戸塚は自分の庭のような街。浮世絵にかかれたポイントもすぐにわかりました。
というか、今回歩いてみるまで、ここが浮世絵に描かれていたなんて気付かなかったのですが。その気になったらすぐにわかった、と言うべき。
僕の家に行くには、この橋(吉田大橋)の手前で左に曲がります。ちょうど、広重の絵でも中央に標識が立っており、「左・かまくら道」と描かれている…のだそうです。達筆な字でよくわかりませんが。僕の家は、まさに鎌倉に行く途中。
昔の人はここらで一休みしたそうで、広重の絵にもそういう風景がかかれています。でも、まだ歩き始めたばかりなのでずんずん進みます。
少し進むと JR 戸塚駅。有名な開かずの踏み切りが待ち構えています。どれくらい有名かといえば、あまりに開かない踏み切りに故・吉田茂首相が怒ってワンマン道路を作らせてしまったほど。
このときは、運良くすぐに開きました。この踏み切りもついに工事をすることが決まったそうで、4年後(平成19年)にはなくなる予定です。
11時すぎ、原宿のあたりまで進みました。途中には原宿一里塚跡、なんてものもありましたが、現在はすでに一里塚はなくなっているそうです。
原宿交差点をすぎたあたりで、なんか石碑のようなものがいっぱい立っていました。なんだろう? と妻と話しながら、表面にかかれた文字を読んでみようとします。
「それ、ずいぶん古いものなんでしょう?」と、初老の婦人に尋ねられました。僕も今見たばかりだからよくわかりませんが、古そうですね。
「馬頭観音って言って、昔の馬の供養とかしたそうですよ。道路の拡幅工事で、もうすぐ全部撤去されてしまうらしいですけど」と老婦人。
そういえば、ここらへん工事しているのは半年以上前から知っていたけど、拡幅工事だったのか…。
小学校時代の先生が言っていた「馬を供養した碑が近くにある」という言葉が思い出されますが、どうやらこれがそうらしい。
もっとも、馬頭観音というのはこれ一つではないようです。昔は戸塚宿あたりではずいぶん馬を使っていたらしく、この先も道沿いに馬頭観音と書かれた石碑がたくさんありました。
藤沢にもずいぶん近づいた12時過ぎ、ここらへんで曲がって細い道に入るはずなので、探しながら歩きます。
なんか、車が右に曲がったからそこに道があるのかな…と思いながら歩くと、そこにあったのは道ではなく大きなお寺。遊行寺と書かれています。
「なんかでかい寺だね」と僕。
「いったい何宗? …え? 時宗総本山? へぇ、こんなところにあるんだぁ」と妻。
宗派言われてもよくわからん。よく知っているね、と言うと「踊念仏・一遍上人。高校でやらなかった?」と返されます。いやぁ、知らんなぁ (^^;
この後知ったのですが、藤沢は遊行寺の門前町として栄えた町なのだそうです。ガイドブックの地図が細い道に入っていたのも、遊行寺の前の道を通るため。昔は、寺に続く道こそが「大通り」だったのです。