新聞の意見欄に、「ボランティアに単位を出すことに反対」する、大学生の意見が載っていた。
ボランティアに単位、というのは、高校で授業の一環としてボランティアを行い、単位を出そうというもの。
新聞に寄せられた意見は、「それでは見返りを求めることになり、ボランティアではない」というもの。
僕は昔ボーイスカウトをやっていたし、今でもよく献血に行くし、先日は富士山でゴミを拾ってきた。ボランティアばかりやっているわけではないが、比較的ボランティアをするほうだという自負はある。
で、ボランティアとはなんぞや? と思うのだけど、別にボランティアというのは見返りを求めてもいいのではないかと思う。
言い方が悪ければ、せめて「デメリットをなくすべき」といおう。現状のボランティアは、参加する人にとってデメリットが大きすぎる。悪く言えばボランティアに参加することは、百害あって一利なしだ。
なぜそんなものに参加してボランティアを行う人がいるのか、まったく理解しかねるくらい。
昔ボーイスカウトをやっていた、と書いたが、別にそこでボランティアなんてやった覚えはない。
せいぜいが山でキャンプを行った後、その周辺を清掃して帰るだけだ。これはボランティアではなく、自分たちが散らかしたかも知れないゴミを片付けるだけだ。
もしかしたら自分たち以外のゴミも入っているかもしれないが、自分たちが捨てたと思われたら嫌なので、名誉を守るために拾う。
そう、無償ではなく「名誉のために」という見返りがあるのだ。仲間内でどれほどゴミを拾ったか競争しながら楽しんでいた思いもある。
しかし、多くの人は「ボーイスカウトがボランティアでゴミ清掃をしている」と見る。ここにはボランティアに対する意識のギャップがある。
先日の富士登山でゴミを拾ったのも、似たような考えからだ。まぁ、こちらは「自己満足」の側面が強い。
どれだけゴミを拾えるかを楽しんでいたのだ。すれ違う人に笑顔で「がんばってください」といわれるのもうれしかった。
いずれにせよ、それなりの見返りはあるということだ。
献血によく行くと書いているが、これもボランティアではない。実は、お金がもらえる。
ただし、売血行為は法律で禁じられているので、時給にも満たない薄謝だ。1時間半程度かかって500円の図書券一枚。
しかし僕が求めているのはそれではなく、血液成分の分析結果を郵送してもらえること。SOHO なんてやっていると、健康診断がないからね。
同じことを病院でやってもらおうとすれば、病気治療ではなく「健康診断」なので保険は利かず、1万円程度はとられるだろう。
もちろん、こちらも回数を重ねることを楽しんでいるのもある。献血手帳にスタンプが増えるとうれしいものだ。
アメリカではボランティアが日本よりも進んでいるというが、それは事実だろう。
しかし、みんなが喜んで無償奉仕をするということではない。もっと、社会が「ボランティア」についての成熟した考えをもっているということだ。
アメリカでは、ボランティアに対して報酬が出ることが多い。
バイトの時給程度の安い報酬に加えて食事が出る程度だが、少なくとも「手弁当で参加して、金にならないどころかマイナス」の日本よりは、ボランティアを受け入れる側にも心構えができているのだ。
少なくとも損にはならず、人に喜んでもらえるのであれば参加しようという人も多くなる。
こうしたボランティアの母団体が教会だったりするために、「日本との違いは宗教心」などと見る見方もあるが、それは的外れな意見だと思う。
昔聞いて感心した話だが、これも宗教的な話。ただし日本の宗教。団体名は明かさない。
その宗教のえらい人が、こんなことを言っていた。
(その宗教では)人に無償で尽くしなさい、と教えているが、これはどういうことか?
人から喜ばれるのが好きで尽くすのであれば、それは無償ではない。
じゃぁ、喜ばれなくても、趣味だから延々と尽くせる人がいたらどうか?
それは、趣味として楽しんでやっているのだから無償ではない。
無償で尽くしなさい、といっているが、突き詰めて考えれば本当に無償ということは難しい。
ならば、些細な報酬があってもいいじゃないですか。人に尽くすことができるのであれば。
これは、非常に「ボランティア」の本質をついた言葉だと思う。
ボランティアは日本語では「無償奉仕」と訳されるが、本当に無償である必要はないのだ。
多少の見返りがあったってボランティアは成立する。
さて、冒頭の話題に戻る。
高校でボランティアに単位を出そうという。そうなると、単位目当てで参加する人も出るだろう。
しかし、それでもいいと思う。参加したほうが単位目当てで、高校卒業後は一切ボランティアから手をひいたとしても、そのとき「奉仕された」側は確実にありがたいのだ。
それに、最初は単位目当てで参加しても、ボランティアの意識を持ち始める人間が少しでもいれば、それは社会全体をよりよい方向に進める原動力になる。
ボランティアがない世の中よりは、ある世の中のほうが成熟している。
昔は近隣の人が普通に助け合っていた。ボランティアだって、なにも特別なことではない。
同じテーマの日記(最近の一覧)
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |