東海道にあこがれて
東海道に憧れを持ったのは、いつ頃だったのだろうか…
小学生の頃、横浜市戸塚区に住んでいた。(今も住んでいるところは変わらないが、戸塚区が分割されたため栄区となった)
社会科の勉強で東海道の話が出たのだと思うが、先生が「すぐ近くにも、馬を供養した当時の碑が立っている」というような話をしていた。江戸時代の歴史的遺物が案外身近にあることに驚き、「戸塚」を「東海道の宿場町」と初めて認識したのはこの頃だった。
その昔、永谷園のふりかけには歌川広重の東海道五十三次のカードが1枚入っていた。このカードを15枚集めて永谷園に送ると、抽選で全55枚(東海道五十三次は、53の宿場町+始点、終点で55枚となる)のセットが送られてくる。
うちの兄がこのカードセットを持っていたのだが、「いらない」というので僕が小学生の頃に譲り受けた。自分の住んでいる戸塚も含まれているわけで、これも東海道に興味を持つことのきっかけとなった。
高校の頃からだったと思うが、箱根駅伝が正月のテレビ番組の花形となった。箱根駅伝は東海道沿いに走るわけで、東海道の「難所」である権太坂では様々なドラマが起こる。
権太坂もまた、戸塚周辺にある。家の近所にそのような有名な場所があることが、なんだか不思議な感じだった。
会社づとめをしていた頃、阪神大震災が起こった。そして、そのしばらく後から定期的に「サバイバルウォーク」という催しが開かれるようになった。
これは、会社から自宅まで歩いて帰ってみよう、という大会だ。一度歩いてみれば、有事の際には安心だ。当時僕が働いていたのは蒲田近辺で、そこから戸塚まで歩くと言うのはまさに「東海道」の一部を歩くことになる。
サバイバルウォークはその後も一度も参加したことがないのだが、ここで、東海道への興味は「東海道を歩いてみたい」という想いに変わる。
昨年(2002年)の夏のテレビ番組で、小学生が1ヶ月かけて東海道を歩いた、というニュースを見た。江戸時代の人は東海道を13日で歩いたと言うが、現代人は歩くことになれていないのでもっと時間がかかる。
小学生は暇があるので1ヶ月かけて歩いてもよいが、大人にはそんな暇は無い。しかし、大人にはお金がある。1日が終わったら電車で家に帰り、しばらく後にまたそこまで電車で行って続きを歩く、という方法だって可能だ。
そして 2003年になった。
春・秋はよくジョギングしているのだが、冬は寒いのでさぼりがち。正月に食いすぎて体重も増えた。なにかスポーツしないとなぁ…と漠然と考える。
相変わらず献血には2週おきに行っているのだが、献血しない週なら多少暇がある。そこで気軽なスポーツが出来ないものか…
おそらく、年始に見た箱根駅伝の影響もあったのかもしれないが、急に「東海道を歩きたい」という気持ちになる。妻にいきなり「東海道歩いてみない?」と持ちかけたら「行こう!」と二つ返事。
すぐに歩くのに適した防寒服を買いに行き、万歩計なども購入し、準備を整える。スタートに決めた日は、思い立ってからわずか5日後。
そして、いつ終わるのかもわからない、長い旅行が始まる…