目次
03日 鬼は外
06日 1日30品目
06日 「間違っている」は間違っている
11日 衝動買い
12日 出血に驚く
19日 究極のプログラムツール
26日 メインマシン絶不調…
妻が風邪を惹いて寝込んだ。
節分だというのに、邪気を追い払うことができ無かったようだ。
まぁ、風邪惹きの兆候は2〜3日前からあったのだが、今日ついに熱を出して寝込んだという話。
節分料理の準備をしつつあったので、僕が一人で作ることにする。
妻は「胃がもたれる」という理由で、夜はあまり炭水化物を取らないようにしている。
だから、太巻きを食べるのは昼にしようと決めていた。
朝ご飯の前に、炊き立てのご飯を酢飯にしてしまう。
香酢があったので少し入れてみる。ついでにゴマも入れよう。稲荷寿司みたいでうまかろう。
あとの作業は、ご飯を食べてから…
太巻きの具のうち、干瓢・人参・椎茸は昨日のうちに妻が準備していた。
(ストーブの上において、ことこと煮込んであったのだ)
厚焼き玉子を作り、胡瓜を細長く刻む。
菜葉がほしいところなので、蕪の葉を塩茹でにして絞る。
実のところ、あまり太巻きは得意ではない。
というか、一人で作ったことが無いし、1年に一度しかつくらないのでうまく巻けない (^^;;
軽く火で炙った海苔を巻簾におき、ご飯を薄く乗せる。向こう1cmは開けるように。
手前のほうに具を乗せる。干瓢・人参・椎茸・卵・胡瓜・卵…具が多い。うまく巻けるか余計心配になる。
えいや、と思い切って巻いてみる。
案外うまくできた。すべての材料は適当に準備したのだが、4本作ったらちょうどだった。
われながら、きれいに巻けたと思う。もちろん、味もよかった。
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妻は相変わらず風邪気味なので、朝ごはんを作っていてふと思った。
納豆と味噌汁の朝ごはん。
たとえば味噌汁の具が、豆腐と油揚げでも不自然は無いだろう。
おかずで、冷奴に醤油かけてもいいや。箸休めに五目豆なんかがあってもいい。
豆腐は大豆を茹でて絞った汁(豆乳)に、にがりを加えて固めたもの。
油揚げは、豆腐を薄く切って大豆油で揚げたもの。
味噌も醤油も大豆を発酵させたもの。納豆も大豆を発酵させたもの。
こんなに大豆ばっかでいったい何品目に数えられるのか。
発酵したものなどは違う品目と数えるのは知っているのだけど。
大豆が日本の食生活に欠かせない、というのは昔から言われることなんだけど、大豆とお米だけあれば十分バラエティ豊かな食事ができそうだ。
日本人の知恵にいまさらながら感心。
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仕事をしているときにBGMにFM横浜をかけていることが多い。
今日の夕方やっていた番組で「若者言葉は許せる?許せない?」というテーマで意見を募集していた。
許せる派の意見は「別に言葉は生きてるんだから良いじゃん」とか「若者同士が遊びで使っているのに目くじら立てなくても…」とか、寛容な意見が多い。
それに対し、許せない派は「らぬき言葉」などの具体例を上げ、理論的に間違っていると攻撃しているものが多かった。
…ちょっと聞いていただけなら、感情問題で「まぁまぁ、いいじゃない」と言っている許せる派と、理論武装して攻撃する「許せない派」では、許せない派が優勢のようだ。
しかし、感情というのはどうしようもないが、理論というのは理論によって簡単に崩されてしまうという事実を忘れているような意見が多く、見苦しい。
ら抜き言葉、以前から問題になっているんですけど、これって「乱れ」ではなくて日本語の特性のような…
1928年出版の「標準日本文法」という本には、すでに「らを省略して用ゐる」という用例が出ているそうです。
ということは、よく主張されるような「最近の言葉の乱れ」ではなく、1928年にはこの使われ方がすでに当たり前だったということ。
それに、たとえば「見る」に対して「見られる」がどういう関係にあるか? と考えてみるのも面白いです。
「見られる」は、尊敬語でもあるし、可能性を示しているとも取れます。
ぜんぜん違うこの二つの言葉が一緒でいいの? って考えたとき、可能性を「見れる」で示すのもあながち間違いとは言えないのです。
あと、よくファミレスのウェイトレスなんかの使う言い回し、「〜でよろしかったでしょうか」や「こちら〜になります」。
これも、意味が解らん、日本語が乱れていると怒る人がいるのだけど、その人は見識が甘い。
というか、僕も以前は見識の甘い人間だったのだけど(笑)、これは方言なんだそうだ。
それも、方言での丁寧語。方言なら違う地方の人間でも多少はわかるかもしれないけど、普段使わない丁寧語になってくると他の地方の人にはそのニュアンスが伝わりにくい。
まぁ、実際には「方言が元と思われる」だけで、いつのまにかその地方以外の人も使い、イントネーションなども異なる独自の「ウェイトレス語」になりつつあるのだけど。
ってなわけで、理論武装して「その日本語は間違っている」と言っている人は、おおかた間違っている。
それがどんな言葉であろうとも、それなりに広まって使われているということは、それだけのバックグラウンドがある「正しい」用法なのだ。
そうでない言葉は、一時的に流行してもすぐに消え去る。だって、それは言葉ではなくて遊びなのだから。
「チョベリバ」とかって、今誰も言わないよね。
遊びを大真面目に捉えて怒っているんだとしたら、その人は心が狭いだけです。
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衝動的にビデオカメラを買ってしまった。
いや、前から欲しいとは思っていたのよ。
というか、すでに一台持ってるのよ。すっっっっごく古い機種で、Victor GR-DV1ってやつだけど。
DV1 は、QV-10 (初代)をしばらく使っていて、「これで動画も撮れれば面白いのに」と思ったので購入したもの。
当時 Mac の Perfoma575 を使っていたのだけど、キャプチャカードを買ってデジタル編集に挑戦してみたりもした。
…が、すぐに断念。CPU が 68LC040 では、ビデオ編集は重すぎた (^^;;
で、PowerMac 7600 に乗り換えた後に、性懲りも無く再びキャプチャカードを買い、ディスクスペースとして Jazz ドライブ(1Gの初代)も買って再挑戦。…こちらもすぐに断念。さすがにパソコンでビデオ編集はまだ実用にならない、と、その後封印してきた。
状況が変ったのは、おととしの夏。
ハワイで結婚式を挙げたのだが、このときのビデオで DVD を作成してみた。
案外いけるじゃん。今のパソコンの性能なら、十分デジタル編集が可能だ。
その後、VAIO ノートを買ったらi.Link 端子がついてきた。
DV1 には i.Link 端子は無いのだが、新しい機械を買えば、過去に撮り溜めた映像を編集できるかもと思い始める。
そして、1ヶ月ほど前。友人が「1年近く悩んでビデオカメラ買った」とメールを送ってきた。
このときはなんとなく読み飛ばしたのだが、この知人のホームページ上の日記に同じことが書いてあるのを見て、「ビデオカメラ欲しい」という思いに再び火がついた。
以前にデジカメを買った時の経験から、同じ画素数なら CCDが大きいほうが、同じ大きさなら画素数が少ないほうが、カメラの「感度」はよい事を知っていた。
デジカメを買ったときは、画素数の多い S40 と、画素数の少ない S30 で迷った末、感度を優先して S30 を買ったのだ。この判断は今でも正しかったと思っている。
デジカメは画素数と感度のバランスが問題となるのだが、ビデオカメラの場合、最終出力は「テレビ」だ。
どんなに画素数を上げたところで、テレビの解像度を越えることはできない。
なので、ここは迷わず「画素が少なく、CCD の大きい機種」を選ぼうと思っていた。
まずは情報収集。近所のヤマダ電機に行き、各社のカタログをもらってくる。
…ん? ソニーが MicroMV という特殊カセットを作っている。
調べると、DV よりも小さいが画質は落ちるらしい。これは却下。
…そういえば、日立は DVD に直接記録できるのも作っていたっけ。
調べると、画質が落ちる上に DVD-RAM ドライブがないと読み出せないようだ。却下。
ビクターは…理由は無いけど、今もっているのが Victor 製で、それほど使いやすくないので却下。
キャノンの 22 倍光学ズームは惹かれるものがあるが、ソニーの新機種の軽さにも惹かれる。シャープは…あまり惹かれないが、とりあえず却下の理由も無い。
とりあえず、この3社に絞り込む。
この段階まできて、ネットで情報収集。
「CCD が大きく、画素数の少ない機種」というのは、やはり正しい考え方らしい。しかし、春の新機種はどこの会社も 1/6 インチという小さめの CCD を使っている…
#ちなみに、DV1 は 1/3 インチ。これは対角の大きさなので、1/6 インチというのはなんと 1/4 の面積になってしまったことになる…
ここで気づく。
1年前の機種だが、ソニーの TRV-22K というのがなかなか良いらしい。
もちろん旧機種なので、新機種に比べてスペック的な見劣りはある。
しかし、レンズも大き目だし、CCD も 1/4 インチと大きい。
気になるのは、新機種に比べて重いこと。
軽いほうが気楽に使えそうではあるが…
今度は店を巡り、実際に触ってみる。
TRV-22K をまだ置いてある店があまり無かったのだが、別にそれほど重くは無い。というか、新機種は軽すぎて不安を感じる。新機種は液晶ディスプレイがずいぶん改良されているのも魅力だが…
ネットを探していると、「カメラは重いほどよい」とする文章に出会う。電池が複数種類あるなら、迷わず一番重い電池を装着せよ。アタッチメントがあるなら、迷わず重いものを装着せよ…と言っている。
理由は「重ければ手ブレしないから」。正論だ。物理の初歩だ。
これで、TRV-22K 購入に踏み切るのだが…
今度は、売っている店が無い。1年前の機種で、もう生産は中止されているのだ。在庫を求めて秋葉原をうろつくが、今でも置いてある店は高くて売れ残っている店ばかりだ。
実はこの時点でまだ、「もう少し様子を見れば値段が下がるのではないか」と考えていたのだが、その考えが吹き飛ぶ。今買わなくては、この機種は入手できなくなってしまう!
結局、価格.COMで安い店を探して購入したが、実はこの店は秋葉原にあったりした。
「おいおい、ここまで検討しておいて衝動買いなのかい?」
という人もいるとは思うが、僕にとっては衝動買いの基準は「1ヶ月間の検討期間を置かないこと」だったりする。
今回、欲しくなり始めてから購入するまで、わずか2週間程度。
本当ならもっと「使っている人の意見を聞く」とか、「画質比較している雑誌のバックナンバーを漁る」とか、しっかり検討比較するのだ。(まぁ、最近ビデオカメラを買った友人には、メールでそのカメラの感想を聞いたのだけど)
何よりもこれが衝動買いだと思うのは、買ってなにするかをまだ決めていないこと (^^;;
今買わないと手に入らないと思って、買い急いだだけだから…
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ペットのハムスターの話。
昨年11月初旬に書いたが、顎の部分に水疱が出来ていた。
これが、年末には水疱がつぶれ、大きなかさぶたになるようになっていた。
普通はかさぶたが出来れば、それは怪我が治る過程なのだろう。しかし、かさぶたになってもその下からまた水疱ができ、固まったかさぶたを割ってしまう。
徐々にかさぶたが大きくなり、治ることはなさそうだった。
どうもこれは、ジャンガリアン・ハムスターに多い「遺伝病」の一種らしい。
よく聞く遺伝病は、腫瘍や膿腫が出来るというもの。最初はこれを疑って動物病院に連れて行ったのだが、お医者さんが言うにはどちらでもなく「水疱」と考えるのがよさそうだった。
あまり聞かない例だというので原因も不明。腫瘍と違って切り取るというわけにも行かず…ほっといて治癒するわけでもない。
しかし、なにぶん小動物だし、高齢(寿命1年半〜3年程度の動物で、もうすぐ2歳)なので手術は危険が高い。そもそも原因がわかってないので手術のしようも無い。
ハムスターは元気で、あまりかさぶたを気にしていないようだったし、そのままにしておくことに決めた。
一昨日のこと。
この日は僕は仕事で外出しており、帰宅すると通販で注文していたビデオカメラが届いていた。
とりあえず夕飯を食べ、夕食後はビデオカメラで遊んでみるつもりだった…のだが。
夕食後、ハムスターのケージを覗いた妻が「なにか様子がおかしい」と言う。
僕も覗いてみると、左前足のあたりが真っ赤になっている。かさぶたのあたりから、大量に出血しているのだ。
ハムスターは砂場にうずくまって必死に傷の周囲をなめている。夕食前には置いていたという餌も、ぜんぜん食べていない。
普段、人間がケージを覗きこんでいると走り寄ってくるのだが、覗かれていることにも気がつかないようだ。
それに、なんだか動きが弱々しい。
実は、ビデオカメラの最初の被写体としては、ハムスターの走り回っているところでも撮ろう…と考えていたのだが、それどころじゃない。もしかしたらこのまま死んでしまうかも知れない。
よく様子を見ようと、ケージを動かしたらさすがに振動で気づいたようだ。
ちょっとこちらの様子を伺っている。ためしに、小さな餌を口元まで持って行ってやると、弱々しいが食べてはくれた。
こうなると、人間に出来ることはあまり無い。せめて環境を整えてやるのが精一杯だ。
固いペレット餌は食べられないかもしれないので、少し水につけてふやかしてやる。野菜を多めにあげてみる。
それでも食べられないかもしれないので、水を砂糖水にしてみる。砂糖が入っていれば、とりあえずカロリーは高いだろう。
あとは、出血で体温が下がらないように、あんかの温度を少しあげてやる。
もう結構高齢なので、いつ死んでも覚悟は出来ていた。
それでも、このハムスターは妻が始めて飼うペットだ。出来ることなら長生きして欲しいと思う。
翌朝、ケージを覗くのが怖かった。
しかし、覗いたら元気に動いていた。出血も止まったようだし、手に付いていた血も綺麗に舐めきっていた。餌はあまり食べていないようだったが、ほっとした。
ハムスターは夜行性なので、通常は夕方餌をあげて、朝には残った餌を回収する。しかし、夜の間にはあまり食べれなかったようなので特別に置いておく事にした。
元気なうちにビデオを撮っておこうと思い、ハムスターが寝る前にビデオ撮影を試みる (^^;;
ビデオを買ったことを浮かれ気分で日記に書く気分じゃないな…と思っていたのだが、これで少し気が楽になって昨日の日記を書いた。(だから、昨日の日記はめずらしく午前中に書いている)
その日の夜の餌は、チーズや人参、きな粉をハチミツで練った団子など、非常に豪華なもの。とにかく体力を回復してもらわなくては。
今、事件から丸2日がたち、ハムスターはずいぶんと元気になった。まだ弱っているのかな、と感じる部分もあるが、危機は脱したようだ。
もしかしたら数日の間に死ぬかもしれないと思っていたときは、このことを日記に書きたくは無かった。文章にするには、あまり考えたくないことにも向き合わなくてはならないから。
しかし、今は大丈夫だろう。この元気があれば、もう少し生きていてくれそうだ。
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大学のころから、僕には「詩を書くようにプログラムしたい」という欲求がある。
普通のプログラムは、論文を書くようなものだ。
十分に準備し、突込みが入らないように綿密に計算して書かなくてはならない。
しかし、詩を書くというのはそういうものではない。
自分の考えを表現できればそれでいい。他人がそれに共感してくれればうれしいが、反感を持たれたって別にかまわない。
残念ながら、今のところ詩を書くようなプログラム言語には出会っていない。
プログラムというのは、相変わらず一部の人間だけが扱える特殊技能だ。
おかげで、それは僕の飯の種になっているのだが。
それでも、時折「これは、詩を書かせてくれるかもしれない」と思えるプログラム環境がある。
はじめてそれを感じたのは、大学時代に awk を扱ったときだった。
string と int の違いを気にする必要も無い。文字列を char 配列と考える必要も無い。
連想配列で大量のテキストを縦横無尽に叩き切り、集計する。
大量のデータを操作するときには、とても心強いツールとなってくれた。
大学を卒業し、就職したゲーム会社では、awk を武器にして大量のデータと戦った。
ゲーム会社の新人の仕事なんて、膨大なデータの整理がほとんどだ。
しかし、僕は awk で整理ツールを作り上げ、普通の人が半日かかる作業を1時間で仕上げるようにしていた。
コンピューターが作業をしている1時間、暇なので漫画を読んでいてよく怒られたのだが (^^;;
#どうでも良いが、このとき作ったツールは自分用であり、他人に見せた覚えも無い。しかし、なぜか会社を辞める直前に、いつの間にかこのツールを皆が(社外の人まで!)使っていることが判明した。
自分ではバグがあることも承知、直すのも面倒なので回避しながら使用していたのだが、皆が使うのならもっと修正すればよかった。
そのまま何も言わずに会社を辞めたが、あの後誰かツールの保守をしているのだろうか…
やがて awk では十分な武器とは言えなくなり、perl を覚えた。
perl は awk より強力で、awk より面倒くさい武器だった。
「詩を書くような」プログラムは無理だったが、C 等に比べるとずっと簡単に自分の考えを表現できた。
perl は、会社を辞めて独立するときにも役に立った。
会社を辞めたのは WEB の黎明期。perl で CGI を組める人間には、十分な仕事があったのだ。
perl の後は PHP を使っているが、これではもはや詩は書けない。
ごく普通のプログラム言語で、CGI をつくる上で使いやすく速いという以外何の特徴も無い。
かわって可能性を感じた言語は、Excel だ。
実のところ、会社でゲームを作っていたときにもデータ処理などで使ってはいたのだが、Excel は非常に可能性を秘めた言語だ。
日本では残念ながら、「表計算」の名前のとおり計算に使うか、計算すらせずに「表」を作るための便利なワープロにしか使われていない。
しかし、Excel はデータ処理にも使えるし、未来予測にも使える便利なツールだ。
最小限の手間で最大の効果を得られる。Excel を使っているとき、詩を書くようにプログラムを書いていると感じることがある。
実は、妻が最近 Illustrator を使っている。
日記で書き忘れたが、欲しいというので昨年 12 月に、購入したものだ。
絵を描いているのを横で眺めていて、しびれる。
これは久しぶりに「詩を書くようなプログラム」を感じさせてくれるツールだ。
絵というのは非常に感覚的なものだ。その意味では、そもそも詩に近い。
しかし、Illustrator で絵を書くという作業は非常に論理的で、むしろプログラムに近い。
大まかな線を書いたら、その線を加工していく。
太くしたり細くしたり、ランダムに揺らぎを加えたり。
どんな加工をしても、元の線は崩れない。2重3重に加工を加えたり、加工した線と加工しない線を同時に描いたりもできる。
それぞれの線は「プログラマブル」なのだ。気の済むまで加工できる。
そして、加工した内容はそのままに、元線を修正することもできる。
加工のアルゴリズムだけを、別の線に適用することもできる。
Excel がデータを華麗に加工して見せたように、Illustrator は画像を華麗に加工してみせる。
その華麗さは、Photoshop などの比ではない。
どんなにプログラマブルだといっても、所詮は絵を描くためのツールだ、という人もいるかもしれない。
しかし、Illustrator は実際のところプログラム環境だということも言っておこう。
そもそもが、Illustrator というのは「PostScript」言語を生成するためのエディタだ。
そして、Illustarotr 自身が、外部言語から操作できる、巨大なオブジェクトライブラリとして設計されている。
現時点では、Illustrator は JavaScript/VisualBasic/AppleScript から操作可能だが、「Illustrator がスクリプト操作可能」なことが重要なので、対応言語はこれからも増やすことができる。
話は飛ぶが、PostScript というのはページ記述言語であるが、同時に Forth 系のスタック型言語であったりもする。ちゃんと条件分岐や繰り返し命令がある。
ということは、PostScript によって操作され、PostScript を生成する Illustrator なんてのも作れる。
ただ、ここら辺になると大道芸的な軽業としては面白いが、詩を書くように軽やかさがあるわけではない。
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しばらく前にメインマシンの OS を Win2K から WinXP に入れ替えた。
…入れ替え時点でもなんだかおかしかったのだが、最近絶不調 (;_;)
XP では、ファイルシステムがおかしい可能性があると、起動時に自動的にチェックされる。
何も悪いことしてないのに、時々チェックが入る。…ということは、なにかディスクを壊しているのか。
そして、時折急に電源が切れる。これが一番怖い。
幸い、今までは一度も「作業中」に切れたことはなかったのだが…さきほど、一度切れたのですよ。
データはこまめに保存していたので無事だったけど、非常に恐ろしい。
うーん、ハード的に何かいかれているのかなぁ。
思い当たるふしが…ありすぎるからなぁ (x_x)
(一度電源ファンが壊れ、マシン内部が非常に高温になったことがあった。
だから、熱でどこかが壊れていても不思議はない)
新しいマシン欲しいけど、高いよなぁ…
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