昔の宿がどこだったのか、歩いていても「見附」などの後から推測するしかなく、いまひとつピンとこないものです。
しかし、蒲原はちがいます。宿に入る部分で、道が急に細いクランクになっています。外敵から街を守るための工夫なんだそうです。たしかに、勢い込んで突撃しようとする軍隊には、道を曲げるだけでも効果があるかも知れません。
蒲原に入ると、すぐに一里塚があります。蒲原も吉原と同じように、津波に飲まれて内陸に移動しています。そのため、一里塚も何度か作り代えられたようですが…。現在、なんで祠になっているのかは説明が無いため不明です (^^;
広重の「蒲原」がどこら辺を描いたのかは、どうもよくわかりません。大体、蒲原は温暖で雪が積もることはなく、広重の絵はまったくの想像となっています。
しかし、広重の蒲原はまた、モノトーンに抑えた色調や見事な構図などで、東海道五十三次の最高傑作とされています。蒲原としてもそれをほおって置く手は無いので、一応「ここら辺ではないか」というところに碑が立てられています。
碑は、宿場の中心となる道から少し離れたところに立っています。広重の絵も、宿場の道から少し離れたところから描かれています。背景となる山の位置などを総合して考えてもどうやら碑の位置は正しそうですが…
現在は建物が増えすぎて、碑の位置からは道が良く見えません。位置はあっているかもしれないけど、風景的には全然面影が無いのです。そのまま写真を撮影しても面白くない!
そんなわけで、碑の位置にはこだわらずに旧家を撮影しました。一応、絵に描かれている山と写真の後ろに見える山は同じだと思います。
蒲原宿のめぼしいものをみて、広重の絵のポイントも撮影が終わりました。時間はすでに13時30分。そろそろ昼ご飯にせねば…。
宿の端までは見ていないのですが、旧街道沿いでは店も無かろうと、すぐ横を通る大通り(国道1号ではない)に出ます。
大通りならそれなりに食べる店もあるだろうと思ったのですが…とりあえず、ラーメン屋が目に入ったけどこれはパス。少し歩くと、「よし川」がありました。とりあえず値段をチェックしますが…高っ!
そういえば、よし川って名前どこかで聞いたと思ったら、東海道歩きが好きな人たちが東海道集会を開いたところじゃないですか。あの時は僕はまだ歩き始めたばかりで、集会が行われることは知っていたのですがコンタクトを取らなかったのでした。
蒲原の名物は桜えびです。道を歩いていても、桜えびをデザインしたものをたくさん見るくらいです。
写真は左から、史跡案内の表示についていた桜えび、道のタイルに描いてあった桜えび、橋の欄干に透かし彫りにしてあった桜えびです。他にももっとありました。
そんなに有名なら食べたい…しかし、よし川の桜えびかき揚げ定食は1300円もする…。店の前でしばらく迷い、「もっと気軽な店を探そう」と決めて歩き始めます。しかし、残念ながらこの後ラーメン屋すら見当たらず、すきっ腹のままひたすら歩くことに…
やっと店を見つけたのは14時15分。蒲原 - 由比間は 3.9Km しかないので、もうかなり由比に近づいています。しかし、店の名前は蒲原館。悪くなさそうな店なので、とにかくここに入ります。
メニューを見ると、どうやらラーメン屋のようです…。しかし、ここでメニューに「エビ丼 800円」というのを発見。これだ! とばかりに妻が注文。僕はカツ丼 700円を頼みます。
…エビフライの卵とじでした。いや、味はおいしかったんですけどね。こっちが勝手に桜えびと勘違いしていただけだし。でも残念。
丼物は、味噌汁と御新香もついていました。すごく腹が減っていたので、満足。ちなみに店は14時30分から休憩だったようで、店に入ったのはぎりぎりのタイミングでした。
ところで、蒲原館の店内には久保田利伸のサイン入りポスターが3枚も貼ってありました。日付はそれぞれ、2001,02,03年の1月1日となっています。そういえば、彼の出身は蒲原だったはず、と妻。(あとで調べたらこの情報は正確でした)
ちなみに、ポスターの1枚には「ラーメン日本一」と書かれていました。久保田利伸はここのラーメンが好きらしい。ラーメンがうまい店だったのか…食べればよかったかも。
とりあえず腹も膨れたし、14時40分に再出発します。由比はすぐ目の前です。