2012年08月10日の日記です


原発比率について  2012-08-10 14:33:51  その他

きな臭い議論はあまりやらないことにしているが、少しは書いたほうがよい、と思うために書く。


原発の稼動問題のことだ。

政府が2030年時点での稼動率を議論している。


週末になるとデモが行われ、「世論は脱原発だ」と新聞が報じる。


その一方で、無作為抽出調査では、原発ゼロを望んでいる比率は3割程度に過ぎない



デモに参加する人は、強い主張の持ち主だ。

集まっているからインタビューも行いやすく、そこに出かけていって取材をすれば「全員が」原発をなくすべきだ、と答える。

しかし、これを持ってして民意だと思ってはいけない、ということだ。


危険なものを置いてはおけない、節電くらいがんばれば出来る、という主張は、そのとおりだと思う。

でも、大事な視点が抜け落ちているような気がしてならない。




ここで自分の立場を表明しておこう。


自分は、現在の気持ちとしては、原発をゼロにすることには反対だ。

その意味で「脱原発依存」という、当時の菅首相が言った言葉が、自分の気持ちに一番近い。


「脱原発依存」と言う言葉は、微妙な言い回しなのでそれぞれの立場で良いように解釈されている。

反対派の人は、「政府はこの言葉を出したのだから、原発をゼロにすべきだ」という。


でも、本来「脱原発」(=原発ゼロ)ではなく、依存するほど多い状況を解消する(=原発低減)を意味していたはずだ。



反対派の人が「節電くらい出来る」というのはそのとおりだ。自分も節電には気を使っている。

もっとも、「誰かのために」なんて考えるのは偽善だと思っているため、自分の光熱費の節約のつもりで取り組んでいる。


でも、これは個人が勝手にやるべきことで、他の人に対して言うべき言葉ではない、と考えている。



節電くらい、「家庭では」やれば出来るだろう。

でも、節電が強制となれば、会社でも節電しなくてはならない。


職種によっては、生産を減らすなり、オフィスを減らすなりして効率化を図ることになる。

一部の人は職を失う。


そんな会社はほんの一部だって? そうかもしれない。

でも、失業者には購買力がない。失業者が増えれば、がんばって雇用を維持した会社も、生産調整せざるを得ない。

結局、失業者が増える、という悪循環に陥る。



「節電くらい出来る」と言う人は、家庭での話しか考えていないのではないか、と思う。

社会全体を見たときに、強制的な節電要請は、明日自分(もしくは家族)が失職し、生活に行き詰るかもしれない、ということだ。


僕は、自分が勝手にやっている節電くらいなら我慢できるが、政府に強制されて収入を絶たれて家族を路頭に迷わすのはご免だ。

だから、「節電くらい出来る」と言う言葉には賛同できない。




もう一つ、原発は危険だから置いてはおけない、と言う意見について。


僕も原発は危険だと思う。

危険性には2種類あって、原子力が根本的に危険である、ということと、現在の軽水炉が危険である、ということに分かれる。


現在の軽水炉が危険、と言うことに対しては、トリウム溶融塩炉がいいとか、すでに実績がある軽水炉をさらに改良するとか、いろんな意見があるだろう。

ここらへん、僕は専門家ではないので評価できない。


いずれにせよ、原子力の持つ危険性はぬぐえないので、絶対の安全はない。

安全性は少しでも高めないといけないだろうし、専門家の皆さんがんばってください、としか言いようがない。



そして、原子力そのものの危険性についてだ。

僕は、原子力が危険だからこそ、原発は残さないといけないと考えている。


上に書いたように、僕は専門家ではないし、「専門家の皆さんがんばって」としかいえない。

でも、専門家は、原子力が活躍できる分野があるから育つのだ。


放射線は、医療や工業などでも使われている。

しかし、原子力発電と言うのは一番総合力が必要な分野だと思う。


そうした「活躍の場」がないと、若手が育たない。

今後長い間続く、放射性廃棄物の処理問題なども含め、今いる技術者が死んだらおしまい、と言うわけには行かない。


末永く、若手に技術を学ばせるため、という前提であれば、新規原発の建設も許容してよいと思う。

(今後は作らない、だと、結局道が途絶えてしまう。これは避けないといけない。)




上に書いたように、原発の新規建造には反対ではないが、既存原発の延命には反対だ。

建造から40年で終了、というルールは徹底しなくてはならない。



震災直後には、流言を流布してしまう可能性を考え、知っていたが書かなかったことがある。


もう長い間あっていない年長の知人Aが、原発の設計者だった。

もう定年退職していたが、震災前に、福島原発の点検のために要請を受けて行ってきたと言う。


(これは本人から直接聞いたわけではない。共通の知人Bが、震災前に会った時に聞いた話だ。

 僕は震災直後に、Bから話を聞いた。又聞きだから、信憑性が多少落ちる。

 流言になるかもしれない、と考え、震災後に書かなかったのはそのためだ)



マニュアルどおりの点検なら誰でも出来る。

しかし、ある程度の規模の点検となると、設計思想を理解した人間にしかわからないことが出てくる。


そのために、定年退職した技術者まで呼び出す必要があったのだ。


逆に考えれば、設計者が呼び出せない状態になってからの点検は「無意味」なものになる可能性がある。

その状態で「点検したから安全」と言えるだろうか?


設計者は一人ではない。設計グループ内で設計思想は共有される。

一番の若手が25歳で設計に参加したとして、65歳で定年退職するまで40年。


たとえ「点検の結果部品強度などに問題がなかった」としても、40年を越えたら設計当初の状態を維持できなくなる。

だから、既存原発の延命措置には反対だ。





震災直後は、みんな何が正しいかわからない状態だった。


だから、「今後のことは議論を尽くして」などと言っていた。

でも、全然議論されたふしは無い。そして、いつの間にか原発賛成か反対かの、二元論にされている。


そして今、議論が行われないまま、世論が問われようとしている。

意見くらい表明しておいたほうがよさそうだ、と思ったのはこのためだ。


僕の意見に賛成でも反対でも構わない。

でも、これを読んだ人は今一度、自分の意見を見つめなおして欲しい。



話を単純化しすぎると、大切なものを見落とす。

危険だからいらない、ではない。危険なことは十分承知の上だ。


電力の確保は行われないとならない。失業率が上がれば死者が出る。

原発をなくせば、技術者の未来は無い。今ある放射性廃棄物は、危険なまま放置されることになる。


原発を残しても、無くしても、なんらかの危険は生じる。

原子力に手を出してしまった、という事実はいまさらなくならない。



原発は危険だ。それは理解している。

その上で、原発を続けなくてはならない、という意見もあってよいと思う。




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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

あきよし】 あなたが聞いてきた内容は別の日記で応えています。そして、こちらの日記は、あなたが私に問い合わせを行う前から存在していました。その過去のページの内容について「そんなこと聞いてない」とお怒りであれば、最初から聞く相手を間違えています。  (2012-08-24 16:30:42)

【通りがかりです】 ↓これこそ話を単純化しているのではありませんか。お応えいただいたのはありがたいですが私はあなたの意見が聞きたかったのではありません。 (2012-08-24 11:32:24)

【通りがかりです】 節電→失業 (2012-08-24 11:31:43)


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