袋井  2003/7/17 11:20  「見附」まで 5.8Km

東海道は江戸日本橋から京都三条まで続く道ですが、間に53の宿があります。

袋井は、江戸から数えても京都から数えても27番目、ちょうど中間の宿です。


宿には、旅人が宿泊したり休憩したりするための設備が整えられていました。

旅籠(はたご)は宿の中央付近にある宿泊施設の代表。休憩だけをすることも可能です。少しはずれたところには大名だけが宿泊・休憩できる「本陣」があり、宿の外れには格安で素泊まりの「木賃宿」があります。

木賃宿よりもはずれ、宿場の出入り口ギリギリのあたりには、「出茶屋」が作られることがあります。これは簡単な休憩施設なのですが、値段も安いので「宿泊も食事もしたくないような、どうでもいい宿」ではよく使われたようです。


さて、長い前ふりでしたが、広重の描く「袋井」は、出茶屋の風景です。

広重「袋井」現在の「袋井」



袋井の絵が出茶屋だというのは、ここが「名物も何も無い、どうでもいい宿の代表」だったということでしょう (^^;

しかし、現在の袋井は、「東海道どまん中」をキャッチフレーズに、このどうでもいい(失礼)出茶屋を復元し、「どまん中茶屋」としてボランティアで旅人をもてなしてくれるほどの力の入れようです。


この出茶屋…昔と同じ場所に立てたそうで、多少構図は違うものの、広重の絵と似たような風景になっているようです。

しかし、残念ながらその構図で写真を撮るのを忘れました。なぜなら、茶屋に近付いただけで「どうぞ入ってください」と、人懐こそうなおばさんが中から手招きしていたから。写真を撮ることなどすっかり忘れ、中に入ってくつろいでしまいました。


中には先客の主婦グループがいて、ボランティアのおじいさんといろいろ話していました。

「宿場の番号としては真ん中ですけど、本当はここは真ん中じゃないんですよ…」って、どまん中を売りにしているのにいきなりそんなこと話していいのか (^^;


距離的な真ん中は、この次の見附宿とさらに次の浜松宿の間にある、天龍川を越えたあたりです。天龍川は江戸から進んだときに最後の大きな川なので、気分的にも地理的にも天龍川を過ぎたあたりが「旅の折り返し地点」だったようです。

茶屋の中では、東海道に関する書籍、絵葉書などを販売しています。また、袋井の絵地図やパンフレットなどは、無料で(半ば強制的に)配布しています。


特に、江戸時代・現代の袋井を巻物風の絵地図にまとめたものは、「街歩きマップコンテスト」で入賞したそうで、実際面白いものに仕上がっています。これも無料で配布していました。

ちょっと気になったのが「東海道五十三次トランプ」。なるほど、トランプはジョーカー1枚を含めて53枚…と思ったのですが、よく考えると五十三次の絵は、始点終点ふくめて 55枚。するとジョーカーが3枚かな?と調べて見ると…

東海道トランプ日本橋(始点)と三条大橋(終点)はジョーカー。これは予想通り。あとはトランプのマーク・数字順に宿を割り振っているのだけど…丁度中央の袋井だけは、数字部分に袋井市の市章(!)が入っています。

なるほど… 中央以外の絵で区切るのは不自然になるし、これは袋井でしか作れないトランプだ…と妙に納得。おもてなしに感謝して、このトランプ(1000円)と、袋井のお茶を使用しているというお菓子(味絵巻 抹茶の里:300円)を購入します。


ふいに、おじいさんに「どこから歩いて来たんですか?」と聞かれます。今日は掛川からだけど、日本橋から…とややこしい説明をします。

一日30〜40kmのペースで歩いているというと、先客の主婦グループがしきりに感心しています。…というか、おばさん独特のパワーで騒がしい (^^;

「あらぁ、私なんか10kmも歩くともうだめだわ」「若くて元気ねぇ」「どこに住んでるの…あら、鎌倉? 私も逗子に住んでいたことあるのよ」などなど。


話も一区切りつき、主婦グループがそろそろ出発するというので、我々もこれを機会と腰を上げます。そうしないと、おじいさんの話はいつまでも続きそうなので。

「よかったら、そこの観音様に旅の無事を祈って行きませんか」 …言われた方を見ると、茶屋の中に賽銭箱が有り、観音様が祀られています。東海道の各宿には菩薩がおり、袋井は観音様なのだそうです。

十六羅漢数珠ブレスレット妻と10円づつのお賽銭を入れて、手をあわせます。その後旅立とうとすると、「お守りに、これをどうぞ」と、香木で作った数珠状のブレスレットを渡されます。

「十六羅漢を彫ってあるんですよ」 よく見ると、確かに一粒ずつになにか絵が刻印してあります。

もらったのも何かの縁なので、この日のうちは腕にはめて歩くことにしました。賽銭10円でこんなものをもらって、よかったのだろうか。


茶屋は袋井宿の東京側の外れにあります。

木原一里塚11時45分に茶屋を後にして、しばらく袋井宿の中を歩きます。もともと小さな宿なので、特に見所はありません。「どまん中西小学校」もあったのには笑ったけど。

住宅地の中に唐突に復元されて入る木原一里塚を発見したのは12時20分。このあとも何も無く、ただひたすらに歩き続けます。


12時45分、旧東海道は大きな車道から離れて裏道に…と同時に、道がよく分からなくなりました。


江戸の古道 道しるべ…と言うか、道しるべもあって道は明確なのだけど、どちらに進んだものか迷ったのです。なにせ、少し進むたびに道が分かれて「大正の道」「明治の道」「江戸の古道」などと記された道しるべが、つぎつぎと現れるのです。


これらの道しるべ、周囲の植物や陽当たりなど考えて建てられているようで、いかにも「江戸」「明治」「大正」という雰囲気を出していました。


どうやら、「緑のトンネル」とわざわざ併記された明治の道が、歩くには楽しいコースのようです。しかしここはあえて険しい江戸の古道を選びます。今やっているのは、江戸の街道筋を辿る旅なのですから。


江戸の古道を進んだ先に、ここらへん一体の道について解説する看板がありました。

ここは「三ヶ野坂の七つ道」と呼ばれているそうで、その名のとおり7本の道が走っています。「鎌倉の古道」「江戸の古道」「明治の道」「大正の道」「昭和の道」「平成の道」「質の道」と呼ばれていて、時代別に作られた道がこれほど一箇所に残っているのは非常に珍しいのだとか。


ちなみに「質の道」は、質屋に行く時に人と会うのは恥なので使われた裏道なのだそうです。これだけ、他の道から少し離れた所にあります。

説明板があったところは森の中で、読んでいたらヤブ蚊が集まって来ました。逃げるようにして古道を後にします。

あと30分も歩けば、見附に到着します。

(ページ作成 2003-07-31)

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