藤枝近郊  2003/4/10 8:10  「島田」まで 7.0Km

友人宅に泊めて貰った翌日は、朝6時に起きます。友人は8時半には会社に着かないといけないそうで、そのまえに昨日であった地点まで送ってくれるそうです。

美しい奥様の手料理を朝ご飯に頂き、身支度を整えると、聡明そうなおぼっちゃまとお嬢様に見送られて友人宅を後にします。


泊めて貰った上に夕食をおごってもらい、車で送り迎えしてもらうのだから、これくらいは気を使っておかないと… (^^;


さて、昨日終了したポイントに戻りました。藤枝宿から 1.5km ほど進んだ青木交差点。時間は8時10分、今日はここからスタートです。

藤枝の松並木歩き始めてすぐに気付きます。昨日の今日で、足がまだ回復していない。筋肉痛などはないのですが、足の裏が痛いのです。

しかし、少し歩いていると痛みにも馴れ(相変わらず痛くはあるのですが)、どうやら歩けるようになってきます。道沿いには松並木なども残り、なかなか旧街道の風情があります。


旧東海道沿いには、いろいろな「史跡」を案内する石碑などが残っていることがありますが、それらを整備するのは市町村のレベルです。場所によってはたくさんの案内があり、場所によっては全然ない…ということがありますが、どうも藤枝周辺はかなり力を入れて整備しているようです。

染飯茶屋跡8時35分、「染飯茶屋蹟」という石碑を見つけます。江戸時代、藤枝名物として知られた「瀬戸の染飯」を売る店がここにあった、ということです。

染飯は、疲労回復に効果があるというクチナシを一緒に入れて炊き上げたご飯を、すりつぶして干して固めたものだったそうです。(中華のオコゲみたいなもんかな? 干飯の一種…バリバリとした、歯ごたえの悪いせんべいのような、保存食ですね)


実は、現代になって染飯を復活させ、売っている店がJR藤枝駅前にあるそうです。昨日藤枝駅を目指していたのは、今日を駅前スタートにして、染飯弁当を買おうかと思っていたから。

しかし駅まではたどり着けず、いまからわざわざ行くにも駅は旧街道からはずいぶん離れています。染飯はあっさりあきらめることにしました。


ちなみに、復活した染飯は、干飯ではなくおにぎりだそうです。現代の食べ物としては妥当だけど、全然違うものになっています。これが、無理してまで食べなくていいや、と思った理由。

上青島一里塚染飯茶屋跡からしばらく、のんびりした田舎道がつづきます。もちろん今は舗装されていますが、松並木はそのまま残っている感じです。

松の根がアスファルトを持ち上げていて、歩道がぼこぼこしています。足の裏が痛いので、こういう歩きづらい道が非常に辛い!


そんな道の途中で8時50分過ぎ、一里塚を発見しました。…なぜか、木製の碑と石碑の2本が立っていました。


一里塚をすぎると、いよいよ見所はないです。次の島田宿の直前にまた一里塚があるはずなので、ここから1時間は何もない道を歩きつづける、ということです。

9時過ぎ、島田市に入ります。それからちょっと歩いたところにゴミ集積場がありました。

ゴミ集積場なんて普段は注意して見ないのですが、結構市町村ごとに特徴があります。島田市は結構細かく分別収拾をしているようで、缶・ビン・金属類など、さまざまな容器が並んでいますが…

ゴミ捨て場にゲームボーイが!「あ、ゲームボーイみっけ」

缶類の中に、初代ゲームボーイが捨てられています。いまさら初代、という気もしますし、動くとも思っていないのですがなんとなく拾い上げます。

何気なく裏返すと…カートリッジが刺さっていました。しかも、ゲームは僕が好きな「ぺんぎんくんWars」!

本体は壊れやすくとも、ROM というのはあまり壊れないものです。これはもらっていくことにします。いいものを手に入れた。


ぺんぎんくんWars…今は亡きUPLが業務用に発売したゲーム。家庭用の移植はASCII が行い、ファミコン、MSX、各種パソコンなどに発売されていた。しかし、ゲームボーイ用があったとは知らなんだ。
 持ち帰ったROMは、ちゃんと動作しました。妻がかなりハマって遊んでいました。
 ちなみに、ゴミを勝手に持ち帰ると窃盗罪となります。良い子は真似しないように。

それからしばらく歩き…9時30分には「島田宿」の標識を見つけます。地図で見る限り島田はもうすこし先なのですが…。いずれにせよ、もうすぐ島田です。

(ページ作成 2003-05-14)

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