15時頃、電柱についていたマークで、どうやら由比に入ったと知ります。
由比は蒲原と近すぎたこともあって、東海道の宿としては原と並ぶくらい小さかったようです。そのためか、広重も「由比」として描いたのは由比よりずっと先の風景です。
由比に入ってすぐに一里塚を発見しました。しかし、これも説明が無ければ普通の民家に生えた庭木と区別つかないような…
道の逆側の木は今は無いようで、こちらには「一里塚跡」という石碑が建っていました。
由比はいまでも小さな町だからこそ、東海道跡の整備は力を入れているようです。「由比本陣公園」や「東海道広重美術館」「おもしろ宿場館」などがありますが…あまり見ている暇は無いので、さくっと町を抜けていきます。
そんな時、一軒の普通の魚屋が目に留まります。「いるかすまし有ります」…実は蒲原でもこう書かれた魚屋があったのですが、「いるかすまし」ってなんだ?
妻は「うるか(鮎の内蔵を塩漬けにしたもの)が訛っているだけじゃない?」と言うのですが、どうも気になる…
気にしていると、魚屋のおばちゃんが「お兄さん、桜えびお土産に買ってかない?」と声を掛けてきます。えぇい、思い切って聞いてしまえ。「いるかすましってなんですか?」
どうもこのおばちゃん、耳が遠いようです。「え? なに? 烏賊?」とか聞いてきます。店の奥で座っていた、口にマスクをしたおじさんが「イカじゃねぇよ、イルカのこと聞いてんだよ。おしえてやんな」とかボソボソしゃべっているのですが、マスクをしているんで声が通りません。
いや、イカじゃなくてイルカを聞きたいんですというと、おばさんも今度は聞き取れたようです。
「あぁ、イルカね。これはイルカの背びれをスライスして塩茹でにしたもの。酒の肴にいいのよ。珍しいでしょ」とおばさん。「お兄さんたち、歩いてきたの?」
原から歩いてきて、興津まで行くつもりだと答えると驚いています。
「結構歩いてるんだな。こないだもそういう奴らが通ったよ。ここらへんだと、もう少し後だと桜えび祭りがみれたんだけどな」
「あらぁ、遠くまで歩いてるのね。大変じゃない。じゃぁ、せっかく由比通ったんだから桜えび買っていきなさいよ。ここら辺の名物なのよ。もう少したつと桜えび祭りがあって、一番の旬なんだけどね」
なんか、おじさんが言ったことおばさんには全然聞こえてないし (^^; 微妙に同じことを繰り返していて話がかみ合っていません。桜えびはいいので、イルカのすましください。
「はいはい、酒の肴なんかにいいわよ。塩茹でにしてあるから、味はこのままかちょっと醤油つけて。歩いてるなら保冷剤入れなくちゃね。どこまで歩くの?」
「だから兄さんたち、さっき興津までって言ったじゃねぇか。おまえは人の話聞いてないんだな。」
おばさん、やはりおじさんの言ったこと聞こえてません (^^; 興津まで行く予定だと答えます。
「あら、興津まで。この先もう少し行くと、薩た峠ってあって、眺めが綺麗なのよ」
「興津なら薩た通った後だよ。早くしないと日が暮れちまうんじゃねぇか?」
えーっと、興津って薩た峠の向こうなんですけど…
「あらぁ、そうだったかしら? じゃぁ、保冷剤多めに入れとくわね。じゃぁ、早くしないと日が暮れちゃうと大変よ」
…つ、疲れる。イルカのすましの代金600円を払って、魚屋の初老の夫婦に別れを告げます。漫才みたいな夫婦でした。
さて、15時30分には由比駅の前をとおり、駅前の歩道橋を渡って山へと向かう細い道に入ります。いよいよ薩た峠が近づいています。
ちなみに、薩た峠は正しくは「 」と書きます。真ん中の字は JIS には無く、Unicode の 57F5 番で「埵」。Unicode が見られる環境の方しか見られないと思いますので、ここでは「薩た峠」と記します。
山の中の古い町並みを歩くことしばし。16時少し前、西倉沢一里塚に到着します。ここから道は二手に分かれ、車も通れる「下の道」と、急な山道の「上の道」があります。
江戸初期は「下の道」しかなく、これは海岸の崖下を、波が引いたタイミングを見計らって突っ走るスリリングな道だったとか (^^; あまりにも大変なので、後に山を通る上の道が作られ、下の道は寂れました。
しかし、江戸末期の大地震で地殻変動が起こり、波打ち際が後退して下の道が通りやすくなります。こうなると急な坂道など廃れてしまい、今となっては上の道のほうが細い道になっています。
今回は、江戸の旅人が多く通ったという「上の道」を選択。広重が絵に描いた「由比」も、上の道からの風景ですし。
一里塚のすぐ横には、これから峠道を登る人のために、ご親切に簡単な「杖」を用意してくれています。せっかくなので妻と共に、適当な長さの杖を借りていきます。
上り始めると、これが結構な急坂です。杖を借りてよかった…。道の両脇にはミカン畑が広がっています。ミカン畑の間を縫って走る、運搬作業用のモノレールが珍しいです。
さて、実際「薩た峠」はどこなんだろう? 言ってみればここら辺全体が「峠」のようで、風景のちょっと見やすいところには「薩た峠」と書かれた立て札などが立っています。
そんな、数ある見晴しポイントの一つで撮影。やっぱり富士山はでておらず、残念。
16時30分頃、山の中のコースは「駐車場」を通り抜ける場所に出ます。駐車場の端にトイレがあったので、ちょっと休憩。
やはり山歩きらしい、40過ぎの中年夫婦が休憩していました。「東海道歩きですか?」と話し掛けてみます。
どうやらその人たちは東海道歩きではなく、山登りに来たそうです。今回山の名前は調べていなかったのでよくわからなかったのですが、由比駅からスタートして山頂まで行き、今降りてきたところだとか。これから興津まで行って帰るんだそうです。
僕らが何処から歩いているのかたずねられたので、今日は原からだけど、日本橋からずっと歩いていると答えます。こういう話は今日は何度かしているのですが、一番驚かれます。やっぱり、自分で歩くことを知っている人は一日40kmという距離がすごいことだとわかるようです。
「今日は興津に泊まるの?」といわれたので、このまま電車で家まで帰ります、と答えたことから、大体の家の位置の話に。その中年夫婦も、我々と同じく横浜に住んでいるのでした。
この休憩場所で杖を返すようになっていたので返却します。ここから先はあまりきつい坂はないようです。事実、15分も歩くと山を抜けて舗装された道路に出てしまいました。
ちょうど山から下りてすぐのところに休憩所が設けられていました。そこにいる制服の人に、「お兄さんたち、薩た越えてきたんか」と話し掛けられます。
よく見ると警察官。なんでこんなところにいるのかはわかりませんが…「富士山きれいじゃったろぅ?」 いやぁ、残念なことに今日は富士山見えなかったですよ。
「見えんかったか、それは残念じゃのう。薩たの富士山は自慢の名所なのに…。東海道歩いてるんじゃろう? どこからじゃ?」
今日は原からで、日本橋から少しづつ歩いていると答えます。「原から! そりゃずいぶん歩いてるのぅ! じゃぁ、左富士も見てきたんだ」 それも残念ながら富士山が見えなくて…
「左富士といえば、新幹線からも見えるの知っとるか? 静岡駅から少し行ったあたりで見えるじゃぞ」 ほう、それは初耳でした。東海道本線でも左富士が見える、という話は聞いていたのですが。
そんな会話をして、警察官とは別れます。ちょっと歩いたところで、後ろからパトカーが追い抜いていきました。あの人はいったいあの休憩所で何をしていたのだろう…まさかサボり?
さて、このあとはしばらく町中を歩きながら、興津へと向かいます。