目次
2025-01-15 鎌倉散策
2025-01-03 百人一首
2025-01-01 あけましておめでとうございます
2024-12-18 エアコン不調
2024-12-18 人探し
2024-12-11 テトリス
2024-12-10 バナナ
今月の日記
今週頭の13日月曜日、成人の日で休日だったが、ちょっと鎌倉散策に出かけた。
長女はこの日から修学旅行。次女は受験生なので祝日でも塾へ。
長男は家にいるが、そろそろ大学の試験なので家で勉強。
で、妻と二人で、初詣を兼ねて出かけた。
あ、初詣はちゃんと元日に、地元神社に行ってますよ。
昨年12月に、それまで歩いたことが無かった山道を歩いた。
この時に、遠いと思っていたところが、我が家から結構近いことに気づいた。
車で行ったら、大きく迂回して30分以上かかるところ。
ところが、山に入ってしまえば歩いて 30分だった。
もっとも、山に入るまでで 20分程度歩かないといけないのだけど。
山の入り口まで自転車で行き、そこに自転車を置いておくことにした。帰りは逆順で。
これだと、車で行くより気が楽だ。
さて、今回の目的は鎌倉宮。
12月に歩いたときも鎌倉宮に立ち寄った。
ここには「身代わり様」という木像があり、自分の悪いところを撫でると、身代わりになってくれて自分は治るという。
…身代わり地蔵の類って、全国どこでもあるよね。
ところが、妻が昨年1年近く、筋を違えて肩が痛いのが治らなかったのが、身代わり様を撫でてからすぐに治ったのだ。
超常的な力で治った、とは思わない。何か原因があったのだろう。でも原因がわからない。
わからないなら、身代わり様のおかげってことにしておこう。
ただ、一つ気がかりなことがあった。
身代わり様、お賽銭箱があったのに、お金いれていないのだ。本堂の方にお賽銭入れたからいいよね、ってお金も入れずに撫でさせてもらった。
今回、直してもらったのだからちゃんとお礼参りしよう、という目的で初詣に行ったのだった。
僕も妻も信心深くはないので、本堂にお賽銭入れたと言っても、たしか二人で20円だったと思う。
まぁ、今回は初詣も兼ねるし、たっぷりお礼しよう。妻は300円、僕は別にお礼ではないので100円で。
これとは別に、本堂にも100円づつ入れたので、鎌倉宮には二人で600円お賽銭を投げたことになる。
12月の散策は、実は後の予定があって時間に追われた散策だった。
そのため、この周辺をゆっくり見ていない。
せっかくなので散策しよう…と少し歩くと、荏柄天神があった。
お参りする。
鎌倉宮よりにぎわっている、と思ったが、妻に「受験シーズンだから」と言われて納得した。
天神様は学問の神様だからね。
そして、神社の隅に「絵筆塚」があった。
あ、これ、ここだったのか。鎌倉のどこぞにあると聞いたことはあったが、はじめて見た。
有名漫画家がみんなで「河童の絵」を描いて建立したもの。
正面の一番見やすいところには、河童に変装する道具をもった ドラえもん がいる。
唐突に思えるが、2つの由来がある。
一つは、天神様が「学問の神様」だということ。
古くは学問の象徴が筆だった。使い古した筆などを奉納して供養してもらう習わしがある。
そしてもう一つ。
筆供養の一環として、手塚治虫以前の時代の漫画家さんが「かっぱ筆塚」を建立しているのだ。
普通にいろいろな漫画を描いていた方だが、特にヒットだったのが河童を描いた漫画だった。
それで「かっぱ筆塚」なのだ。
さすがに古すぎて僕もよく知らない。黄桜酒造の河童の絵を描いていた「初代」の人だそうだ。
現在の河童の絵は2代目の方が描いたものだが、この2代目もすでに亡くなっている。
で、最初の話に戻る。
漫画は手塚治虫以前と以降で全然違うものになったが、「以前」の人がここに筆供養の塚を作っている。
そこで、「以降」の漫画家 154人が連名で、新たな絵筆塚を作ったのだ。
絵筆塚が建立されたのは平成元年。この年に手塚治虫は無くなっているが、絵筆塚には河童に扮した鉄腕アトムも描かれている。もちろん手塚治虫が描いたもの。
黄桜の2代目の絵を描いている方も、もちろん描いている。「昭和の有名漫画家」がみんなで河童のイラストを描いた、珍しい共作物だと言えるだろう。
もう一つ、覚園寺にもお参りしてきたが…
ここは、奥に本堂があって、そちらに行くのに拝観料が必要だったので、奥には行っていない。
しかし、その手前、無料で拝観できる部分でも、鎌倉時代に作られた仏像三体を見ることができる。
せっかくなので、ここでもお賽銭を。
神社仏閣巡りでこんなにお賽銭を出したのは初めてだ。
(もちろん、荏柄天神でも出しています)
この日の鎌倉散策はこれで終了。散策時間は1時間半程度。
移動時間含め、2時間弱でした。
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2日に、長兄の家に親戚が集まった。
コロナのせいでしばらく集まっていなかった。2020年が最後だったか。5年ぶり。
昨年、長兄の娘(僕から見て姪)の2人が、それぞれ出産した。その赤ちゃんも参加。かわいい。
それぞれに「はじめてのこぐまちゃん」をプレゼント。
この絵本、我が家の長男が生まれたときに妻の知人からプレゼントされたのだが、新生児には本当にオススメ。
「絵本」といいつつ、おもちゃだから。べろべろに舐めても、歯固めとして噛んでも構わない。分厚くてふやけない紙でできているので、乱暴に扱ってもらって大丈夫。
もちろん絵も可愛いし、赤ちゃんでも認識しやすい色使いなので0歳児でも興味を持って眺める。
(実際、昨日も赤ちゃんが噛みまくっていたが、時々手を止めてページを眺めていた)
さて、親戚の集まりはともかくとして、父母の遺品を整理したいという、
実際、父母が大切にしまってあったものでも、僕らにとっては特に価値がないものもいっぱいあるんだよね…
漆塗りのお盆5枚セットとか、那智黒石の硯とか、良いものだとは思うけど持っていても使わない。
古道具屋さんに渡して、使ってくれる人の手に渡る方がいい。
とはいえ、長女が最近抹茶に興味を持っているので、抹茶セットをもらってきた。
これ、確か長姉が高校だか大学だかのころに、少しだけ部活かなんかで使っていた奴じゃなかったかな。
練習用の、抹茶碗と茶筅、茶杓のセット。
あと、次女が最近「和服着てみたい」と言っているので、和服を小物含めて数点。
非常に良いものもあったが、そういうものは管理が大変で気軽に着られない、ということで、家庭でも簡単に洗える生地のものだけ。母が若いころに着ていたもののようだ。
妻が自分で着付けられるので、次女の受験が終わったら着せてやるいう約束になっている。
そして、今回の話題のメイン。
懐かしいものが出てきた。冒頭に写真を示したものだ。
この写真はすでにネタバレなのだが、木でできた札だけ、100枚のセット。箱には「百人一首」とだけ書いてある。
長姉は僕が小学生のころに北海道に嫁いだのだが、まだ結婚前に北海道に挨拶に行き、お土産として持ち帰ったもの。
百人一首とあるが、全く意味が分からず、一種の工芸品として死蔵されていた。
一度も遊んだことはないし、そもそも遊び方がわからなかった。
すっかり忘れていたが、懐かしいものでてきたな…
今は良い時代なので、すぐに検索。北海道の「下の句かるた」と呼ばれるもので、基本的に小倉百人一首なのか。
木の札は取り札だけで、読み札には普通の百人一首を使えばよい、ということらしい。
多分使うことはないが、仕事柄「ゲーム」関連のグッズは好きなので、もらうことにする。
(父母の遺品の整理だったのだが、これは長姉から家族へのお土産で、遺品と言ってよいかも不明)
で、家に持ち帰ってから早速、百人一首と突き合せながら解読作業。
長女・次女が中心になって札を探し、僕が最終判定を下す形で進めていきました。
冒頭の写真はその結果の、ほんの一部。
以下、北海道の人には当たり前のだと思われることを書くだけなので、別の地域の方だけ読んでくれればよいです。
写真の4首だけ解説しましょう。
ちなみに、読み札は昔ダイソーで売っていた、50組 100円の百人一種のもの。
1セットに、読み札と取り札が 50組、合計百枚入っている。2セット買わないと遊べない。
そして、部分的に「現代語」で書かれている。
右上の札から。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすちょう 天の香具山
木札は下の句だけだが、大きく「衣ほす」と書かれている。
(ちょっと「す」の部分がどうなっているのかわからないが…)
そして、左側に小さな字で「てふ 阿まの / 香久山」。 / の部分は改行の意味で、以下同様。
「あ」ではなく「阿」だったり、「具」ではなく「久」だったりするが、句としても有名だし、比較的読みやすいので最初に挙げてみた。
次は読みにくい例。左上の札。
いにしえの 奈良の都の 八重桜 きょう九重に においぬるかな
木札は、右上に「けふ」、左下に「九重」と大書きしてある。
「けふ」だけでは「今日を限りの 命ともがな」と区別がつかないので、区別がつくところまでを大書きしているのだ。
そして、左上に小さな字で「に / 匂へ」、さらに右下に「ぬる / か那」と書かれている。
右上から左下に進んだ後、上に登ってから右下に降りる、という変則的な行運び。
「か」の字が「の」に見えるが、草書ではこのように書く。花札に「あかよろし」と書かれているのを「あのよろし」と読んでしまう人が多いのと同じものだ。
そして、切れ字(句の末尾の文字)の「かな」は「か那」と書かれている。この札では漢字が少しわかりにくいが…一番わかりやすいものでも、何を書いてあるのか判別できなかった。
ただ、「な」と発音できる万葉仮名などの一覧を見たら、一番近そうなのが「那」だった、というだけだ。
同様に「けり」の場合は「け里」と書いてある。
続いて右下の札。
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき
木札は、右側に「声きく」と大書きしてある。そして左側に「時ぞ 秋ハ / かなしき」
かなしき、の「か」は、先ほど説明した「の」に似た字体。
まぁ、非常に素直だ。これも比較的わかりやすい例だと思うのだが、次の札と判別がつきにくいのでわざと写真に写してみた。
で、左下の札。
ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらん
木札は、右側に「志川心」と大書きされている。これで「しづこころ」と読む。
川、と書いた部分、実際には草書の「つ」だ。
カタカナの「ツ」の元になった字は「川」だ。これは比較的わかりやすい。
そして、点の部分が横につながると、ひらがなの「つ」になる。しかし、草書はひらがなの前段階の書き方なので、ここではほぼ「川」の形に書いているのだ。
そして、先ほどの右下の札と比べてみて欲しい。「こえきく」と「しづこころ」で全然違う文字で始まるのに、冒頭の文字が似ているのだ。
「声」と「志」で、上の部分が同じだからね。
左側は「なく花の / 散るらん」。まぁ、左側部分は素直で読みやすい。
これ、百首全部を読み終えたから説明できるだけで、最初は全く読めない。
ゲームの札だし、100枚しかないのだから完全に暗記してしまえばいいだけだけどね。
ゲームとして遊ぶ際は、「上の句は読まない」そうだ。
通常のゲームとしての百人一首は、上の句を読んでいる間に下の句を思い出して取る、という暗記ゲームだ。
しかし、下の句をいきなり読むので、こうした暗記力の勝負ではない。
一方で、上に挙げたように、ほぼ文字が読めないので、図形として丸暗記する必要はある。結局暗記力勝負。
北海道の人には当たり前の話かと思うのだけど、僕にとって「40年前に全く意味の分からなかったものが、やっと理解できた」のでした。
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毎年恒例、今年のおせち。
左上の一の重、紅白かまぼこと、さくらんぼの練り切りは市販品。伊達巻は僕の作ったもの。
右上の二の重、いくらは秋に筋子から作ったもの。田作り、紅白なますは妻の作。数の子入り松前漬けは僕の作ったものだが、松前漬けに関しては素材を細切りにしてある市販キット。
右下、三の重。栗きんとんは僕の作だが、栗は市販の甘露煮、金団の裏ごしは次女がやった。
ここ数年は次女が裏ごししていて、今年は受験生で忙しいのに「やりたい」と主張するので、時間を合わせて作った。
鶏ハムは僕の作。締めサバは、秋に妻の友達からもらっていた冷凍品だが、ちょっといいやつ。
一緒にいろいろな水産物加工品をもらっていて、他は食べたのだがこれだけなんとなく残っていたのでおせちに入れた。
左下、別重。煮しめ。妻の作。
僕も妻も煮しめは好きなのだが、子供たちが小さなころには不評だったので、しばらく作っていなかった。
今は子供たちも美味しいと食べていた。ちなみに、中に入っている里芋は、庭の畑(花壇)で取れたもの。
別皿の煮卵は僕の作。ゆで卵を少しにんにくを入れただし醤油で漬けただけ。
次女は高校受験で、塾の正月特訓がある。しかし、初詣には行きたい、というので、6時に起きて地元神社へ。
僕はその前におせちの準備をしたかったので、5時起き。
6時に起こすも、起きない。妻もこのタイミングで起床。
次女がなんとか居間まで起きてきて、そのまま横になって寝てる。「起きろ」と言いながら、弁当などの用意。
6時20分ごろにやっと家を出て近所の神社まで…走る。時間がないのと、寒かったので走れば体が温まると思ったから。
でも、次女は「走ると風が冷たい」といって背を丸めて歩いている。
神社はまだ氏子会の人は誰もいなかった。毎年氏子会の人が甘酒とかふるまってくれているの。
どうやら、昨日の深夜の「年が変わる瞬間」にお参りする人もいるので、甘酒とか一度ふるまった様子はある。
町内会の付き合いもあるので、いたら少しくらい寄付しようかと思っていたが、賽銭だけで帰る。
家に帰りついて6時50分。もちを焼いてお雑煮を準備したが、このわずかな時間で次女は再度寝てしまう。
7時過ぎには他の子も起こして新年のあいさつ、食事となったが、次女は「眠くて食欲ない」という。
お弁当に加え、おにぎりを用意する。朝塾まで行く途中で食べるそうだ。
8時には、駅まで車で送る。普段は駅前の塾に通っているが、正月特訓は隣駅のグループの塾に集約している。
あ、写真にはお酒写っているけど、車出す予定だったから飲んでませんよ。
家に戻ってから、再度寝た。
大みそかは「ゆく年くる年」を見てから寝るから、5時起きだと睡眠足りてない。
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この手の日記を書くのは何度目だろう…
2階で使用しているエアコンが不調になった。6年前に買い替えてから、3度目だ。
1回目は水漏れだった。
夏場のクーラー使用で内部に結露した水は、パイプを通って家の外に排出される。
これがうまく行かずに、室内機から水漏れを起こしたのだった。
修理を呼んだ。
業者さんによれば、エアコン取り付け時に水抜きパイプの角度が少し悪く、パイプの流入口付近の水の勢いが一度止まってしまうそうだ。
これにより、パイプ入り口に埃が溜まってしまうことがあり、水を堰き止めてしまう。
パイプ清掃して、パイプの角度を少し急にしてくれた。
ただ、パイプの角度に関しては、スペーサーを入れて角度をつけただけで、再発するかも、とのことだった。
3年ほどたって、去年再発した。
とはいえ、再発すると聞いていたので修理箇所はわかっている。
前回と同じ人に頼みたかったが、「家電修理を受け付けるサービス」を経由して頼んでいたので、業者がよくわからなかった。
受け付けるサービス、というのは、ネットで大々的に広告を出している奴だ。
関東でエアコンの相談はお任せください、と大々的に広告している。でも、一業者が関東全域なんて見られるわけがない。
各地域に協力する会社があり、そういう箇所に仕事を紹介しているサービスなのだ。
またそういうサービスで業者をお願いしたのだが…以前書いたのだが、この業者がひどかった。
水漏れしていること、以前も同じ症状があって再発であること、以前の修理内容を伝えているにもかかわらず、まったく理解できないのだ。
エアコンのガス(冷媒)を追加すれば治る、の一点張り。水漏れとガスは関係ないと思うのだが、向こうは専門家なので従うしかなかった。
で、当たり前だが治らない。ここでやっと、もう一度説明して作業してもらったが…
結局治せなかったのだ。ただ、この作業を見ていてエアコンの分解方法が分かったので、後で自分で修理した。溜まった埃を掃除すればいいだけだからね。
で、前置きが長かったが、ここから今回の話。
1週間ほど前に、なんか部屋が寒い、と思ったらエアコンが動いていなかったのだ。
しかも、運転中を示すランプが点滅している。リモコンが利かない。
ネットでメーカーのページを確認したら、運転中ランプの点滅は、電源を抜いて1分待て、とのことだった。
その通りにしたらまた運転できた。
でも、2~3時間でまた止まってしまう。
さらに調べると、運転ランプ点滅の時に、リモコンを…隠しコマンド的な操作で、エラーコードを調べられるようになっていた。
運転ランプ点滅は、エラーのシグナルだったのだ。
調べたら「冷媒ガスの不足」だった。
あっ…! 思い当たる節があり過ぎる。前回の業者、ガスを追加するとか言ってたけど、ちゃんと密閉できてなくて少しづつ漏れたのだな。
ここでまた「エアコン修理」を大々的に請け負うサービスに任せる気は起きなかった。
どんな質の悪い業者が来るかわからないのだ。
確実に信頼できそうな業者を見つけられないか…と思って探していたら「くらしのマーケット」というサイトを発見。
家電の修理業者などを、地域や依頼できる仕事内容などで検索して連絡できるものだった。
(別にそのサイトの宣伝とかではないので、リンクはしない。名前で検索すればすぐ見つかる)
近所で信頼できそうな人を見つけ、頼むことにした。
依頼から4日もかかってしまったが今日修理に来てくれた。
「誰でもいいからすぐに」ではなく、特定の相手を選んだので、時間がかかったのは仕方がない。
結果から言えば、無事修理は終わった。ガスをちゃんと入れなおしただけだけど。
非常に丁寧に仕事をしてくれる人で、ガス漏れの原因なども特定してくれた。
ガスのパイプには、ガス漏れを防ぐための部品(ガスケット)をつけてあるのだけど、柔らかい部品なので「使い捨て」なのだそうだ。
一度閉めたときに、その柔らかさにより変形し、ガス漏れを防ぐ。開けたら交換しないといけない。
でも、うちのエアコンについていたガスケットは、使いまわした場合に特有の跡が残っていたらしい。
つまり、以前の業者が「ガスを入れる」といってパイプを開け、交換が必須の部品を交換せずに閉めたのだ。
そのため、ゆっくりとガスが漏れ、1年半たってエラーが出るようになった。
とんでもない悪徳業者だ…。依頼した修理がまともにできない、というだけでもひどいのだが、壊していったことになる。でも、お金は請求されたんだぜ。
エアコン修理の仲介サービスとかを使うと、「どうせ二度と会わないだろう」というような修理業者が、こうした杜撰な工事をする、ということは、今回身に染みた。
今後はこうしたサービスは二度と使わないだろう。これを読んだ人も気を付けてくれ。
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15年 CentOS5+Xen3 から CentOS6+Xen4 への引っ越し
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少し前の事。
友人Mが、共通の友人Kに連絡を取りたいのだという。
連絡先知らない? と聞かれた。
M と K と僕は、同じ会社の同期。
僕が会社を辞めて独立し、K も1年後くらいにやはり独立した。この時、僕はその時の仕事に K を誘い、しばらく一緒に仕事をしていたが、K はやがて実家に帰ることにした。
M はずっと後に会社を辞め、別の会社へ。そこでしばらく働いていたが、その後独立。
今僕は、M の会社から仕事を請け負っている。
で、M はずいぶん長い間 K にあっていないので連絡をつけたいというのだ。
K からは、15年くらい前に「引っ越しました」という手紙をもらっていたが、それが最後になっていた。
今もその住所に住んでいるのかはわからない。
…って話を、M と電話で話していたら、電話が終わってしばらくしてから妻に「これ K さんじゃない?」と写真を見せられた。
どこかの会社の宴会の記念写真で、K らしき人が映っている。でも、それらしくも見えるし、別人にも見える。
他の写真もある、と見せられた。数枚見たら確信できた。K だ。
名前で検索してみたら、論文に名前が入っていた、そうだ。
実は、僕もそこまではやった。でも、K は学者じゃないから論文なんて書かないだろうし、同姓同名だろうと思っていた。
しかし妻はここから、論文の内容を読んで、大学と企業の共同研究だと知る。
企業側の会社名で検索したら、会社の WEB ページが見つかった。住所は K の実家のある地域だった。
その会社ホームページで公式 Facebook ページがあるのを知り、そこを閲覧したところ、しばらく前の宴会の写真に K らしき人を発見した、という経緯だった。
自分の妻ながら恐ろしい検索能力。
この経緯を M に伝えたら、Mが思い切って会社にメールを送り、無事 K との連絡が取れた。
遠い会社なのだが、東京に支店があるため、年1回くらい東京に来るという。
その時にでも、また飲もうという話になっている。
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15年 CentOS5+Xen3 から CentOS6+Xen4 への引っ越し
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Nintendo Switch に「テトリス99」というゲームがある。
現在のテトリスはルールが統一されているのだが、最初の流行の時は、統一されていなかった。
日本では、パソコン版を作った BPS のテトリスと、ゲームセンター版を作った SEGA のテトリスと、ゲームボーイ版を作った任天堂のテトリスがあり、それぞれ「目指しているものが違った」。
ルールどころか、ゲームの目指すゴールが違うのだ。
BPS テトリスはパズル、SEGA テトリスは激しいアクションゲーム、任天堂テトリスは対戦ゲームだった。
それぞれのゲームの目的に合わせ、細かなルールは全然違うものになっている。
ここら辺の話、過去に詳細を書いている。
テトリスは単純なゲームの上、当初は誰が作ったのかもわからず、世界中で「正しいライセンスを取得せずに作成」する事例が相次いだのだ。
それぞれの会社は、勝手にゲームを作成したために、ルールなども統一されていない。
BPS、セガ、任天堂のテトリスでは、一番後発の任天堂だけが、正式なライセンスを取得してから作成している。
2000年ごろに権利が整理されて、今ではどこの会社でもテトリスを作ることができる。
しかし、アリカという会社の作っているテトリスが「現代的なテトリス」の代表かと思う。
系統としては、激しいアクションである SEGA テトリスの系統と考えてよい。
そして、テトリス 99 は、任天堂がアリカに依頼して作成したテトリス。対戦になっている。
しかも、ゲームボーイのような1対1ではなく、99人同時対戦のバトルロイヤル。
テトリス 99 を紹介したいのではない。もうずいぶん前のゲームだから、今更紹介する必要もないし。
長女がこれを結構好きで、我が家の中では一番うまい。
テトリス99 では時々イベントをやるのだが、この度「テトリス 40周年」イベントが行われ、スキン(画面上の見た目)が、NES 版テトリスになった。
NES (ニンテンドー・エンターテインメント・システム。ファミコンの海外版)のテトリスは、テトリスの複雑な権利関係が整理された後で、権利を取得した任天堂が作成したもの。
ゲームボーイ版の後に作成されたが、対戦モードは存在しない。その意味では、余り特徴のない、よく言えばオーソドックスなテトリスだ。
ただ、テトリスは7種類のブロックがあり、通常は色で判別できるのだが、NES 版は「違う形のブロックでも同じ色が使われている」。
長女にとっては、これが非常に遊びづらかったらしい。
テトリスなのにブロックが色で判別付かないとは、どうなっているのだ! と愚痴を言いながらプレイしていた。
いや、ファミコン(NES と性能は同じ)だと画面上に色が3色しか出せなくて、ブロックの色も3種類だけで描いているんだよ…
と説明するもわかってもらえない。
だって、ファミコンのゲームって3色どころじゃない。古いゲーム機とはいっても、もっとカラフルじゃん、という今の子の主張。
いやぁ、ファミコン時代の現役の子だって、3色しか使わないテトリスの画面見たら色が寂しいと思うよね。
僕は過去の記事で、ファミコンは最大25色出せると書いている。
しかし、ここでは3色しか出せないと言っているのだ。
最大25色、というのが難しい条件で、理論上の最大値だ。
実際にはその半分も出せない。そして、最悪の条件では、テトリスのように3色しか出せない。
それがファミコンの性能限界なのだ。
「ファミコン」らしい画面を持つゲームとしては、ドラクエが筆頭かと思う。
ドラクエは、ファミコンの性能の限界をよく理解して設計されている。
背景キャラクターはすべて 16x16 で描かれ、その上にスプライトで滑らかに動くキャラクターがいる。
ファミコンの背景は、8x8 ドットのキャラクターを並べて作るが、色を設定するときは 16x16 ドットを単位とするのだ。
だから、最初からこのサイズで絵を考えていると、一番性能を引き出せる。
ところが、テトリスはパソコン発祥のゲームで、ブロックは 8x8 ドットで描く必要があった。
色は 16x16 単位でしか設定できないのに、ブロックは 8x8 なのだ。しかも自由に動かせる。
この場合、16x16 単位で設定できる「色」というのは、事実上使えないのといっしょだ。
全部を同じ色で描くしかない。
ファミコンでは 8x8 ドットの絵に3色を使えるので、背景全体を3色で描く、ということになってしまう。
元の NES 版でスプライトを使っていたかどうかは、ちゃんと確認してないのでわからない。
まぁ、操作中のブロックには使っていたんじゃないかな。その方が簡単に作れるし、8x8 のチップを横に 8枚まで並べられる、というファミコンの性能上、特に問題もない。
しかし、操作中ブロックに積みあがったブロックと違う色を使ったら、接地した瞬間に色が変わって不自然だろう。
だから、スプライトは背景と違う色を使える、という機能があっても、ここでは同じ色を選択することになる。
結果として、ブロックの色は3色しか使えない、という状況は変わらないのだ。
説明したら子供は納得はしたが、ファミコンというハードの、予想以上の制約の多さに驚いていた。
当時、各社のゲーム機の中で勝ち残り、大ヒットしたゲーム機だから、もっと性能が高いと思っていたようなのだ。
以前も書いたが、ファミコンのライバルの SG-1000 とか、MSX は、同じ VDP を使っている。
よく考えられた汎用品で、派手な機能はないが使い勝手は決して悪くない。
ファミコンの方がカラフル…つまりは「派手」に見えるのだが、当時の技術なので、どこかを豪華にすると別の部分に制約が出るのだ。ファミコンの場合、うまく使えば多くの色が出るが、条件が合わないと、上記のように3色しか使えない、なんてことになる。
余談だけど、落ちものパズルブームの時に任天堂がファミコンで作った「Dr.Mario」は、3色の「細菌」を、3色のお薬を使って消していくゲームになっている。
「3色」という、ファミコンの限界を考慮したゲームデザインだ。
また、「ワリオの森」では、落ちものパズルだけど、あえてブロックを大きめに設定し、16x16 ドットにしている。
これまた、ファミコンの限界を考慮したゲームデザインだ。
ファミコンで作られた名作というのは、「ファミコンの限界」を考慮してルールなどが設定されているものが多い。
テトリスは、大ヒットしたからファミコンにも移植された、という流れであり、残念ながらファミコン向けのゲームデザインにはなっていなかった。
画面の色が寂しい、というのは、そうした残念な結果によるものなのだ。
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さて、ひとつ前に書いた「ハイキングに行った」話の後の話。
ただ、その前段階があるので、最初に2週間前の出来事を書こう。
2週間前、駅前の八百屋で、バナナが安かったのだ。
2袋で50円。ただし、バナナとしては少し小さめ。基本的に4本入り。時々5本のものもある。
安いな、とは思ったが、家族5人なので、5本入りを選んで2袋購入。
余りに安くて面白かったので、子供に「いくらだったでしょう」と問題を出す。
通常は、スーパーで買うと現在1袋150円くらい。
駅前の八百屋は少し安いものを売ることが多いので、1袋100円くらい。
でも、安いというくらいだから、1袋80円? とか子供は言ってくる。
まぁ、普通安いと言ってもそのくらいだよね。
答として、1袋25円。
そういったら「もっと買ってくればよかったのに」とバナナ好きの長女に言われた。
で、話は冒頭に戻る。
午前中にさくっとハイキングを済ませ、次女の塾に車で送りがてら、買い物に出かけた。
八百屋に行くと、またバナナが安かった。
以前のものみたいに小さくないが、1袋3~4本。そして、3袋で50円。
あぁ、これは3袋で済ますと長女がまた残念がるな、と思い、6袋かった。
本数にして20本強。大盤振る舞いだが、100円。
本数多いので、自由に食べていいよ、ってことにしてあるが、まだ残っている。
元々「熟しすぎ」で安いというのもあり、早く食べないとな。
後日談 2025.1.15 追記
この八百屋、さらに後日、小分けする前の大きな「ハンド」と呼ばれる状態のバナナを売っていた。
20本くらいついたもので、100円。まだ青い状態だったが、1日たったら普通に黄色くなった。
良い鮮度。
さらに後日、お節料理の材料を買いに行ったら、また3袋50円だったので6袋かった。
これがクリスマスごろだったと思う。年末はバナナばかり食べていた。
年始に店に行ったら、1袋 120円だった。普通。
年末のバナナフィーバーは終了したようだ。
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