目次
04日 2月の出来事。
08日 カガクのココロ
13日 遠足とキャンプ
17日 自宅待機
17日 「輪番」停電について
21日 停電の記憶
28日 何がデマで、何がデマでないのか。
29日 卒園式
ついうっかり、2月には日記を書かなかった。
それなりにいろいろなイベントがあったのに。
2月19日、子供の保育園で「ひな祭りおゆうぎ会」があった。
一応全園児参加だが、年長さんの卒業記念の色合いが濃い。
3歳未満クラスは自分の出番が終わったらいつでも帰って良いのだが、長男が年長組なので、最後まで観覧。
とはいえ、ステージ上でも兄弟やその友達が出てくると判るようで、結構楽しんでいた。
その翌週、26日の土曜日に、次女が発熱。
おやおや、風邪かと思っていたら、長女も発熱。そして、長女はよく吐く。
同じ風邪かなぁ、と思っていたら、長女は日曜日中に回復。次女は火曜日まで38度以上の高熱が続いた。
月曜日に保育園の先生に聞いたところでは、長女のクラスではロタが流行っていたそうだ。
(ロタ・・・3歳程度までの子供がかかりやすい、嘔吐と下痢が主な症状の風邪)
あぁ、なるほど。
日記に書かなかったが、2月上旬には、次女のクラスでロタが流行していて、次女も罹患した。
それが上のクラスにも波及したか。
で、次女のクラスでは高熱の風邪が流行していて、10人ほどいるクラスなのに、月曜日には3人しか出席していなかった。
この時点では気づいていなかったが、全経過を見守った今となっては、これはインフルエンザだったと確信。
以前はインフルエンザは高熱と関節の痛みが主症状で、キャリアになるとほぼ発病する、とされていたが、昨年の新型インフルエンザ騒ぎの中で、そうではないことが次々判明していた。
通常なら、インフルエンザの症状が無いために「ただの風邪」といわれていたものでも、昨年は詳細検査を望む人が多かったために検査したら、熱のでないインフルエンザや、発症しないキャリアもいることが判明したためだ。
で、今年のインフルエンザは、38度台の熱にとどまるものが流行しているそうだ。
次女の症状と合致する。
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週末、子供と出かけた際にマクドナルドに入った。
「おもちゃは買わないよ」と約束して入ったのだが、手持ちのクーポンやらセットの情報やら総合して考えると、ハッピーセットを混ぜて買うのが安いと判明。大人の都合でおもちゃをもらう。
ドラえもんの、どこでもドアの形をした赤青3D眼鏡。赤青印刷されたカードが4枚ついている(裏表に絵がある)。
週末限定のカードももらった。こちらは同時配布のおもちゃの宣伝で、4種類のおもちゃで遊べる「絵」が書かれている。
…このカードを見て思った。すごく科学的だ。
ドラえもんの「秘密道具」らしさを出すために、科学トリックを上手に取り込んである。
1つは、3D眼鏡用の絵。
まぁ、これは多くの人がわかるだろう。青と赤で少しずれた絵が描いてある。右目と左目に赤と青のフィルタをつけると、視差が生じて立体に見える。
1つは、赤のランダムドットノイズに青の線で絵を描いた絵。
そのままでは絵が見えにくいが、赤いライトを当てることで赤いノイズを見えなくすると、青い線の絵がくっきりと浮かび上がる。
(実のところ、3D眼鏡の赤をフィルタとして使っても、絵が浮き出る)
1つは、水に濡れると絵が出てくる印刷。絵が書かれた上から特殊インクをかぶせてあり、この特殊インクが水で透明になる。乾くと元に戻る。
1つは導電性インクを使った印刷。見た目には同じ「黒」の印刷でも、導電性インクを使った部分とそうでない部分があり、電気が流れるかどうかでクイズの答えがわかるようになっている。
マクドナルドのおもちゃは、言っては悪いが「子供だまし」がかなり多い。
今回もらったおもちゃだって、作りはかなり安っぽい。
でも、こうした「科学おもちゃ」であれば、適切な科学解説をつけることで価値はずっと高まるはずだ。
ドラえもんの版権元は小学館なのだから、小学館の学習雑誌スタッフに頼んで解説を書いてもらい、ホームページで公開するだけでも評価が高まるだろう。
でも、ホームページを確認してもそのような情報はなかった。
子供のおもちゃが「お勉強」になってしまうと嫌われる、という側面もあって慎重なのかもしれないが、嫌な子は情報を読まずに捨てればよい、と言うだけのこと。
遊びの中で仕入れる経験こそ、本当に身につくのだから、大人は子供の疑問に答えなくてはならない。
必要なのは科学知識ではなく、「なんでこうなるんだろう?」という、カガクのココロだ。
マクドナルドの話だけではない。
近年、あとちょっとで非常に良い科学解説になるのに、と残念に思うことが多い。
「飛び出せ科学くん」という番組があるのだが、深夜に放映している時は正しく「科学番組」だった。
でも、ゴールデンタイムになってからは、すっかり似非科学番組。
ゴールデンタイムだから内容を平易にしたのかもしれないが、平易であっても「科学番組」であれば、正しい解説が付けられるはず。起こっている現象に対する説明が明らかに間違えている、と言うのはいただけない。
(この番組の中では、明らかに間違った説明が非常に多い)
同様のことが「所さんの目がテン」にも言える。日曜朝にやっていた頃はいい科学番組だったのに、土用の夕方になってから、似非科学が増えた。
どちらも「時間帯が変わったから、視聴者層に合わせた」とかではない。
なぜなら、どちらの番組も、時々非常に鋭く科学的なことがあるからだ。
これはつまり、「製作スタッフの質が落ちた」のである。
毎週行われる番組は、製作スタッフが幾つかの班に別れ、1つの班は1ヶ月くらいかかって製作準備をしている。
以前はどの班にもそれなりの「カガクのココロ」を持った人が入っていたのだが、今ではそうした人が減った結果、正しく科学的な番組を作れる班と、似非科学になってしまう班に分かれてしまっているのだ。
#ところで「目がテン」に登場した話題は、半年程度たって科学くんにも登場することが多い。
安易な盗作と言うわけではなさそうで、おそらく、企画製作を行う会社が、「科学番組」を作るのが得意な下請プロダクションで、両方の番組で同じ会社なのだろう。
一方、科学番組を標榜しているわけではない「鉄腕DASH」などは、非常に良い科学番組となっている。
NHK の「大科学実験」も良質な番組だ。
キャッチフレーズの「やってみなくちゃわからない」の言葉通り、やってみたら案外つまらなかった、という回も多いが、それでも仮説を立て、実験し、検証するという科学らしさはでている。
地上波放送ではないが、海外番組の「怪しい伝説」も良い。
これは科学番組ではないし、出演者も科学の知識はそれほど無いため間違った前提に立って実験を行うことも多いのだが、仮説・実験・検証というカガクのココロは備わっている。
…最近、人気にあやかったのか「怪しい伝説・日本版」というのも作っていたが、こちらはいただけなかった。
科学プロデューサーに面白い化学実験をやってもらっているにもかかわらず、番組内での取り上げ方にカガクのココロが感じられない。
どうも、「目がテン」や「科学くん」と同じ現象が起こっているようだ。
つまり、スタッフにカガクのココロを持った人が存在しないのに、科学番組を作ろうとしている。
急に話題はそれる。
1960年代の MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生たちの間で、チャイナタウンで中華料理を食べるのが流行した時期があったそうだ。
メニューは中国人向けと、アメリカ人向けがあった。内容はだいたい同じだが、書いてある言語が違う。また、中国人向けメニューには、アメリカ人好みではない味の料理も載っていた。
彼らは中国語の辞書を持参し、あえて中国人向けメニューを使い、漢字の意味を調べながら注文し、出てくるものを楽しんだ。
そして、中国料理の「料理名」が非常にシステマティックにできており、組み合わせられた漢字が、素材や料理法を記していることに徐々に気づいていった。
そして、ある年のエイプリルフール、彼らは「実験」を行う。
メニューに書いてないものでも、素材と料理法を適切に組み合わせてあれば、料理が出てくるはずだと考えたのだ。
彼らは、メモに「甘酢苦瓜」と書いて、これが作れるかと聞きながら店主に渡した。
店主は「作ることはできるけど、不味くて食べられない。ダメだよ」と突っ返した。
作ることができる、というのは、彼らの考えた「素材と料理法」の組み合わせが間違ってはいないことを意味する。
ならば、完成形が想像通りか確かめたい。
彼らは「中国系移民は知らないかもしれないが、アメリカ人は4月1日には毎年これを食べている」と言い切って、とにかく作ってもらうように頼んだ。
できた料理は、不味くて食べられなかった。
でも、彼らが思っていた通りの素材が、思っていた通りの料理法で作られてきた。
彼らは、漢字と言う未知の記号を面白がり、注文を通してよく観察し、仮説を立てたうえで、メニューにない料理を注文する、という「実験」をした。
そして、でてきた料理が想像通りである事を検証した。仮説は正しかったのだ。
馬鹿馬鹿しいとお思いの方もいるかもしれないが、それがどんなことであれ、興味を持ったら仮説を立てて実験して検証する。
これが「カガクのココロ」である。
(参考資料「ハッカーズ」)
科学は特別なものじゃない。
知識すら必要ではない。
「面白い」「なんでこうなるんだろう?」と感じること。
自分なりの仮説を立てること。
その仮説にしたがって実験を行い、検証すること。
カガクのココロを持ったものにとっては、チャイナタウンのレストランだって面白い実験対象だ。
日常はカガクの機会にあふれているが、多くの人は気づいていない。
このことが非常にもったいない。
この話、2年半後の追記があります。
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3月11日は、子供の保育園の「お別れ遠足」でした。
1年間一緒に過ごしたクラスメイトと、クラス毎に設定された目的地まで歩きます。
親は参加しませんが、弁当をもたせるために早起きしなくてはなりません。
3歳以上の「制服組」の目的地は毎年同じ。保育園から1時間ほど歩いたところにある、自然公園です。
このコースの丁度真ん中あたりで、うちの目の前を通ります。
なので、毎年子供たちが通る時に家の前で「後半分、がんばれ!」などと声を掛けるのを楽しみにしています。
今年は、長男が「年長さん」なので、応援する気満々。
・・・なのに、往路の応援に失敗しました。
子供たちの声が聞こえたから家をでたら、年中さんクラス。
先生に「年長さんは、もう先に行きましたよ」といわれてがっかり。
午後の復路に賭けます。
午後1時半ごろ、窓から子供たちの姿が見えたので、家をでて応援します。
うちの長男(6歳)は「もう、ここで家に帰りたい」という感じでしたが、「後で迎えに行くから、保育園まで頑張りな」と言っておきました。
「迎えって、どれくらいに来る?」と聞くので、いつもと同じで夕方に行くよ、と答えます。
子供たちも行ったし、さぁ仕事…(自宅で仕事しています)。
…1時間ほど集中して仕事をして、午後2時46分、大きな地震。
1分半ほどゆれが続きました。かなり大きいです。
ただ「長い時間揺れていた」というだけで、何ひとつモノが落ちることもありませんでした。
長いけど大きくはない? と言うと、妻は「この揺れは、遠くて大きい地震だ」と断定します。
妻は地震に敏感です。阪神大震災の際も、関東にいながら揺れを感じて「遠くで大地震が起きた」と直感したそうで。
そのすぐ後、つけていたラジオで、宮城で震度7、マグニチュード7.9、と言っています。
もっと詳細が知りたくてテレビをつけると…震源地を示す図がでていました。
しかし、その瞬間に停電。
UPS が電源停止を意味するアラームを響かせます。
UPS が役に立ったのは初めてです。サーバー2台と、家庭内の主要データを全て入れている RAID-NAS (およびバックアップ系)は生きています。
この停電の原因は何か?
配電盤を見ます。…ブレーカーは落ちていない。本物の停電か?
ともかく、100V 電源は使えない。iPod に電池で動く携帯スピーカーを接続し、ラジオを聴きます。
東京電力は案外強いので、30分以内には復旧するだろう、と考えます。
しかし、念のためサーバーをシャットダウン。
この作業の間、妻は保育園に迎えに行く準備をします。
・動いている間も情報収集できるように、携帯 AM ラジオ
・携帯ラジオと一緒に出てきた乾電池ラジオに、名前を書いた紙を貼り付け。
(場合によっては、保育園に貸し出すつもり)
・「確かに子供を引き取りました」と示す、署名入りのメモ。
こういう状況では情報が錯綜しやすいので、確かな証拠を残すと良い。
引き取りました、のメモなんていうのはなかなか思いつかない。
妻は大学で地学を専攻していたので、地震はある意味専門分野だ。
災害の時は車を使ってはいけない。妻と一緒に、自転車で保育園へ。
信号が消えており、いつも朝「緑のおじさん」をしてくれている近所の老人会の方が、交通整理をしていました。
停電からそれほど時間もたっておらず、誰に頼まれたわけでもないと思うのに、フットワークの軽さに脱帽。
保育園についたのは丁度3時。長女(3歳10ヶ月)はおやつ前だったようで、
「まだ食べてない。おやつ食べたい」と泣きそうです。
「家で好きなもの食べていいよ」となだめます。
#次女(1歳10ヶ月)は、おやつの準備はできていたのでもらって帰ります。
長男は食べ終わっていました。「いただきます」をした直後に地震があったそうです。
保育園児たちは泣くこともなく、おとなしく机の下に入っていました。先生たちも冷静です。
この保育園、毎月避難訓練しているんだよね。
親も巻き込んでの「引き取り訓練」も毎年2回行われ…予定では来週土曜日が引き取り訓練でした。訓練前に本番をやることになったわけですが。
帰り道に、近所のスーパーが営業しているのが見えました。
可能であれば、食パンを買っておきたい。
長女はパン食が好きなのですが、我が家は基本的に朝食は米飯です。
ただし、「保育園が休みの日」は朝余裕があるので、パン食でも OK 。
長女は土日の朝ごはんを心待ちにしています。
そして、明日は土曜日なのです。
家に帰って妻にそういうと、妻が買い物に行ってくれることになりました。
POS は停止しているだろうから、と電卓を持って出かけます。
子供たちはその間におやつ。
珍しく早い時間に家に帰ったので、おやつの後は3人で楽しそうに遊んでいます。
…妻の帰りが遅い。やはり店は混乱はしているのだろう。
停電は30分もすれば復旧するだろう、と思っていたのですが、すでに1時間が過ぎていました。
ラジオによれば、幾つかの発電所を停止しているようです。
これは、どうやら長引きそうなパターン…
思い立って、部屋を片付けます。子供たちがおもちゃを出しっぱなしにしているので、このまま暗くなると危険です。動線確保しないと。
箱を用意して、長男にも「綺麗な片づけでなくてよいから、今遊ばないおもちゃはこの箱に入れる」ように指示を出します。
片付けている最中に、妻が戻りました。
店に入ったらレジがすごい行列だったので帰ろうと思ったら、目の前で「今店内にいる人で最後にして、閉店する」決定をしていたので、待ってでも買うことにしたのだとか。ギリギリで間にあいました。
レジが混んでいた原因は、「商品の値段がわからないから」。
電卓を持って行っても、そもそも値段がわからないから調べるのにすごく時間がかかるのね。
#権限のない「店員」レベルでは、とにかく正確な値段を調べないといけない。
なので、客が値段を自己申請しても裏付ける必要があり、非常に時間がかかる。
もし自分がその場にいて「権限」があるなら、とにかくお客さんの連絡先と持っていくものをメモに書かせ、後日清算する事にして、自己申請の金額で「とりあえず」販売するだろう。
嘘をつく人もいるかもしれないが、こういう非常時には大抵この方法でうまくまわる。
ラジオで発電所が停止していると言っていたので、暗くなる前に片付けている、と告げると、妻も別の箇所を片付け始めます。
一緒に片付けながら相談。
オール電化の我が家では、このままだと夕食も作れない。
キャンプ用のストーブもあるのだが、残念ながら燃料を用意していない。
パンを買ってきてもらったので、サンドイッチでも作ろうと思うがどうか?
基本方針に異論はなかったので、僕が夕食を作ります。
この時点で4時半でしたが、早くしないと真っ暗になります。
冷蔵庫(電源が切れているので、長時間あけていてはいけない)の食材と相談します。
きゅうり、スライスチーズ、マーマレードがありました。
今朝子供たちに用意したお弁当の残りで、ゆで卵とトマトもあります。
マヨネーズもあるので、卵フィリングを作ります。
料理をしているのを見て、子供たちが寄ってきます。
いつもより早い時間に作っているので、「なんでご飯作ってんの?」と長女に聞かれます。
そこで、今電気が使えないこと、おそらく夜になっても使えないこと、そのままでは真っ暗だから、明るいうちにご飯にしてしまいたいことなどを話します。
これを聞いて、長女が泣きそうになります。
慌てて「今日は保育園で遠足だったから、今度は家の中でキャンプごっこしよう」と持ちかけます。
「キャンプは、電気を使わないで、暗い中でみんなでご飯食べるんだよ」などと教えると、ちょっと嬉しそう。
サンドイッチを作っていると知った長男が「自分ではさむの?」と聞いています。
好きな具をはさむのは、長男のお気に入りの食べ方。
でも、今日は暗い中での食事となるので、あらかじめ全部作ってしまいます。
「じゃぁ僕、組み合わせ考える」と、紙にクレヨンで「きゅうり + チーズ」とか、思いつく組み合わせを書いています。
リクエストに答えてあげたいけど、待っている余裕はないのでどんどん作ります。
長男と話しながら料理している間に、妻はなにやら始めたようです。
サンドイッチができた時点で今後の相談をしに行くと…庭で、七輪に炭火を熾していました。
「サンドイッチだけだと寂しすぎるから、温かいスープくらい作ろう」だそうです。
この行動力はありがたい。
いつもの食事の部屋とは違う、夕方でも一番明るい部屋にテーブルを出し、そこで食事にします。
妻が「いいものがあった」と、庭に埋め込んであったソーラー LED ライトを引き抜いてもって来ました。
ロウソク程度の明るさしかありませんが、真っ暗よりもずっといいです。
子供たちは食べ終わって遊び始めましたが、妻は時々戻ってくる以外は、七輪のほうでなにか作業しています。
たまたま窓から外を見たら、星空がすごく綺麗です。
街が真っ暗になることなんて、こんなときで無いとありえないですからね。
妻が戻ってきて「いつ復旧するかもわからないから、ジャガイモと玉葱煮てる」と言います。
じゃぁ、ついでに卵もゆでといて、と言うと「既にやった」とのこと。行動が早い。
そして「外、すごく星が綺麗だよ」と。
…あーあ、言っちゃった。気づいても口に出してなかったのに。
最近星座好きの長男が、外に出て星を見たがります。
長男が出るといえば、長女も出たがる。そうしたら次女も出たがる。一家でベランダに出ることになりました。
そして、七輪を見て大はしゃぎ。
「なんか焼いて食べたい!」
…急遽、お餅を焼くことになりました。
でも、外は思ったより寒くない。
お餅の香ばしい匂いを感じながら、しばし天体観測。被災地は大変なことになっているのに、のんきなものです。
お餅を食べたら、そろそろ寝る時間。
「お風呂入りたい」と長男が言い出します。
あらかじめ、今日は風呂は無理だと思う、と言っておいたのですが、遠足も行って汗をかいたのでさっぱりしたいらしい。
そこで、ジャガイモと玉葱を煮込んだお湯でタオルを絞り、体を拭くことにします。
妙にいい香りのスープで体を拭いて…翌日見たら、タオルが見事な「玉葱染め」になっていました。
そろそろ8時半。いつもの就寝時間です。(約束どおりに寝ることはあまりありませんが)
歯を磨いていると、急に明かりがつきました。電力が復帰したようです。
「キャンプごっこはこれでおしまい。電気ついたから、寝る前の絵本も読んであげよう。」
これで皆、素直にベッドに移動。
遠足の疲れと、なれない暗闇生活の気疲れで、すぐに寝てしまいました。
時々携帯がけたたましくなる緊急地震速報も、子供たちは不安がりながらも、皆で固まって抱き合っているのは楽しそうでもありました。
マグニチュードは、当初7.9でしたが、その後上方修正され8.4、8.8と上がりました。
(後日追記…13日には9.0とされました)
停電時間、およそ5時間半。自分の人生の中でも、最長の停電時間です。
我が家はほとんど被害がなかったのでのんきにしていましたが、関東でもかなり被害が出ていた、と知ったのはこの後。
我が家の被害が少ない理由の一つは、スウェーデンハウスが強固に出来ているからだと思います。
それに加えて、妻が地学をやっていたこともあって、家の中の地震対策にかなり気を使っているのもあります。
明かりは全部シーリングライトで、ペンダントライトはありません。家具は基本的に壁に固定しています。
スウェーデンハウスは窓が家に密着しているので、揺れても鳴りません。
つまり、地震があっても、それを如実に示すようなものが、何もないのです。
これらの効果で、実際の揺れ以外には「揺れている」と感じさせるものがありません。これは、心理的に非常に大きいです。
実は、この日は一瞬みぞれが降りました。
その程度には寒かったのですが、暖房をつけない状態でも、部屋の中は20度ありました。
これもスウェーデンハウスの断熱性のおかげです。
#2階のほうが少しでも明るいため、2階で過ごした。
暖かい空気は上に上がるので、2階は1階より暖かい。
停電によって換気が停まってしまったので、外の冷気が入らなくなった、というのも大きい。
とにかく忙しい一日でした。
子供には、おそらく一生忘れられない「遠足の日」となったでしょう。
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東北地方の大震災で、とりあえず自宅待機生活。
いつもう一度大きな余震が起こり、ライフラインが停止するかわからない、という覚悟で望む。
最初の揺れでも水道は使えたけど、念のため麦茶用のボトルなどに水を取り、順番に使うことにする。
充電池は電気が使えるうち、かつ電力需要が低いはずの昼間・深夜に充電しておいた。
もともと、子供のおもちゃ用、および仕事柄電子機器に囲まれた生活をしているので、充電地(エネループ)を3ダース以上持っている。
また、家はオール電化で深夜電力が安いので、充電モノは深夜に充電する生活を送っていた。そのために時間で通電を ON/OFF できるタイマーも持っている。
すばやい情報を得るため、ラジオで NHK を付けっぱなし。ちなみに、このラジオは太陽電池のついた充電式だ。神戸震災のしばらく後に、安く売っていたのを買い求めた。
(神戸震災の時は、直後に防災グッズの需要があったのでお店もたくさん仕入れていたが、しばらくしたら「不良在庫」となって安売りしたりしていた)
いつ何が起こるかわからないので、週末の2日間は家で缶詰生活。
当初は緊急地震速報に驚いていた子供たちも、徐々に「音が聞こえたら安全な箇所に逃げ込む」というゲームのように捉え、楽しみ始めた。
ラジオで不協和音がなると、キャーキャー笑いながら「安全」だと教えてある場所に逃げ込む。
親もそこに行って、皆を抱きかかえる。これがまた嬉しいようだ。
こんな状況の中でも笑いが絶えないのはありがたい。
とはいえ、電気がないからとテレビをほとんど見ないのは、子供たちにとっての一番の不満のようだ。
電力需要が少ないはずの時間帯を狙ってなら、僅かな時間テレビを解禁している。
(普段からハードディスクレコーダーを使っているので、放映時間、という概念は余りない)
長男(6歳)は、稚拙な概念ながら、これが大惨事である事を理解している。
長女(3歳10ヶ月)は、まだ惨事と言う概念はないようだ。新聞写真などを見ても「おうち燃えてるー」程度で、人の生き死にと言う想像には至らない。
次女(1歳10ヶ月)に至っては、なぜ毎日外出できないのか理解できず、玄関を指差したりして外に出たい意思を表明する。
月曜日。輪番停電の開始。
政府の「通勤通学の自粛」要請を受け、市でも保育園の保育自粛を決定したようだ。
保育園から連絡網で、可能なら自宅待機を、と通達があったため、自宅待機とする。
状況把握のためにラジオは手放せないが、外遊びも行うことにする。
といっても、家から 5m のところにある広場だけ。
それでも、近所の保育園友達が遊びに来ていて、皆で楽しそうに遊んでいる。
自分は通勤も何も、普段から自宅で仕事をしている。
しかし、この日は交通網が大混乱だったそうで、遭遇した方はお疲れ様。
初日は、うちの停電時刻は、15:20~19:00 の予定だった。
このうちの最大3時間、なので、4時前に夕ご飯を作ることにする。
もし 15:20 から停電が始まってしまった場合は、18:20 には終了するので、それから料理をしても良いだろう。
米は、うちの炊飯器は釜が厚いので、炊き上げてから電気を消しても、2時間くらい暖かいまま。
おかずは密閉容器に入れて、電子レンジで温めた「ゆたぽん」と一緒に保温バッグへ。
結局、この日の停電は見送られたが、2時間後の18時に食事を食べても、十分な暖かさを保っていた。
震災当日に「暗闇生活」も経験しているし、料理にも問題が無いとわかった。
工夫次第で当面乗り切れそうだ。
オール電化は昼間電力が高い、と言う理由でもともと家電品を余り使わないように心がけている。
電気ポットは使っていない。薬缶でお湯を沸かして、ポットに入れている。
ただ、このポット、某ホームセンターチェーンのオリジナルブランドで、1.8リットル容量を980円で購入したものだが、保温能力が低い。
というか、熱湯を入れたら外側が暖かいってダメだろ。熱が逃げているのが判るレベルなんだから。
そのため、普段から妻の手製の「服」を着せているのだが、先に書いた夕食時の知恵から、さらに保温バッグをかぶせるようにしている。
これと一緒に、有名魔法瓶メーカーの500ミリリットルの携帯用ポットも使用。
これで、3時間の停電の間、コーヒーを飲むのに困らないくらいのお湯は確保できている。
また、停電しない時でも、できるだけ節電には協力している。
震災以来、暖房(我が家は全部エアコン)は使っていなかった。
…過去形なのは、今朝4時半から6時に使ったから。今朝は寒かった(外気温0度)ので。
電力需要の少ない時間なので許していただきたい。
煮物を作る時、火が通ったら鍋全体を布で包んでおいて置くと、ゆっくりと具材に火が通り、おいしく仕上がる。
(料理の際、強い温度に晒しすぎると具材が固くなるが、それが起こらない)
節電に協力するだけでなく、普通よりおいしく仕上がる。ただし時間はかかるけど。
キャンプ料理なんかだとよく使われる方法です。
まぁ、そんなわけで、多少の不便はあるけど、不満はない生活を送っております。
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基本的にこのページは自分の日記なので、あまり他人や社会に対する非難などは書かないことにしているのだが、強い思いがあるので書いておく。
どうも、「計画停電」という言葉が独り歩きしていて、「無計画だ」とか東京電力が批判されているのだが、本質を理解していないように思える。
もともと、東電は「輪番停電」と言っているのだ。ところが、輪番と言う言葉の意味が判らなかったり、テクニカルタームだと思ってしまうような人がいるので、「計画」という別の言葉を使うようになったに過ぎない。
「輪番」は普通に使われる単語だ。近年では「当番」や「順番」などの言葉を使うことも多いので「輪番」を使うことが少なくなって入るが、概念が微妙に異なるのでわざわざ違う単語がある。
「順番」は、順の言葉の通り、一方向に当番を入れ替える事を意味するのみだが、「輪番」は輪の文字の通りサイクリック(環状)になっている。つまり、最後まで行ったら強制的に最初に戻る。
ただこれだけの言葉である。
この説明を読んで初めて知った、と言うような人は反省するように。あなた方のために、東京電力は言い直さざるを得なかったのだ。
東電の電力網と言うのは、つまり「電気回路」に過ぎない。
発電所がダメージを受け、運用を停止しているというのは、電気回路で言えば電池の電圧が下っている状態に値する。
つまり、携帯電話で言えば、電圧が少ない状態だ。
携帯電話で電圧が下ったらどうすればよいか。もちろん充電が望ましいが、それが出来ない場合の話だ。
誰もが考えるのが、無駄な機能を使わないことだろう。
誰かから連絡来る事を考え、ゲームなどで遊ぶ事を控える。カメラなどは、使おうとすると「電池容量が少ない状態では使えません」などと、システムに怒られることもある。
つまり、電圧が下っている場合は、節電することや、一部回路への電力供給を行わないことが必要なのだ。
もし無理に電力を供給すれば、システム全体が停止し、復旧の見通しを立てることも難しくなる。
携帯電話の例では説明が難しいのでたとえを変える。
「一部回路への電力供給を行わない」とは、どのような方法か?
たとえば、あなたの家でコタツと電子レンジとドライヤーを同時に使うと、ブレーカーが落ちる、と判っているとする。
コタツと電子レンジを使っている状態でドライヤーも使いたい時、どうすればよいか?
答えは簡単。コタツを切るか、電子レンジでの加熱が終わるまで待てばよい。
ただこれだけのことだ。
どこかの電力を停止すれば、その停止分を他に回せるのである。
つまり、輪番停電とは、電力が足りない時に、全体の電圧が落ちて大停電を引き起こす前に、一部の電力供給を停止して、それ以外の箇所に電力を送る、という仕組みに過ぎない。
「電力が足りない時」に行うが、それがいつ来るかは想定できないため、停電該当地区の人にとっては「急な停電」に過ぎない。
ただ、救いなのは、システム全体が停止したわけではない、ということだ。一定時間後には、他の地域の電力をカットし、それまで停止していた部分は回復する。
急な停電は困るだろうが、確実に一定時間後に回復することがあらかじめわかっていれば、対処の方法もあるだろう。
ところが、東京電力が輪番停電を「計画停電」と呼びなおした。
ここでの計画は「想定外の状態にならないこと」程度の意味に過ぎない。あくまでも、電気の番人である東京電力側の言葉だ。
しかし、多くのマスコミ(と、マスコミに煽られた一般市民)が、計画なら計画を明らかにせよという。
停電は「東京電力の送電網」を単位として行われるだろうが、そんな内部的なものではなく、市町村名などの行政の都合による単位で明らかにせよという。
震災からわずか2日(計画停電、という言葉に変えて、計画を明らかにせよといわれ始めてからは1日なかったと思う)で、送電網という東京電力の都合による単位を、行政の都合による単位に変換し、概要を公表した東京電力はよくやったと思う。
その表は「概要」に過ぎず、不十分なものだったとしても。
さらに不可解なのは、この計画停電が無事回避されたときの反応だ。
東京電力は、電力網を可能な限り維持することが仕事である。停電しない地域を少しでも多くしたいし、全体が回避できるならそれに越したことはない。
だから、時間も3時間40分のうちの最大3時間、というように幅を持って定めてある。
この時間の中で電力需要を見ながら判断をしようとしているのだ。
その時間の幅の意味がわからない人がいうのだ。
「時間になっても停電しない」と。
さらに、努力によって停電を回避できた地域の人が言うのだ。
「停電といわれていたのに、停電しない」と。
停電が回避できたのは、この文句を言った人以外(文句を言うような人は、なんの努力もしていないに違いない!)の方々の節電の努力と、ギリギリの選択を続けている東京電力の担当者の努力の賜物である。
時間になっても停電しないとか、そもそも停電が行われないと怒るのであれば、自主的に電気を消して、他の地域の方に少しでも回せばよろしい。
これを書いているのは、まだ計画停電開始から4日目である。
東電は、輪番停電については、電力的にも計画をまとめる時間的にも限られたリソースの中で、賞賛される仕事をしていると思う。
もちろん、現状を全面的に肯定できるものではない。
電力を停めることで、社会的に損失になる箇所には24時間通電を行わないといけない。
(当初は、電力網の都合でそれは難しい、と説明されていたが、2日に電車などを無停電にすることで、技術的に可能であることを明らかにした)
止むを得ない事情で、緊急避難的にシステムを大幅に変更しているのだ。
当面は変更に伴う混乱は必至だし、周辺とのすり合わせをしながら、システムを安定していくのはこれからの仕事だ。
(でも、2週間程度で、不便ではあっても社会が回るようなシステムに持って行って欲しいとは思う)
それでも、東電に振り回されるのはごめんだ! と思う人は、電気を使わない生活を心がければよい。
最初から電気が無いと思っていれば、東電に振り回された、と感じる事もないはずだ。
その分必要な人に電気が回るので、こんなにありがたいことはない。
僕は、電力の恩恵には預かりたいので、現状の東電の「計画停電」を擁護しこそすれ、責めようとは思わない。
復旧の目処も立たない停電よりは、最大でも3時間(を2回)とわかっている停電のほうがありがたいからだ。
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子供のころ、停電があるとわくわくした。
大抵は台風の夜などで、普段は閉めないところまで雨戸を閉め、停電するとロウソクの周囲に家族が集まる。
いつもと同じ場所、いつもと同じ生活の中なのに、いつもと違う非日常がそこにあった。
この経験は、年代によって大きく異なると思う。
昭和50年代初頭までは時々停電があったものだが、その時間はどんどん短くなっていった。
そして、50年代中盤以降は、停電その物が珍しく、たまに停電があっても1分程度で回復するのが当然となった。
そんなこともあって、震災直後に停電した時は、30分もすれば回復するだろうと思った。
もっと言うなら「回復してしまうのだろう」という気持ちだった。
しかし、子供を保育園に迎えにいくとき、信号が消えているのを見てわくわくした。
その後、ラジオで情報が集まるにつれ、想像をはるかに越える大災害であることが分かってきた。
大変なことになった、という思いと同時に、自分でも不謹慎だと思いながら、わくわくする気持ちが大きくなってきた。
停電は3日くらい続くかもしれない。自分と妻だけならどうにでもなるが、3人の子供を抱えてどう対処するか。できる限りの対策を考えながら、当面今夜を乗りきるために部屋の片付けと、夕食作りを始めた。
結局この日の停電は6時間ほどで回復したが、いつまた停電するかも分からず、電気がきている間にそのための対策は十分に行っておくことにした。
そして現状。
今のところ計画停電はうまく働いており、予定外の停電は起こっていない。
あらかじめ時刻が予告された停電であれば準備しておくことができる。
非日常の3時間を乗りきり…楽しむために、子供にも事前に停電の意義をよく話し、みなで…わくわくしながら待つ。
まだ慣れていないので、停電によるトラブルが出る場合もある。
しかし、それは単に自分の準備不足によるものだ。あたふたとトラブルを回避しながら、次回のために強く心に刻み込む。
次回のため? …次回の計画停電の時間ではない。いつか必ずくる、自分が被災したときのためだ。
いまもラジオでは「節電にご協力を」と話をしている。
もちろん、停電時間外でもできる限り節電を心がけている。
だけど、節電に「協力」するんじゃない。協力、というのは、他者のために行う、という意味だ。
みんな当事者なんだから協力じゃなくて自分のためにやるんでしょ?
計画停電1日めは大混乱だった。これは電車各社が慎重になりすぎたためで、案外電力は足りていた。
そのため、2、3日目は順調に行った。思ったより大丈夫じゃないか、と多くの人が思ったようだ。
そのため、4日目は調子に乗りすぎて電力需要が上がり、再度混乱を引き起こした。
僕個人の意見としては、電力が足りないときは電車を止めるのではなく、予定外の地域でも通電を止めてしまえばよいと思う。
この「4日め」を忘れてはいけない。
皆が調子にのって、少しずつ電気を多く使ったから、社会的混乱が引き起こされて、皆の生活が混乱したのだ。
東京電力が悪い、などと言ってはいけない。
自分は節電していたのだから、別の人が悪い、などと言ってはいけない。
自分が当事者なのだから、自分の行いを見直さなくてはいけない。
僕はこのあと、家庭内LANのHUBなどの、常時通電していた機器も不要な際は電源を切ることにした。
すでに節電は心がけていたが、あと少し、わずかな節電でも必ず意味がある。
最後に、現状で感じている、最高の「わくわく」を。
これを機に、社会のあり方が変革するのではないか、と僅かに期待している。
…いや、多分そうはならない。人間はおろかだ。同じ過ちをもう一度繰り返すだろう、と言う気持ちも強い。
でも、5%くらいの確率で、変革に期待したい気持ちがある。
原発は、これからも使われるだろう。原発なしでは、現代社会を支えられないからだ。
でも、今後の新規建設は厳しくなることは必至だ。
原発の代わりに火力発電所を使ったら?
出力が全然違う。火力発電所を100基も作れば原発の代わりになるだろうが、今度はCO2排出の多さが社会問題となるだろう。
太陽光発電を皆が導入したら?
夏の昼間のピーク電力を解消することはできそうだ。でも、冬の夜の電力需要は変わらない。
蓄電は可能か?
…わずかには。各家庭に太陽電池と蓄電池を準備したとして、夜の早い時間の電力ピークくらいは解消できるかもしれない。
でも、その後の時間はやはり電力を買う必要がある。
つまり、どうやっても「元の生活」になど戻れないということだ。
ならば、より積極的に、状況に合わせた生活に変えていくしかない。
ほんの30年前まで、テレビもコンビニも、24時間いつでも使えるわけではなかった。
便利さを追求した結果それらは24時間に対応したが、それは過剰な対応ではなかったか?
コンビニができる以前は、商店もせいぜい7時までしか開いていなかった。
その時間に買い物をして帰宅できるように、ちゃんと皆が5時に終業し、残業はよほど特別な場合にしか行われなかった。
コンビニができて、残業がふえ、社員一人当たりの仕事量が増えたために効率が上がり、社員を整理する事ができるようになったために失業者が増えた。
仕事を持っている人も残業して家に帰るため、テレビの放送は深夜にまで及び、夜更かしして朝食を抜いて出社する人が増えた。
それで、誰かが幸せになったのか?
別に、あの時代に戻りたいなどというのではない。
今の時代には、今のやり方があるだろう。
例えば、サテライトオフィスを増やし、ブロードバンド回線で結ぶ。
通勤時間が減るし、電車の運用本数も減らせる。開発ならそれで充分だろうし、実際に人と会うことが仕事の営業であっても地域に根ざした「支店」が増えると考えれば、営業車もその使用燃料も減らせるだろう。
もちろん、問題は山ほどある。オフィス分散による管理の手間は増大するだろうし、やはり直接顔を合わせないと意思の疎通が難しいこともあるだろう。
しかし、サテライトオフィスが増えて職住が接近したとき、コンビニの営業時間は「7時から夜11時」で十分になるだろうし、早く帰宅すれば、その後ゆっくりくつろいだとしても深夜のテレビ番組は不要になる。
そうすれば、電力需要ももっと減らすことができるのではないか。
もちろん、そうなっても深夜に仕事がある人はいるだろう。それでいい。全員が変わる必要はない。全体としてその傾向が出ればよいのだ。
そのように生活が変革すれば、太陽電池と充電池で必要電力の多くを賄い、不足分を補うために火力発電などを使用する、という社会のありかたが現実味をおび始める。
すぐに太陽電池が普及するとも思えないが、当面多くの人が生活を変えれば、原子力発電所を「なくせる」ほどでなくても、「新設しなくてもよい」程度にはできるかもしれない。
サテライトオフィスがすぐ用意できなくても、夏までに在宅勤務制度を導入する企業が増えれば、夏の停電を軽減できるかもしれない。
残業時間が減るということは、収入が減るということだ。先に書いたとおり、企業は労働力の減少を「新規雇用」でまかなう必要がある。一種のワークシェアリングだ。
しかし、職住接近していれば、無駄な外食や移動のための経費も減らすことができる。収入が僅かに減っても、それほど生活は困窮しないはずだ。
電力が足りない状況はすぐには解消しない。3年程度は続くのではないかと思っている。長期戦だ。
「当面の」計画停電期間である、4月末までを乗り切れば終わりではないのだ。
長期戦に耐えるために、企業も勤務形態を見直すことに消極的ではいけないだろうと思う。
全体として目指すのは、移動や深夜の照明など、「なくても構わない」エネルギーを削減することによる、省エネルギー社会だ。
残業時間の短縮によって、コンビニの営業時間の短縮、深夜テレビ放送のカットなどは「狙って」いるが、新規雇用などはおまけとしてついてくるものだ。
…先に書いたように、このように事が進むとはあまり思っていない。
だけど、少しでもその方向に進んだほうが、よりよい世の中になっていくのではないか、と思っている。
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そろそろ落ち着いたころなので書いておこう。
震災2日後あたりに、「デマに惑わされないように」との政府公式見解が出された。
これを受けて、新聞などでもデマに気をつけるように、との報道、告知が繰り返し行われた。
では、混乱が落ち着きつつある今、あえて問おう。
デマとは何なのか?
我が家でとっている新聞(あえて名は伏す)では、チェーンメールでデマが出回っている、と報道された。
だからメール情報は信じるな、と書く一方で、ツイッターでは善意の輪が広がっており、活用することが呼びかけられていた。
ツイッターでもデマが回っている、と新聞社が認めた記事を書いたのは、震災から1週間も経ってからだ。
その後も、一度報道した内容を覆すのが恥ずかしいのか、ツイッターは善でメールは悪、と言う形の報道姿勢は変わらない。
デマの多くはツイッターで広まっているのに、それらを「信用できる情報」だと活用を勧めているのである。
この報道自体は「デマ」ではないのか?
東京電力は、少なくとも計画停電については、当初から十分な情報を提供していた。
ただし、その情報は、「電力」に関しての基礎的な知識がなくては理解できない情報だった。
混乱の中で、他者に十分伝えるための方策を練る時間がなかった、ともいえる。これは仕方のないことだ。
しかし、多くの報道機関が、東京電力の情報を、適切でない省略を行って伝えた。
省略は紙面の都合などもあり仕方のないことだが、その省略が適切でなかったのは、報道機関が不勉強だったせいである。
報道機関はその後、この計画停電による混乱を糾弾した。しかし、混乱は適切に情報が伝えられなかったことによって起こったものだ。
「チェーンメールやRTによってデマが広まる」と告知をしている報道機関は、内容を理解しないまま情報を伝えることで多くの混乱を引き起こしたのである。
この報道自体は「デマ」ではないのか?
原発の事故について、政府は(というより首相は)いち早く対応を開始した。
このことは評価すべきだ。しかし、対応が早かったのは「政府主導」を演出したかったためだ、という疑いがでている。
真相を僕は知る由もないが、東京電力や原子力保安院、原子力安全委員会が記者会見を行おうとしても、それを制して「まず最初に政府が発表する」という形を取ろうとしたそうである。
ところが、専門外の人間が記者会見を行おうとすれば、その人間に必要十分な知識を与えるために、必要以上に時間をかけなくてはならない。
このことにより、発表は遅れに遅れ、その発表の準備のために対策の「次の一手」を繰り出すのも遅れ、災害が深刻になった節がある。
首相が、自分にとって都合のよい形で情報を発表しようとして、適切なタイミングを逸した情報しか出せなくなり、混乱が広まる。
この発表自体は「デマ」ではないのか?
非常時には十分な情報を得る事が難しくなる。
その状況では、得た情報の妥当性を検証する事も難しい。
実は、これは「非常時」に限らない。
平常時であっても、我々は思ったほど情報を得られていない。
「デマに惑わされないように」
というのはたやすいが、デマとそうでない情報を見分ける簡単な方法は存在しないのだ。
かくして、デマに惑わされないように、という政府発表自体が、人心を惑わすデマに過ぎなくなる。
正しくは、こう言うべきなのだ。
「情報に振り回されないように」
問題は、情報の質ではなく、受け取った側の対応なのだ。
地下を巡る情報に振りまわされるのは
ビジョンが曖昧なんデショウ
頭ん中バグっちゃってさぁ
多くの人が知っていると思う歌「アポロ」の一部。
地下を巡っているかどうかはともかく、情報に振り回されないためには「ビジョン」を持つことが大切だ。
自分がどうすべきか、どうあるべきかを明確に分かっていれば、どんな情報が入ってきても振り回されることはない。
先に、新聞社の例を二つと、政府の例を一つあげた。
これらに共通している事は、情報を受け取ったものが、本来行うべき仕事をしていない、と言うことだ。
新聞社は、報道機関として、事実の裏にあるものや、情報発信者が発信しきれていない「真意」を汲み取らなくてはならなかった。
混乱時であることを言い訳にして、それらの仕事を怠り、単に入ってきた情報を再発信した。チェーンメールやRTと同じ事をしたにすぎない。
これでは、ツイッターでデマが出回りやすいのと同じ行動だ。それを、責任を自負するメディアが行っているのだから、罪はさらに重い。
政府も、情報を受け取ったら「かっこつけて発表する」準備に明け暮れるのではなく、すぐに打開策の策定に走らなくてはならなかった。事態は一刻を争うのだ。
しかし、それらの仕事を怠り、単に入ってきた情報を再発信した。…こちらもRTしたに過ぎない。
その間に、事態は深刻になった。情報は遅きに失するものとなった。
「デマに惑わされないように」と発信する政府が、情報に振り回されているのだ。
この罪は重い。
我々はどう行動すべきだろう?
有用な情報とデマを見分けるための簡単な方法は存在しないが、行動の指針は立てられる。
まず、入ってきた情報を二つに分けること。
情報には、事実の報道と、誰かの意見の二つがある。ただし、どんな情報であっても、この「どちらか」に単純に属しているわけではない。
どんなに事実をストレートに報道しているように見えても、それは事実の「断片」でしかない。全体は膨大すぎて伝えられないため、誰かが「必要と思われる箇所」だけを抽出しているのだ。となれば、それは既に事実ではなく、誰かの意見を反映していると見なくてはならない。
「必要と思われる部分」を抽出した人間が、本当にその分野の専門家であれば良い。
しかし、新聞記者は「記事を書く専門家」であるだけで、記事内容の分野の専門家ではない。抽出方法が間違っていることは、往々にしてありえる。
(だから、ツイッターが善でメールが悪、なんて頓珍漢な記事を書くのだ)
新聞によく出ている「有識者の意見」などは、事実ですらない。その分野に詳しくない新聞記者が、詳しいだろうと勝手に推察して記事の執筆をお願いしているだけだ。
その分野に詳しい人間が推薦する人間は、確実に詳しい。しかし、まったく素人が適当に探し出した人間が、詳しいとは限らない。
少なくとも、僕の購読していた新聞では、放射線と放射能の区別もつかない「原子力の専門家」が記事を書いていた。そして、新聞社はその記事がおかしいことに気づかずに、そのまま「専門家意見」と銘打って掲載したのだ。
この、混沌とした状況の中から、何が少なくとも事実で、何が個人の意見に過ぎないのかを分別しなくてはならない。
これが、情報に振り回されないための第一歩だ。
次に、情報の裏づけ調査を行わなくてはならない。
事実の断片であれば、別の断片を見つけ出して、より全体像に近いものを描き出す必要がある。
個人の意見であれば、その意見がどの程度の妥当性を持っているのか、その意見のよりどころとなる事実が本当なのかどうかを調べなくてはならない。
緊急性の高い報道ではよくあることだが、個人の意見を出している「有識者」も、断片的な情報を元に状況を推察している場合がある。
ここで、事実の断片を組合せて「全体像」を描き出すことが役に立つ。
有識者のコメントは新聞に多いが、印刷や配布の都合から、その記事は今あなたがいる状況よりも、数時間前に書かれているはずだ。
今の最新情報と照らし合わせると、前提条件自体が間違っていて、意見そのものが無効となっている場合もある。
逆に、有識者が「仮定」として書いていることが現実化している場合、意見は情報としての信憑性を増す。有識者が本当にその分野に詳しいことが前提だが。
事実の断片を集める時は、より多くの情報を当たらなくてはならない。
可能であれば、発信源に近い情報を当たること。誰かによって省略される前の情報が、一番多くの情報を含んでいるためだ。
どこに行っても同じ情報しかなかったり、発信源不明の情報であれば、その時点で怪しいものとして扱うこと。
なんらかの「憂慮すべき事態」が起こっているのであれば、情報がそんなに薄っぺらなものであるわけがない。
そして、十分な情報を得られたところで、情報を活かさなくてはならない。
その情報は、自分の行動を決定付けるのに十分なものか?
今すぐ自分が行動を起こすべきだ、と考えるなら、その行動を起こすべきだろう。
家を捨てて避難する必要があるならば、今すぐそうすべきだ。
パンを買わないと困ったことになるなら、今すぐ買いに走ればよい。
節電のために電気を消す必要があれば、今すぐ不要な家電品をプラグから抜こう。
自分で十分に吟味した情報であれば、それはデマではない。情報を分析した上で、自分が生きるためのリスク管理だ。
推論が間違っていて困ったことになっても、それは自分の責任だ。
パンを買い込んだのに翌日もパンが店に並んでいたのなら、カビる前に食べるしかない。
もしくはスズメの餌にしても良い。…金銭的に損したと思っても、自分の責任なのだ。
さて、推論の結果、自分がすぐに被害をこうむるわけではないが、家族や友人には警告しなくてはならない、との結論に達したとする。
では、警告すべきだ。…ただし、自分の言葉で。誰かが言っていた、とか、どこかに書いてあった、ではなく、自分の責任で。
十分に吟味した情報なのだから、それはデマではない。自分が発信者である事を添えて、堂々と発信しよう。
間違えていたとしても、あとで友人や家族から怒られたり、笑われたりするだけだ。
人に情報を伝える時は、その程度の覚悟を持って望もう。
さて、最後に重要な事を一つ。
長々と書かさせてもらったが、ここに書いてある事を無条件に信じてはならない。
感心しようとも、反感を持とうとも、もしくは全く無視しようとも構わない。
しかし、無視する場合を除いて、情報の裏を取ること。
僕が何か、根本的な間違いを犯して意見を述べている可能性がある。
情報の裏を取らずに信じれば、「情報に振り回される」ことになる。
それは、この記事の趣旨から言って、本意ではない。
間違いがあれば意見を書いてもらえれば幸いだが、後で読む人はその意見を信じてはならない。
僕の間違いを訂正してくれる意見だったとしても、その意見自体が間違っているかもしれない。
必ず裏を取ること。
今の世の中は、昔に比べて情報があふれている。
しかし、情報の質は決して上がっていない。
昔なら情報が少なかったため、一つづつの情報を吟味する時間があった。
今ではそれすらも難しい。乗り切るには一定の技術が必要だ。
技術は磨かなければ身につかないが、身についてしまえば難しいものではない。
すぐに情報を見分ける技術を磨こう。
まずは今、目の前にあるこの情報を疑うことから始めるのだ。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【azip77】 参考まで | 「吉田調書」など公開 菅直人元首相は福島原発事故で何を批判されているのか? | 2014.09.24 | thepage.jp | http://thepage.jp/detail/20140924-00000020-wordleaf (2015-04-08 13:31:44) |
25日をもって、長男が保育園を卒園しました。
…まだ保育園には行っているのだけどね。26日以降は春休みだけど、3月いっぱいは扱いとして「保育園児」なので、預かってもらえます。
いまは、友達との別れを名残惜しんで、思いっきり毎日遊んでいる状態。
卒園式は、3歳児以上の「制服組」と、卒園児である年長組の家族だけが参加できます。
うちの場合、長女・次女も家族なので参加しました。ただ後ろで見ているだけだけど。しかも、途中で飽きて帰りたがっていたけど。
卒園児代表の言葉などは、園児とその親が一緒に…というか、長いので親が読み上げる。
長い子では6年。兄弟がいる人の場合、親は10年近くも保育園にお世話になっていることがある。子供は大丈夫でも、親が感極まって泣いたりする。
うちは、まだあと5年はお世話になるので、まだ泣いたりしない。5年後は泣くかもね。
年長組の先生は、卒園式後に泣いてました。
ある意味、親よりも長い時間子供たちを見てくれています。
親は「一緒にいる時間」は長いけど、実はほとんど睡眠時間だったり。
だって、保育園にいる子達は、みんな両親とも働いている(もしくは片親)から、日中のほとんどの時間を保育園で過ごしているんだよね。
卒園記念にもらった「小学国語辞典」は、早速長男のお気に入り。
今まで、ポケモン辞典を散々読み倒したので、すぐに辞典の使い方は習得しました。
もともと質問小僧なのだけど、疑問が出たらすぐに辞典を引いています。
保育園でも、いままで先生を質問攻めにしていたのに、卒園式を過ぎたとたんに「家帰ったら辞典で調べる!」と言っているので、先生は成長が嬉しい反面、寂しいそうです。
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