赤坂もまた、御油ほどではありませんが江戸の趣を残した町です。
歩いたのが夏休み中と言うこともあり、家々の前には昔の宿場を案内する「灯籠」が出ていました。
江戸時代には、そこに何の店があり、なんという名前だったのか…
時々関係の無い現代の名前が混ざっています。どうやら、便乗した看板を作る店もあるようで、これはご愛嬌。
妻は東海道歩きの途中から、マンホールの絵を撮り歩くようにしています。
その妻によれば、ここのマンホールは「豪華仕様」だそうです。色付きマンホールというのは時折見かけても、5色も使っているのは初めて見たとか。
9時半ごろ、街道沿いにある浄泉寺に入ります。
ここの境内にある蘇鉄の木を撮影するためです。
赤坂では飯盛女(娼婦のこと)のいる宿も多く、広重はそんな宿の一つを描きました。
しかし、この宿はその後火事を出して廃業。中庭の蘇鉄は残ったそうですが、明治20年に道路の拡幅工事があったため、この境内に移植されたのだそうです。
すでに歩き始めてから5時間。まだ午前中ですが疲れました。
境内ならゆっくり休んでもよいだろう、と靴を脱いで休憩させてもらいます。
寝不足・空腹とあいまって僕はすでに立ち上がる気力も無いほどですが、妻は「汗でベトベトして気持ち悪い!」とトイレに行ってしまいました。
…でてきた時には、からだの汗を拭いて、新しいシャツに着替えています。着ていたシャツは水洗いして、背中のリュックの上に干しました。
僕もまねして、からだの汗だけ拭きます。これだけでもずいぶんとさっぱり。
飴をなめたらまた元気が出ました。30分も休憩をとり、10時に再び出発。
浄泉寺を出てすぐのところに、大橋屋という旅館があります。
これは江戸時代から営業をつづけ、今も宿泊できる東海道沿いで唯一の旅籠。
家々に出ている灯籠も、ここだけは江戸時代の名前と仕事が、現代と一致しています。
広重の絵のイメージとしては、こちらの方が「それっぽい」かも知れません。
赤坂宿をあとにして、30分も歩けばたんぼの中に長沢一里塚を発見します。
そのあとはまた、なにもない田舎道が続きます。
田舎道を歩き続けて30分。田舎ながらに、道は立派な車道になっています。山越えの幹線道のようです。
時間は11時。疲れたし、暑いし、腹が減りました。
「さっき、レストランこのさき2kmって看板あったよね?」
その看板を見たのは、たしか長沢一里塚より前。もう2km以上歩いているはずです。…ながい東海道歩きで、こういう看板が当てにならないってことは知っているけどね。
家から一人1リットル分づつの飲み物をもってきたのですが、それもすでに飲み干しました。
なんでもいいから食べたい。せめて飲み物がほしい。
ヘトヘトになりながら歩くことしばし、11時15分ごろに「峠のドライブインまんぷく」という店を発見します。
実は、愛知に入ったのでぜひ八丁味噌料理を食べたいと思っていました。
しかし、この店ではそれは無理みたい。この際ぜいたくは言えないのですが…
トラックの運ちゃん向け(?)の店の中は、基本的にセルフサービス。
逆に言えば、水などは飲み放題。料理がくるのを待つ間、水を何杯も飲みます。とにかく喉が渇いた。
しばらくして料理がきました。
「ごはんものをガッツリ食べたい」という妻は親子丼(550円)、疲れてあっさりした物が食べたい僕は冷やし中華(650円)を注文しています。
しかし、冷やし中華を食べていたら、結構食欲が出てきました。
「そっちの親子丼、少し味見させて」と妻の親子丼を少しもらいます。
セットの味噌汁を飲んで見ると…「あ、八丁味噌だ!」
八丁味噌料理を食べたかった、という思いは、ただこれだけのことで満たされました(笑)
ホントに、八丁味噌の味好きなんですよ、僕は。でも関東にいるとなかなか食べられないので、ただ味噌汁を飲んだだけでも満足できたのです。
「なんかお腹一杯になったら眠くなっちゃった」と妻が言います。
夕べはあまり仮眠できなかったし、無理もありません。食堂の中は余り混んでいませんし、少し寝てもいいんじゃない? と妻に言います。
というわけで、妻は机に突っ伏して寝る(笑)
僕も眠いけど、寝たら起きれなさそうなのでここは我慢。足のテーピングが少しずれているようなので、張り直しの作業をします。
妻がおきたら、また炎天下を歩かなくてはなりません。それまでは、少し休憩…