次世代ゲーム機戦争
今回は怪しげな噂をかなり織り交ぜてお送りします。
今までも噂レベルの話入れているけど、それなりに確認可能でした。
今回は、確認不可能な話題も数多くあります。
酒飲みながら聞いたような話もあるので、鵜呑みにしないように。
でも、当時の現場では信憑性をもって語られていたので、当時の雰囲気を残す記録として…
目次
セガ・サターン(別ページ)
サターンの3D性能(別ページ)
サターンのCPU(別ページ)
太陽系の惑星たち(別ページ)
細かな話題(別ページ)
もう一つのライブラリ(別ページ)
反論紹介(別ページ)
プレイステーション
まず、ソニーのプレステ製作話。こちらは結構有名なのでざっくりと。
ソニーはフィリップスと共同で CD を開発し、当初は音楽用メディアとして考えていましたが、デジタル記録なのでマルチメディア記録へと展開しようとします。
フィリップスは CD-i というマルチメディア機器…一応はゲームもできる…をつくりました。
えーと、昔バイトしてた会社で、海外のゲームのローカライズ作業を任されたことありますが…まぁ、その話はいいや。
で、ソニーも CD-ROM のマルチメディアを作ろう、と任天堂に企画を持ち込みます。
スーパーファミコンの音源は、もともとソニーが開発したもの。ソニーと任天堂は、元々仲が良かったのです。
ソニーの持ち込んだアイディアは、スーパーファミコンに接続して CD-ROM を使えるようにする…ファミコンディスクシステムみたいなものでした。
近年公開された暴露話では、かなり強引に押し込んだのではないか、とのこと。
この機械は、開発コードネーム「プレイステーション」と呼ばれますが、この時点ではスーファミの周辺機器です。
サードパーティに対して「こんなの作る予定だよー」という程度の数ページの書類で、スペック詳細はありませんでした。
でも、DSP 積んで3D演算を可能にする、というのがあって、CD-ROM で大容量化するよりもこちらの「演算能力向上」のほうが重要そうに見えました。
1991年の夏、6月の1・2日(土日)に、CES(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー。世界最大の家電品見本市)が行われています。
まず、任天堂は前もって、CESの発表内容を公表したようです。
アメリカの新聞、シアトルタイムズが5月31日付で、報じたのは任天堂、フィリップスとCDゲームで提携という内容。
内容は、フィリップスの発売する CD-i の発売時タイトルとして、任天堂がゲームを提供する、というもの。
これ、現実には任天堂はキャラクターを貸し、フィリップスがゲーム開発を行う、というものでした。
任天堂のゲームだと聞いて多くの人が期待したのですが、今となってはマリオやゼルダの「最低のゲーム」と言われています。
この内容は、CES初日に、フィリップスのブースでも発表が行われました。
「任天堂とゲームを共同開発する」という発表でした。
一方、同じくCES初日に、ソニーブースでは「任天堂用に CD-ROM システムを作成する」と発表しています。
翌日、6月2日の新聞に、大誤報が掲載されるのです。
任天堂 ゲーム機専用CD機器 フィリップスと開発
…ただし、ソースは日経、です。
ゲーム機専用CD機器…って、つまりは、CD-ROM ドライブです。
それを、ソニーではなくフィリップスと開発している、という記事。明らかに、2つの発表が混ざっちゃってます。
どうも、日経は間違ってはいない様子。
追加調査したところ、裏に複雑な事情が見えてきましたが、まとめるのにすこし時間がかかりそうです。
ところで、日経新聞は世界的な配信網を持っていて、アメリカにいても日本と同じ新聞を入手できます。
そして、CESの会場入りしていたソニー側スタッフは、この記事を見て慌てます。
ソニーとしては、スーファミ用 CD-ROM ドライブの生産の準備は着々と整っており、1億円以上かけて金型などの作成も終わっていたそうです。
CES会場でも、開発で任天堂と合意していることを発表しました。
にも関わらず、任天堂は最大のライバルであるフィリップスと開発を行う、というのです。世界中の人々の前で恥をかかせる、裏切り行為でした。
すぐに事実確認が行われれば、これが誤報であることがわかったでしょう。
しかし、この時はよほどの衝撃だったようで、情報が錯綜し、事実の裏付けが取れないままに事態が進んだようです。
細かな経緯はわかりませんが、ソニーは任天堂に強い不信感を持ち、CD-ROM ドライブの生産は中断されます。
その後交渉が再開されますが、時すでに遅し。
CD-ROM はソニーが任天堂に強引に売り込みを行ったものでした。任天堂はもともと速度の遅い CD-ROM には懐疑的で、CD-ROM ユニットも開発中だった「3D機能」の提供方法として考えていました。
当初は3D機能は高価になりそうだったので「外付けユニット」として考えていたのでしょう。しかし、おそらくソニーと仲が悪くなった間に、「CD-ROM 無しで3D機能は提供できるか」が検討されたのだと思います。
結果は「ROM カートリッジに個別に入れても十分採算に合う」。この後、3D機能は「スーパー FXチップ」と名付けられて、ROMカートリッジに搭載する形で使われていきます。
この後もソニーとの交渉は何度か行われたものの、CD-ROM は発売されませんでした。
それでもソニーはあきらめません。スーファミとは関係なく、ゲーム機を1から開発する道を選びました。
…というか、開発チーフの久夛良木(くたらぎ)さんは、自由にゲーム機を作れる状況を楽しんでいたのではないか、という証言もあります。
任天堂と共同研究しているときには、2Dの機能は不要でした。
2Dはスーパーファミコンが十分な性能を持っているためです。CD-ROM アダプタは3Dに特化した性能を持っていました。
これは、そのまま独自のゲーム機「プレイステーション」にも引き継がれることになります。
プレイステーションは2D機能が弱く、3Dに特化したハードウェアでした。
これが、そのまま後の製品名となります。