランドは少し高学年向けに作られており、次女は楽しめない。
洋光台に行こうと思ってしらべたら、こども宇宙科学館は現在改装工事中で休館しているらしい。
(すぐ近くに、洋光台のログハウス「おもしろハウス」がある)
というわけで、新規開拓。
ログハウスではないけれど、以前から興味があって行ったことのなかった、湘南台こども館に行ってみよう。
湘南台こども館は、こどもの学習を目的とした施設…となるのかな。
展示が2フロアしかないので、もっと小さな施設かと思っていたら、1フロアが非常に大きく、楽しめました。
根岸線周辺文化圏の人は、洋光台の「こども宇宙科学館」と、本郷台の「あーすぷらざ」、それと児童館が一緒になったもの、と思うと想像しやすいかと思います。
科学コーナーあり、民族楽器や民族衣装に親しめるコーナーあり、図書コーナーあり、ボードゲームやカードゲームを自由に遊べるコーナーあり、という感じですね。
自然を展示したコーナーは、自分が「虫」の視点で遊べます。
周囲は巨大な昆虫だらけ。地面のなかを示す断層から「穴」を覗くと、巨大なアリが卵の世話をしていたりする。
また別の穴には冬眠中の蛇が…
巨大な落花生が埋まっていたり、巨大なアンモナイトの殻や恐竜の卵が転がっていたり、ある意味カオスで面白い。
写真は巨大な「せみの幼虫」で、次女は怖がっていました。
ゲームコーナーには、いわゆる「世界の名作ゲーム」が置かれています。
僕が以前から遊んでみたいと思っていたカードゲームなどがいくつかありました。
「すすめコブタくん」とか「ハリガリ」とか「ココタキ」とか。10種類以上置いてあったかな?
…こぶたくんは、長男が遊ぶにはすでに簡単すぎるかな。
積み木として遊ぶのも面白い、というゲームなので、次女あたりがちょうどいいのかも。
ハリガリは次女には難しすぎる。長女がなんとか理解できるレベル。
でも、長男にはちょうど良いみたい。
…そろそろ、こども3人で遊べるゲームが欲しい、と思っているのですが、なかなか難しいみたい。
しかし、「ずっと思っていた」のが、実際触れて遊べる機会があって、少し答えが見えた感じ。
別のフロアは PC やビデオなどを中心としたメディアスペース。
「パソコンを体験してみよう!」というのは…20年前ならいざ知らず、今の子供はコンピューターは「あって当たり前」で、体験して喜ぶものではないと思う。
でも、こどもが楽しめるソフトをうまくそろえてあります。
Mac OS X が多いですが、「あえて」 OS 9 のマシンも残してあって、キッドピクスや まきがめ で遊べるようになっていました。
熱中してキッドピクスをいじり続ける長男…
別フロアに移動したい時間になり「家にあるよ」と教えると、「え! これ、家にもあるの?」と驚いていました。
もう、何年も起動していない古いマシンだけど、ちゃんと正規ライセンス持っているよ。
(しかも、僕と妻の2ライセンスある)
最上階にはプラネタリウムがあります。
子供向け番組もあるけど、この日は時間の都合で大人向けの「星☆図鑑」というのを見ました。
まず特筆すべきは、ここの説明員の人、本当に星が、プラネタリウムが、好きなんだなぁ、ということ。
入場開始から上映開始までの待ち時間、「他のプラネタリウム行ったことある人いますか」って質問をしてみたり、「先日全天集映画の試写会行ってきたんですよ。3日で40本見て、死にました」とか身の上話したり、喋り続けます。ラジオの DJ みたい。
いよいよ上映開始になっても、話の端々がなんか面白い。本当に、みんなに星を好きになってもらいたい、できれば今夜にでも空を眺めて欲しい、という気持ちが伝わってきます。
前半藤沢周辺で今夜見られる星空を開設し、後半はこのプラネタリウムのオリジナル番組、「星☆図鑑」。
宇宙にある星を分類し、大きさ・色・温度にある程度相関関係があることを示し、その相関から外れているものが「死ぬ間際の特別な症状の星」であることを示し…
知っていることなのだけど、改めて知識を体系立てて整理しなおすことができました。
もっとも、話が難しすぎて、長女・次女は飽きていました。
(長男は理解し、さらに質問してきた。変光星は大きくなったり小さくなったりしている、という話に対して「なぜ?」とか)
上映終了後、こどもたちをつれて外へ。
…妻が出てこない。ずいぶん待ってから出てきました。
説明員の人を捕まえて、「ここら辺で、カノープスはどこで見られますか?」と聞いていたらしい。
説明員の人は見たことが無い、とした上で、「七里ガ浜の高台で見られる、という情報を聞いたことがあります」と教えてくれたそうです。
…見たことなくても情報は知っている、というのが、やはり説明員さん、星が好きなのだろうな。
朝から行って、一日中遊んで、出たときには真っ暗でした。
プラネタリウムで見たとおりの三日月が空に浮いていました。
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話は前後して、先週末の「ふたご座流星群」の話。
…なのだが、いきなりさらに話は1年くらい前に遡る。
こどもを寝かしつけているとき、窓の外に何か流れたのを、目の端で捕らえた。
「流れ星だ!」と思わず言ってしまった。
本当に流れ星だったのかどうかはわからない。
でも、長女の興味を引くには十分だった。
「私もお星様みたかった。お父さんだけずるい」と泣き出す。
その後も、ことあるごとに「流れ星見たい」と言っているのだが、なかなか狙って見られるものではない。
最近では、「星が流れる」というのが童話のような作り話ではないかと疑い始め、「流れ星って本当にあるの?」と聞かれる始末。
一応、「見たい」といわれ始めてから流星群はチェックしている。
しかし、数が少なすぎて子供には見せずらかったり、日本からは見えるのが深夜だったり、ちょうどピークの日に雨が降ってしまったり…
で、やっと先週の「ふたご座流星群」。
ふたご座はピーク前後の期間も長いため、1週間くらい前から気にしておく。
夜ランニングをしている妻が、「今日は見られた」などの報告。
(子供に期待されると面倒なので僕にだけ)
で、3日前からは僕も夜外に出て観察。3日前でもかなり流れる。
ネットで情報を見ても、今年は観測条件が良い上に、予想よりも多いと盛り上がっている。
ピーク時間は日本時間では朝8時になってしまうため、明け方に見るのを狙って、3日前から想定時間に見てみる。
この時期の朝は寒い。特に、先週は晴れが続いたため空気が乾燥して放射冷却もあいまってすごく寒い。
翌日は「十分と思われる」防寒対策をしたが、まだ寒い。
ピークの当日は、さらに温かい格好を用意し、準備万端で臨む。
ピーク前日、木曜日の夜。
子供がテレビ(ポケモン)を見ている間に、10分ほど外で観察。
うむ、結構流れる。これなら、子供が飽きない時間の中で流れ星を見せてあげられそうだ。
ポケモンが終わり、普段なら風呂に入る時間だが、「特別に」外に誘い出す。
長男は何か工作に熱中していて、行かないという。
次女は、なんだかわからないのに「一緒に行く」という。
できるだけ広い、東の空を見られる場所に陣取って、昇ったばかりの「オリオン座」を長女に説明。
次女は、真っ暗なので「怖い。家に帰りたい」と言い出す。面倒なやつだ。
ふたご座はオリオン座の少し北東、ここからふたご座流星群は流れてくる。
でも、この時間ではまだふたご座は見えない。
とにかく上を向いて、東から西に流れる星を探す、と教える。
妻がランニングに行こうと家から出てきた。
行く前に、次女を家に連れ戻してもらう。長男がいるので、10分くらいなら大丈夫だろう。
しばらく見続ける。
15分くらいで、長女は「2個見つけた」という。残念ながら僕はゼロ。
(長女が寒くないように、危険が無いように気にしていて、空が余り眺められないため)
これで満足したようで「もう家に入る」というので終了。
冷えた体を風呂に入って暖める。
子供を寝かしつけた後起き出し、普段なら翌朝行う、洗濯、皿洗い、炊飯の準備を済ましてから寝る。
これで、明日は起きてからすぐに観察にかかれる。
で、翌朝。
起きて観察の準備をし、妻にも観察しようと誘う。
(というか、天文は妻の趣味で、僕は面白いから付き合っているだけ)
妻がなかなか寝室から出てこない、と思っていたら、なんと、長女と一緒に起きてくる。
起きてしまったらしい。
仕方が無い。前日夜に観察しているので、長女も観察方法はわかっている。
星が動いているので、今度は西から東に流れ星が流れるよ、と教える。さらに、ふたご座も見えているので説明。
さすがにピーク時間が近いだけあり、良く流れる。
…が、暗闇に目が慣れてくる10分目くらいに、長女が「足が寒い」と言い出す。
十分防寒しているが、下半身のほうが寒いらしい。
家に入り、長い靴下に履き替えさせ、ズボンももう一枚上からはく。
せっかく目が慣れていたのに、戻ってしまった。
また出て目をならしている最中、「もう家はいる」と言い出す。
これで終了。長女は、昨日と合わせて12個の流れ星を見た、と言っている。
(いくつかは気のせいかもしれないが、いくつかは一緒に確認した)
結局、数日かけて準備して、観察時間は合計でも15分ほど。それも「目が慣れていない」時間のみという、非常に不満足な結果。
明け方まで観察していた妻いわく、「期待されていただけあって、すごく流れて楽しかった」らしい。
うむむ…
まぁ、子供が大きくなったらもう少し落ち着いて、一緒に観察できると楽しいかもね。
それまでは仕方が無いか。
で、この後に昨日の日記の通り、プラネタリウム見に行ったわけです。
プラネタリウムの解説者も、ふたご座流星群には当然ふれていました。
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15年 CentOS5+Xen3 から CentOS6+Xen4 への引っ越し
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
今年もサンタクロースがやってくる季節になりました。
…えぇ、僕は信じてますよ。
と、知人に言っても、説明しても理解されなかったことがある。
何でみんな、サンタクロースが「いない」とかいうかなぁ。
夢が無いとかそういう話ではなくて、サンタクロースは実在している。
日本人は、どうもサンタクロースを「子供の信じるファンタジー」として、「夢を壊さないために」いることに「してあげている」節があるのだが、本質を理解していない気がする。
そんなファンタジーだけだったら、新聞社が社説で取り上げたり、NORAD まで一緒になってサンタクロースの追跡したりなんてしない。
あれは、子供のために「してあげている」のではなくて、大人もいると信じているからできる芸当。
まず、言葉の定義が問題だ。
多くの日本人が、サンタクロースを人名だと思っている。
まぁ、人名で無いのか? と問われれば、人名なのだけど。
サンタクロースが聖(セント)ニコラウスの訛ったものであるのは多くの人が知っているところ。
そこまで知っていれば、彼が資産家に生まれ、お祝いすべきクリスマスの日に、お祝いができないほど困窮している人に施しをしてまわった、というエピソードも知っているかもしれない。
では、彼はその慈善行為を受けた人や、彼のしていることを知った人に口止めをした、という事実はどうだろう?
偽善者だといわれるのを嫌い…もしくは、いくら資産家と言ってもすべての人を救うことはできないので、自分のしていることを隠し続けていた。
とはいえ、彼が隠れて施しを続けていることを、周囲の人は皆知っていた。「隠している」と思っていたのは本人のみだ。
隠して施しを行っていた、というのは都合の良い事実だった。
彼が死んだ後も、なぜか施しは続いたのだ。
それは、彼の行為に心打たれた周囲の人々が、みな彼の行為を真似したからだった。
彼らは、自分が施しを行った場合でも、絶対に自分がやったとは言わなかった。
そして、死んだニコラウスが隠れて施しをしていた、という、誰もが知っている事実を引いて「ニコラウスがやったのではないか」とはぐらかした。
いや、もしかしたら、ニコラウスが存命中にもそういう行為はあったかもしれない。
ここら辺は、歴史の闇に埋もれて知る由も無い。
…つまり、「ニコラウスの施し」は、ニコラウスがやったものだけではない。
ここにおいて、「ニコラウス」は人名ではなく、「クリスマスの日に、誰かの幸せを願い、施しをする人」の意味に変わっている。
聖ニコラウスがサンタクロースと呼ばれるようになっても、この事実は変わらない。
サンタクロースからのプレゼント、というのは、「サンタクロース」という特定の人物がばら撒いている、という意味ではない。
プレゼントが渡される人の幸せを願っていれば、送り主は「サンタクロース」だ。
こういう、特定の人名をかたって匿名の善行を行う、というのは結構ある。
バレンタインデーの起源としてしられる、聖バレンタインもよく使われる名前だ。
手紙の最後に「あなたのバレンタインより」と書けば、これは「あなたを近くで見守り、好意を寄せているものより」という意味だ。
匿名なのだから、見返りは求めない。ただ、相手の幸せを考えるときにのみ使える名前である。
近年、日本では「伊達直人」名義で孤児院にランドセルを寄付するのが流行っているけど、あれが定着すれば同じような意味合いになるかもしれない。
#まぁ、あれに関してはいろいろ思うところもあるが…それは別の問題。
フィンランド政府公認サンタはいない、というフィンランド大使館公式Twitterでのつぶやきが話題になった。
これは、「政府公認」を名乗る偽者が出没したため。
政府公認はしていないよ、というだけで、サンタクロースの本物はいるとしている。
政府は公認していないが、フィンランドのラップランド州には、州公認のサンタ村はある。
フィンランドではなく、グリーンランドには「国際サンタクロース教会」があって、公認サンタクロースがいる。(任意団体であって、政府公認ではない)
パラダイス山本さんが日本人として唯一の公認サンタクロースであることも有名。
公認サンタクロースは、世界に120名ほどいるそうだ。
…結局「サンタクロースは特定の人を示す人名」という認識は間違っている、ということだ。
サンタクロースがこれほどいる、というのは、すでに職業名だと考えてよいのだろう。
ちょっと珍しい職業かもしれない。直接お目にかかることは少ないだろう。
でも、「サンタクロースって本当にいるの?」という質問は、「宇宙飛行士って本当にいるの?」というのと同じような意味合いになる。
直接あったことは無いかもしれないけど、確かにいる。
というわけで、最初の話に戻ると、僕はサンタクロースの存在を信じている。
白い顎ひげを生やした太ったおじいさんが、6頭のトナカイが引く空飛ぶそりに乗って、一人で世界中の子供にプレゼントをしてまわっている…
そんなのはファンタジーだ。僕はぜんぜん信じていない。
子供に聞かれても、すぐに「そんな人はいないよ」と否定している。
いつの間にか、お話の中ではソリが飛ぶことになっているけど、そうじゃない。
雪国では、雪に足をとられて前に進むだけでも結構大変。
でも、トナカイに引かれたソリは「まるで飛んでいるように速く走っていた」のでしょう。
今は時代が違うから、スノーモービルとか使うかも。
雪が無い地方では車も使うんじゃないかな。
子供の数が多いから、今では一人でプレゼントを配るのも大変。
実際は、サンタクロースのお手伝いをする人が、世界中にたくさんいる。
日本の公式サンタは、パラダイス山本さん一人だけだけど、公式でなくても誰だって手伝うことはできる。
そして、みんな「サンタクロース」と名乗っている。誰が本物、ということではなくて、みんな本物。
子供を喜ばすための嘘を言っているのではない。僕自身が信じている。
クリスマスに、子供の幸せを願ってプレゼントを届ける人…
そんなサンタクロースがたくさんいることは、紛れも無い事実なのだから。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【サンタクロース】 やってきて下さい (2014-12-23 11:37:32) |
最近、テレビ東京で世界の料理ショーを再放送している。
子供の頃、良く見ていたなぁ…。良く考えると、僕が料理をするようになったきっかけは、この番組じゃないかしら?
子供たちにも見せてみると、大人気。
何を作っているのか、何をしているのか、良くわかっていない。でも、適当に笑いを取りながら料理をしているグラハム・カーが面白いようだ。
世界の料理ショーでは、良くオーブンを使う。「魔法のオーブン」だ。
番組では、上のオーブンに料理を入れると、たちどころに焼けて下から出てくる。
で、子供たちが、オーブンで料理したいという。
おりしもクリスマスが近かった。じゃぁ、ローストチキンを作ろう。
クリスマスの前日に、自転車で商店街に行って丸鳥を探す。
クリスマスだから、どこかで売っているだろう、とは思っていた。
でも、当日に行って売り切れ続出でも困るし、子供をつれて捜し歩くのも大変なので、前日に一人で行った、というわけだ。
迷うことなく、いつも行っている肉屋で売っていた。100g 108円。胸肉も骨も付いているのに、腿肉と同じ値段だ。高い。
まぁ、丸鳥は輸送コストもかかるだろうしいいだろう。購入。1200円くらいだった。
その足で八百屋に行く。紅玉を売っていたので購入。
あとは家にある材料で。
当日。昼ごはんを食べた後、子供たちと料理開始。
といっても、まずは鶏肉に塩胡椒を塗りたくるだけ。子供は喜んで手伝った。
「下にあるの足?」と聞かれるが、逆さまにおいてあるのでそれは手羽だ。
「耳みたい」と言っている、上に突き出ているのが足。
「ここの穴何?」と首のあったところを指差す。
そこは鶏の首があったところで、鶏を殺すときにはそこをぶった切るのだ、と教える。
今まで無邪気にはしゃいでいたのに、殺す、と聞いて神妙になる。
「何でそうやって殺すの?」と8歳の長男。
肉に血が残ると、美味しくなくなるからね、と教える。
生きているものを殺して食べないと、人は生きていけない。
殺すのであれば、美味しく食べてあげないと、鶏がかわいそうだ。
それに、鶏だって当然死ぬのは嫌だ。だから、殺すときは苦しまないように、すぐ死ねるようにしないといけない。
どんな動物も、首には多くの血が流れている。ここを切ると、すぐに死ぬし、血が残らないので肉が美味しくなる。
だから、首を切り落とすのが、一番やさしい殺し方なのだ。
この話を聞いて、5歳の長女、3歳の次女も、なんだか神妙。
塩胡椒を塗っていた手が止まっている。
「美味しく全部食べてあげようね。そのためにも、しっかり味付けなきゃ」というと、笑顔になって、また塩胡椒を塗るのを再開。
さらに、庭で取れたローズマリーを乾燥させた葉をまぶし、しばらく置いておく。
子供と公園に遊びに行き、帰っておやつをたべ、少しテレビゲームをして遊んだ。
4時半になり、そろそろ夕食の準備を、と思ったが、長女は「手伝わないでいい」と長男と一緒にゲームに夢中。次女は寝ている。
一人で続きを始める。
小さめの玉ねぎ2個をスライスし、フライパンでよくいためる。
紅玉1個の皮をむいてスライスし、これも良くいためる。
にんにくを1/3玉ほど、皮をむいて乱切りにし、これもいためる。
3つをボールで混ぜ合わせ、さらにレーズンを入れる。
これを鶏の腹の中に詰める。
先に火を通したのは、腹の中は案外火が通らないため。
高校生の頃に七面鳥の丸焼きに挑戦したことがあるが、オーブンの中で火が通るだろう、と生のにんじんや玉ねぎを突っ込んで失敗した。(後で火を通して食べたけど)
ボールの食材は、全部は入りきらなかった。というか、多めに作ったのだけど。
玉ねぎを中心に残すようにして、オーブンの天板に敷く。その上に鶏肉をおく。
周囲に、生の野菜などを置く。
玉ねぎ2個を、4つに割っておく。にんじん2本を乱切りにしておく。
紅玉2個を、皮付きで8個に割って芯を取り、おく。
芯抜き器があれば、丸ごと芯だけ抜いて置きたいのだけどね。
小さなジャガイモが2個あったので、これも芽だけとって2つに割り、皮ごと置く。
バターを塗って…と思ったら、固くてうまくぬれない。本当は電子レンジで溶かしたほうが良いのだが、作業しながらすでにオーブンの余熱をやっていたものだから。手際が悪い。
バターは上に置く事にして、オリーブオイルを塗る。
で、200度に暖めたオーブンに入れて20分。
天板を逆にいれ(つまりは鶏を逆向きにし)、油も塗りなおし、さらに20分。
最後に、220度に温度を上げてさらに20分。
…これ、3回に分ける必要ない。
ネットで調べたレシピが3回に分けていたのでそうやって見たけど、このやり方は七面鳥の焼き方だと思う。
七面鳥は油が少ないので、こまめに油を塗らないと乾燥して不味くなる。
鶏は油も水分も多いので、これほどこまめにやらなくて良い。
出来上がったら天板に落ちた油でグレイビーソースを…とネットのレシピにあるが、油なんてほとんど無い。
ほんのわずかなものをかき集め、適当に醤油と塩胡椒を入れ、片栗粉を入れてソースにする。
完成。
オーブンにいれたらすぐ焼きあがる、と思っていた子供たちは、1時間も待たされて「お腹すいた」「早く食べよう」とうるさい。
パンとシャンパンと、シャンメリーとぶどうジュースを用意して、クリスマスディナーの開始。
肉を取り分けようとナイフを入れたら、皮を切った途端に肉汁があふれ出す。
そうか、本来これでソースを作るのか。
去年まではローストチキンは買ってきていた。
今年作ってみて、手間を考えると買ってきても安いもんだ、と思っていた。
でも、食べてみるとぜんぜん違う。作りたてのほうがはるかにうまいとわかった。
肉だけでなく、付け添えも一緒に作れる、というのも良い。
時間をかけて焼いた玉ねぎは甘くて美味しいし、焼いた紅玉は酸味があり、鶏肉に良く合う。
子供たちもすごい勢いで食べ、あっという間に肉はなくなった。
この料理、途中写真は撮ってあるので、気が向いたら料理コーナーを更新したいところ。
何年もほったらかしなのでね、あのコーナー。
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