50年代の画面表示技術
目次
NLS
WWI は SAGE へと発展し、軍で使用されます。
このシステムに触れたダグラス・エンゲルバートは、コンピューターが人間の知性を拡張してくれると感じ、NLS を着想します。
NLS の開発開始は、1962年でした。
NLS は、当初は一人用の文章作成システムとして作成され、後に複数人数の協調作業システムに発展しました。
遠隔地でも、テレタイプ端末さえあれば一緒に一つの文書を編集できました。
この際、問題が1つ、生じています。
ベクタースキャンディスプレイは、コンピューターに接続しなくては表示できません。
もし、遠隔地にいる人間もベクタースキャンディスプレイを見ながら作業するとすれば、コンピューターが複数台必要になります。
当時のコンピューターは非常に高価で、これは現実的ではありませんでした。
もし「遠隔地」ではなく、コンピューターにディスプレイが接続できる距離だとしても、ベクタースキャンディスプレイは「画面を描き続けないといけない」ものです。
複数の画面をコンピューターに処理させるのは、NLS の開発に使用していたコンピューターの性能では無理でした。
エンゲルバートの解決方法は、こうでした。
まず、1台だけのベクタースキャンディスプレイに、コンピューターが出力する文字を表示します。
そして、これをテレビカメラで撮影し、複数のディスプレイに対して「テレビ映像として」表示します。
これなら、ケーブルさえあれば映像を「放送」して、遠隔地で見ることができます。
受像機も普通の安いテレビが使えますし、コンピューターが処理するディスプレイは1つで済みます。
表示内容は皆同じになりますが、協調作業が目的なので、それでよいのです。
1951年には、カラー放送も始まっています。
しかし、放送する形式であれば、後にファミコンなどがそうしたように、最初から放送電波を模倣すればいいのではないかって?
当時は、メモリが非常に高価で、画像用にメモリを用意する、なんて概念がなかったのです。
ベクタースキャンなら、すべて CPU で絵を描くため、画像専用のメモリを持つ必要はなくなります。
そして、ベクタースキャンで描いた画面をラスタースキャンに変換できれば、安い受像機が使えるようになります。
これが、世界で最初に、ラスタースキャンによる出力を備えたコンピューターシステムでした。
テレビ画像として配信するため、そこに別のカメラの画像を挿入し、「顔を見ながらテレビ会議ができる」機能も付けられました。
編集中の文章と、文字によるチャットと、顔の映像を同時に表示するための「ウィンドウ表示」も考案されました。
ベクタースキャンでは「黒地に白」の表示しかできませんでしたが、カメラの調整で輝度を反転し、「白地に黒」の表示もできるようになっています。
紙の書類を模倣するうえで、これも非常に良い結果をもたらしています。
さて、1つの問題を解決したら、別の問題が生じます。
ベクタースキャンではライトペンが使えましたが、ベクタースキャンをカメラ撮影して配信…と言う方式だと、ライトペンによって画面上の位置を示すことができなくなるのです。
エンゲルバートは、これに対して別の方法を模索します。
そもそも、SAGE ではライトペンのみで操作を行っていましたが、NLS で文章を書くためにはキーボードの併用が必要でした。
キーボードから手をはなし、ライトペンを持って画面にタッチし、またキーボードに戻る…という操作をどうにかしたい、とエンゲルバートは思っていたのです。
そして作られたのが「マウス」だというのは、みなさんご存じのとおり。
キーボードから手を離さないといけない、と言う問題点は解決しておらず、エンゲルバートは「とりあえずの」入力方法として考えていたようです。
2013年7月、彼の訃報は「マウスの発明者死去」として世界を駆け巡りましたが、マウスは彼の発明の中では「ささいな」ものです。
上に書いたように、コンピューターが「計算機」ではなく文書処理もできること、コンピューターを使えば遠隔地でも一緒に仕事ができることなど、実際に形にしてみせ、コンピューターの利用領域を拡大した人です。
彼がいなくては、今の世の中はなかったでしょう。
1968 年、その時点での完成形のデモが行われました。
これにより、コンピューターが「計算機」ではなく、もっと幅広い用途があることを多くの人が気づきました。
このデモはアラン・ケイも見ており、先に書いた TX-2 などと共に、Alto に強く影響を与えています。