岡部  2003/4/9 15:30  「藤枝」まで 6.7Km

たった30分程度の道のりとはいえ、山を越えるのはやっぱり疲れます。持っていた飲み物も飲み干してしまいました。

…というか、献血でもらった「SARALI」なんて飲んでいたのですが、ジュースなので口の中が甘ったるくって仕方がない。歩くときには水やお茶でないとダメです。


水が飲みたい。せめて口の中をゆすぎたい…と思っていると、「十石坂観音堂」がありました。急な階段を上らないと境内に入れないのですが、手水場でもないかな…とおもって入ってみます。

しかし、ありませんでした。水道がありましたが、これも元栓が止められているみたいで水は出ません。あきらめて街道にもどり、しばらく歩いたところで自動販売機がありました。珍しい1リットルペットボトルを売っていたのでお茶を買います。


さて、すでに岡部の町には入っていました。しかし、困ったことに広重の絵に似たポイントが見当たりません。ルートを少し離れて町中を捜し歩いた写真がこれ。

広重「岡部」現在の「岡部」



広重の絵の特徴は 1.山に囲まれた細い道(上り坂) 2.道の横に川がある 3.むこうに宿場が見える となっています。

でもね、少なくとも現在は、こんな条件が揃う場所はどこにもないの。地図をみただけで誰にでもわかります。


広重の絵は、基本的に「江戸から京に向かって」見る視点で描かれています。そう考えると岡部の宿は山を下ったあとにあるので、上り坂にかかれていること自体がおかしいです。絵のタイトルは「宇津之山」ですが、これが現在の宇津之谷峠を示すのであれば、宿場はまだまだ先で見えないはずです。

なので、この絵は「岡部宿は山を越えた向こうにある」という印象を絵にしたもので、実在しない風景なのではないかと思います。


大旅籠柏屋さて、岡部の町中には、昔旅籠だったという立派な建物があります。これは観光客向けに、内部の見学が可能になっているみたい。地図ではこのあたりに「本陣跡」があるとなっていたので、この建物がそうだったのかな…と思いましたが、どうやらそうではないです。本陣跡は本陣跡で、すぐ近くの別の場所にありました。

先を急ぐし、あまり興味もないので見学はせずに先に進みます。予定ではJR藤枝駅で5時ごろ友人の落ち合う予定なのですが、出発がいきなり30分遅れになってしまい、いまも30分遅れのペースで進んでいます。


とりあえず、岡部の町には入ったということ、藤枝駅まではいけないかも、ということを友人にメールで連絡しておきます。



岡部はいまでは山間の小さな町に過ぎず、すぐに過ぎてしまいました。そのまま延々と歩きます。そろそろ足が痛くなってきました。どうも、新しい靴を買った効果はなかったみたい。

歩いたのはこれまでに5回、うち1回を除いて30km以上歩いています。こんなに歩くと普通なら筋肉痛を気にするのでしょうが、じつは筋肉痛はあまりおこりません。むしろ、問題は足の裏の痛み。

どうも、硬いアスファルト道路が最大の敵のようです。常に30kmを越える頃に足の裏が痛くなっていたのですが、未舗装の箱根越えの時は問題ありませんでした。

そこで今回は、クッション製の良いナイキ・エアマックスを思い切って購入したのですが…激しいスポーツならともかく、歩く程度ならクッション性はあまり変わらなかったようです。それどころか、まだ足になじんでいないのでいつもと違うところに水ぶくれができる始末…


東海道を歩くというと「昔の人は健脚だった」という話が出てくるのですが、そうではなくて「今の道路は歩くようにできていない」というのが正しいのではないか、というのが、東海道を1/3歩いた時点での僕の考えです。


あと、今の人は歩くのに適した装備を忘れてしまっていることも重要。1回目は20kmで足が棒になりましたが、2回目以降足に(脚半代わりに)サポーターを巻いたら、足は全然疲れなくなりました。こういうのは昔の人のほうが知っていたのでしょうね。


鬼島一里塚さて、岡部から一時間近くあるいた16時30分頃、一里塚を発見しました。アパートの横に建てられた、質素な木の「一里塚跡」です。

このあたりで旧街道は現在の幹線道をはなれ、少し横道に入るのですが…。なんか、「旧東海道横内村」と、大きな看板が出ています。


旧東海道沿いの町は、そこが「旧東海道であった」ということだけで観光地となれます。そのため箱根を越えて以降、宿場はあたりまえとして間宿(あいのしゅく:宿場と宿場の間にあり、公的な役割を負った集落)までもが、旧東海道沿いであったことをアピールしています。

しかし、それにしても「横内村」って… 間の宿ですらないんですよ。ただの村ですよ。


「横内村」に入ると、さらに驚くことが待っていました。家々の玄関先に、江戸時代の呼び名が掲げられています。

これもまた、静岡に入ってから、所々の宿や間宿で行われていることです。「扇屋」「近江屋」「奥州屋」など、江戸時代の商家らしい名前が並んでいたりすると、壮観ですらあります。

しかし、そこはなにぶん横内村。「油屋」「傘屋」「熊八の家」「カネ廣」(カネは差金…大工の道具の記号。大工の廣さんだったのでしょう)等など…ショボい名前が並んでいます。わざわざ見せるほどの物なのか。

はずれの家 表札そして極めつけ…「はずれの家」って (^^; 村はずれの意味なのだろうけど、くじ引きの「はずれ」みたいで嫌な感じです。この家の人も、「はずれの家」って掲げることに抵抗はなかったのだろうか。



横内村を抜け、横打橋で朝比奈川を渡ります。16時45分には須賀神社に到達しました。

日も傾いてきました。先を急がなくてはなりませんが、5時までに藤枝には入れそうです。


待ち合わせのJR藤枝駅は、藤枝宿からさらに4km…歩いて1時間くらいあるのだけどね。


(ページ作成 2003-05-07)
(最終更新 2003-05-14)

前記事:丸子     戻る     次記事:藤枝
トップページへ

-- share --

0000

-- follow --




- Reverse Link -