ガイドブックによれば、広重の絵に残る「神奈川宿」の坂は、今でも住宅地の中にあるとか。しかし、横浜駅周辺は開発され、道が入り組んでいるためにどこが目指す道なのかわかりません。しかも日はすでに暮れ、見通しが利かないという状況…
とりあえず、京急神奈川駅を撮影。もし目指す坂が見当たらなかった場合は、この写真でお茶を濁そうと…。
神奈川駅からJRの線路の上を超えます。ガイドブックだとここらへんの道を横に入るみたいだけど、なにぶん地図の縮尺が大きすぎてよくわからん (^^;
しかし、最初の細い道の先は、なんだか坂があって怪しげな様子。そこに入ってみることにします。しばらく歩いていると、ガイドブックを見ていた妻が目の前を指差します。「この建物、この写真に写っている奴じゃない?」
よーく比べると…残念、違うみたい。でも、暗い道の先に目を凝らすと、坂の上に写真と同じ風景が見えました。やっぱこの坂であっていたみたい。
そんなわけで、この坂を撮影。鳥瞰視点は無理なのでアングルが全然違うのは許してください (^^;
この時点で時間は17時20分、万歩計は34000歩でした。
坂はきつくは無いのですが、すでに足がかなり疲れているのでだらだら登りがかなり辛い…
神奈川は、東海道を歩く女性や老人の最初の宿だったようです。「ちょうどいいから、ここらへんでやめとく?」と妻に聞くと「保土ヶ谷までは近いのだから行こう」との答え。本当は戸塚まで行きたいようですが、それは保土ヶ谷についてから考えようと言うことに。
少し行くとなんだかまた道がわからなくなります。しかし、よく見るとここらへんは見覚えがある…大学の頃、僕がバイトしていたソフト会社の周辺でした (^^; 道がわかったので先へ。どうも、生活圏に近づいてきたので見覚えのある場所が多いようです。
ここらへんで話していたどうでもいい話。
昔の旅人の日程について
七つ立ち(朝4時頃出発)した旅人は、日暮れ前(夕方4時頃)には宿についていたはず。夜になれば盗賊も出るかもしれないし、野犬に襲われる可能性もある。なんといっても、街灯の無い時代では道を歩くのにも危ない。
東海道を旅行する人は、男なら最初の宿を戸塚に取ったという。日本橋から戸塚まではおよそ40km。
これを12時間で歩くので、休憩も考えると時速 4km 程度。昔の人が健脚といわれるのは「長時間歩ける」という意味で、歩く速度は現代人とそれほど変わらない。
すでに日が暮れてしまったので本来タイムリミットだが、僕らは朝9時出発なのでタイムリミットを夜9時としても良いかも。
妻が戸塚まで行きたいというのは、昔の「男」の距離を歩きたいから。高校時代陸上部で男子部員と同じ練習メニューをこなしていたことと、昔に比べて道が整備されているのだから、今は女でも歩けるだろうという考えから。
昔やっていたNHKの番組
その昔、江戸時代の東海道の旅を紹介するNHKの番組を見た。
その番組では、昔の資料をもとにいろいろな話を紹介すると共に、実際に現代の道を女性アナウンサーが歩いて体験するような構成をとっていた。
で、この女性アナウンサー、「権太坂」で力尽きて歩けなくなる。権太坂は、昔も力尽きて死んでしまう人が時々いたという難所。
それを考えると、戸塚の手前の保土ヶ谷で「泊まっていきなさい」と客引きが激しかったというのもうなづける。戸塚まで行くつもりであっても、死ぬのは怖いし引き止められたら宿泊してしまうかも…
「女性アナウンサーは権太坂で歩けなくなったので、昔ならそこで死んだわけだ」と僕。「私たちも人のこと笑えないかもよ」と妻。