広重の「島田」は大井川の近景でした。そして、「金谷」は大井川の遠景…って、不思議なことに位置的に後戻りしています。
そんなわけで「島田」の写真は川の上を渡る橋でとった写真ですが、「金谷」の写真は橋の手前の土手から撮ったものです。大井川は東海道の難所、前後の島田・金谷ともに大井川の渡しで大きくなった宿ですし、川の絵が多いのはかまわないんですけどね。
昔は川を渡るのが大変だったそうですが、今は橋がかかっていて簡単に渡れます。とはいえ、この橋の長さが普通じゃない…歩いて10分以上かかりましたから、1km近くあるんじゃないでしょうか。
ともかく、川を越えて金谷町に入りました。時間は11時30分、そろそろ昼ご飯を考えないと…
「この先どんどん山の中に入っちゃうし、今のうちに食べておきたいところなんだけど…」と僕。「あと1kmも歩けば金谷宿に入るから、そこらへんにお店ないかな?」と妻。
しかし、目の前にサークルKがあったので、「ちょっとおやつを買おう」ということになります。ペットボトル茶2本と菓子パン2個、計309円の買い物。
さて、菓子パン食べながら金谷宿まで歩くかね…と歩き出した瞬間、うまそうな匂いがします。サークルKの隣はラーメン屋でした。ただ、2軒の間には巨大な看板が立っており…サークルK側からは裏側しか見えないので、全然気付かなかったのです。
「なんか、すごくラーメン食べたくなってきた」と、ラーメン好きの妻。別にここらへんで特に食べたい名物があるわけでもなし、僕もラーメンでかまいません。今買ったものは3時のおやつ、ということにして、急遽ラーメン屋に入ります (^^;
メニューを見てみると、どうやらこの店の売りは塩ラーメンのようです。もともと塩ラーメン好きの妻は塩ネギラーメン(700円)を注文。僕は、同じものはつまらないので醤油ワンタンメン(870円)を。
注文したラーメンが来るまでの間に、妻が地図を眺めていました。「このすぐ先に、大井川鉄道が通っているのね。SL見られないかな?」
大井川鉄道といえば、今でも蒸気機関車が走っていることが有名です。しかし、実は僕も一度見に来たことがあるのですが、あれは観光用なので土日でも数時間に1本、平日は1日に2本しか走っていないはず…。残念だけど、見られないと思った方が良さそうです。
そんな話をしている間にラーメンがきました。売りにしているだけあって、塩ネギラーメンはなかなか美味しいものでした。醤油ワンタンメンは普通…。
後で調べたら、この店の本店は藤沢(うちから車で気軽に行ける範囲)にあったのね。ただ、「昔はものすごくうまかったけど、今はそれほどでもない」という評判。
うーん、遠く離れたチェーン店のここの味が、本店に比べてどうなのかは…よくわからん。
12時ちょうど、腹も膨れたし再び出発です。歩き始めてすぐ、民家の間からなにやらモクモクと煙が見えました。庭でゴミでも燃やしているのかな?
…次の瞬間にそれが何か気付き、走り出していました。「SLだ! 左のほうに見える!」 何のことやらわからなかった様子の妻も、次の瞬間には後ろを走っています。
100m程先に踏み切りがあるので、もしかしたらそこで写真が撮れるかもしれません。走りながらもデジカメを取り出し、望遠状態にします。
踏切まで20mほどのところで、SLは通り過ぎていきました。さっきラーメン屋で「見られないだろう」と話をしていたのに、そのラーメン屋に入ったからこそ、ちょうどいい時間にここを通ることになったわけで…。偶然に感謝です。
もっとも、その偶然で我を忘れて走ったせいで、痛い足が余計に痛くなったのですが…(^^;
この後は、金谷宿の古い町並みを抜けて、JR金谷駅まで進みます。微妙な上り坂が続くのが辛いところ。本陣跡を示す看板なども立っているのですが、現在は建物なども残っておらず、特に記すようなものはありません。
JR駅のちょっと手前で、金谷一里塚を発見します。すぐ横には鉄道の高架が通っており、駅まで後すぐだとわかりました。
やっとのことで駅に到着。…しかし、どうやって駅の向こう側に抜ければいいのかわかりません。地図では駅の向こうに抜けるようになっているので、構内を通り抜けたりできるのかと思っていたのですが…
周囲を探すと、道案内の看板がありました。「旧東海道、この先100m」って、今あがってきた坂を下るようです。ガーン、道を間違えたらしい。仕方なく下っていくと、先ほどの一里塚の脇、駅からこないと目に付かない部分に「旧東海道」という道しるべが…。一里塚のところで、高架の下を抜けるのが正しい道だったようです。
それから30分も歩くと、金谷坂に入ります。坂の入り口のところに「石畳茶屋」というのがあるけど、これは近年建てられた観光客向けの店らしいので無視。
ここからしばらくは石畳です。…とはいっても、箱根のように歴史ある石畳ではなく、一度アスファルトで固めたものを、数年前の「東海道制定400年」にあわせて昔の形に戻したというもの。アスファルトの下から掘り起こされた石では足りなかったため、「1人1石」を合言葉に町民600人が石を持ち寄った、というエピソードが泣かせます。
この石畳、箱根のように歩きやすくはありません (^^; 石が大きすぎて、凸凹が激しいんですね。作り直したせいかとも思ったのですが、いくらかは江戸時代の石ですし、もともとそういうものなのでしょう。
しかし、石畳を歩き始めるとこれまで痛かった足の裏がちょっと楽になりました。箱根の時も楽だったし、やっぱり僕はアスファルトの上を歩くのがダメらしい…
金谷坂は、途中から竹やぶに入ったり、お堂があったりしてなかなか雰囲気の良い道でした。10分も歩くと抜けてしまうのが残念なくらい。
金谷坂を抜けた後は、一面の茶畑が広がっています。30分ほど茶畑の間を歩いていくと、また石畳の「菊川坂」があります。今度は下り道で、同じような石畳です。
菊川坂を下りきり、再び上り坂になる頃には13時半を過ぎていました。この上り坂の途中、大きなカメラを持って歩いている男の人と出会いました。
「どこから来たの?」と聞かれたので、東海道をずっと歩いてきていることを教えます。すると、「じゃぁ、これあげるよ」と、ポケットから折りたたんだ紙を取り出して、僕らにくれました。
この人、趣味でこのあたりを撮影して歩いているらしいのですが、この先の日坂宿で配布している絵地図を何気なく持ってきたとのこと。お礼を言って男の人と別れます。
このあたりからの峠道が、「小夜の中山」になります。いろいろ伝説がある…らしいのですが、なんだかよくわかりません。一応出発前に調べたのですが、いろいろな伝説が入り乱れてなにがなんだかわからないのです。
で、よくわからないなりに、昔から名物だという「子育て飴」の扇屋さんに寄ってみます。
この子育て飴も、その由来として言われているものが2つあります。飴といっても現代のような砂糖を固めた飴ではなく、日本古来の麦芽澱粉で作った飴のようです。まぁ、飴で子供を育てたという伝承は日本各地にもありますし、栄養価豊富な麦芽飴であれば実際子育てに使われたことがあるのかもしれません。
で、現在は扇屋さんはほとんど営業しておらず、隣の民家で飴を売ってくれるそうです。買いたかったので隣の家の呼び鈴を鳴らしたのですが…留守だったようです。残念。
子育て飴に未練を残しつつ峠を下っていきます。この峠を下りきれば、日坂宿です。