三島  2003/2/25 16:15  「沼津」まで 5.8Km

三島に入ってしばらく歩くと三島大社の前に出ました。

広重「三島」現在の「三島」



三島といえば三島大社。広重も、朝霧のなかの三島大社前を描いています。

しかしこの絵は本当にここなのか? 地図で見る限りでは本殿はずいぶん奥にありますし、大きな神社では鳥居がいくつもあることもあります。念のため、お参りがてら本殿まで見に行くことにしました。


三島大社結論を言えば、三島大社には鳥居は一つしかありませんでした。しかし、せっかく本殿まで来たのですからお参りしていきます。

お賽銭入れて、えーと何を願おうかな…。ごにょごにょ。

…ひとり50円ですから、お願いは控えめにしておきます (^^;


三島大社の境内には、福太郎餅という餅をお土産に売っている店があります。興味はあるけど、まだ歩くので荷物は増やしたくない…と思っていたところ、どうやら店内で食べていくことも出来る様子。

福太郎餅さっきおやつ食べたばかりですが、食べていくことにします。

福太郎餅は、能で使われる「翁」の面をかたどったものだそうで、ヨモギ餅を餡で包んであります。

…「赤福」というと身も蓋も無いのですが、あれともちょっと違う味わい。餅2つにお茶のセットで200円でした。

疲れているからか、お茶がすごくおいしい…と思いながら飲んでいると、妻に「さすがに静岡のお茶はおいしいね」と言われます。

あぁ、そうか。箱根を越えた時から知っていたはずなのに、食べ物を食べてやっと違う県に来たことを実感しました。


ところで、東海道五十三次を歩く(2)という本には、福太郎餅を「餅を飴で包んだ」と記述されていました。飴で包むとは珍しい…と思っていたらこれは誤字のようです。飴ではなくて餡ですね。


14時30分、そろそろ出発することにします。今日は三島で終わりの予定だったので、この先の道がどうなっているかは下調べしていません。行き当たりばったりの旅です。

歩きながら、Zaurus に入れてきた「東海道五十三次」の絵を見て、次の撮影ポイントだけは探しておきます。どうやら、沼津の目の前の川沿いで写真を撮ればよさそうです。

あとはひたすら歩くのみです。ざっと地図を見たところでは、ここら辺では特に名物も無いようですが…


静岡はさすがに東海道の大半を占める県で、東海道沿いの町々でも歴史に対して関心が高いようです。道を歩いていても、各町の有志が立てた「東海道ゆかり」の案内板が方々にありました。

ただ、特筆するほどすごいものは無いようですので、ここでは説明はしないでおきます。


従是西 沼津領17時30分ごろ、「従是西 沼津領」…つまり、ここから沼津の土地だという標識に出会います。沼津まではもうそれほど遠くは無いようです。


普通に歩いていると、どうしても妻のほうに負担がかかります。背の高さが違うのですから、一歩の歩幅も異なってくるのは当然です。そこで、基本的に妻が先を歩き、無理の無いペースで歩けるようにしています。

しかし、ここら辺での妻のペースは非常に速くなっていました。時速にして6kmくらいのペースといえば、わかる人には非常に速いとわかってもらえるでしょう。日没も近いので、出来るだけ速く行こうと考えているようです。

しかし、時々立ち止まって地図を見ながらなので、結局時速 6kmは出ていません。4.5kmくらいでしょうか? それでも、順調に進んでいます。


沼津一里塚15分後、公園のようなところに一里塚を発見します。

周囲はもう、かなり暗くなっています。デジカメの性能が良いので薄暗がりくらいに見えますが、冬場の6時ですから「もう夜」です。

この一里塚のすぐ横には、なぜか古代に玉(勾玉か?)を加工したのではないかという「砥石」が置かれていました。どうも、この公園自体が歴史的なものを置いておく場所になっているみたいです。

今回、東海道に興味を持って歩いていますが、古代史には興味がないので説明を斜め読みして先を急ぎます。


この公園のすぐ先に、高い堤防があって、その向こうには川があるのがわかりました。

どうやら、ここらへんが沼津宿のようです。堤防に登り先を見ると、ちょっと進んだところに川べりまで下りられる、階段状の広場のようなところが見えました。

そこまで行って写真を撮ろうと、広場に入る道を探します。…ところが、目と鼻の先立ったこの広場に入る道が見つからず、しばらく右往左往していました。結局、大きく回りこまないと入れないのでした。

(ページ作成 2003-03-08)

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