80年代の画面表示技術
目次
現代にとどまる「名残」
基本的な技術は説明し終わりました。
長くなりすぎるので、記事を区切ります。
MSX やファミコンの個別の話は、以下の別記事をご覧ください。
ここでは、最後に「現代ではどうなっているか」を書いておきましょう。
アナログ放送では、走査線の制御は、放送電波で直接行われていました。
しかし、デジタル放送では違います。放送されている電波は圧縮された動画データで、受像機に入っているコンピューターがそれを展開、実際に表示するデータを作り出します。
そして、すでにブラウン管は使われていません。液晶や、プラズマディスプレイや、有機ELなどに表示が行われます。
放送電波から「走査線」の概念がなくなり、ブラウン管もなくなり…走査線はすでに過去の概念でしょうか?
いえ、そうではありません。液晶などの表示デバイスも、画面データを全部渡して、いきなり表示できるわけではありません。
もう電子ビームは使われませんが、画像データを端から読み込み、小さな画素単位で順次表示を変化させていく、と言う仕組みは同じなのです。
ここに、走査線の概念がまだ残っています。実は、電磁石のような物理的動作がなくなったにも関わらず、「垂直帰線期間」まで残っているのです。
つまり、物理的に必要な待ち時間ではなくなったが、データのコンテナ形式に名残をとどめているのだ。
コンピューターからは、テキスト画面や PCG はなくなっています。メモリは安くなり、複雑で制限のある仕組みを使い続ける必要はなくなったためです。
ただし、単に無くしたのでは、CPU が1文字描くたびに大量のメモリを書き変えなくてはならなくなります。ここには、後で書く別の仕組みが用意されています。
スプライトもなくなりました。…が、こちらはただ絶滅したのではありません。
先に書いた、CPU がいちいち画面を描かなくてよい仕組みとあわせて、「特別な仕組みではなくなった」ために意識されなくなったのです。
現代のパソコン・ゲーム機では、3D グラフィック機能があります。
キャラクタパターンを作成しておき、どのパターンをどこに置くかを指定すれば、3D 変換も含めて処理してくれるのです。
CPU がいちいち画面を描き変える必要がない、と言う意味で、これはスプライトの発展形です。
スプライトはなくなったのではなく、文字描画にまで利用できるほど「汎用化」されて残っているのです!
80年代のスプライトはライン(走査線)バッファで画面が作成され、走査線1本のわずかな時間に処理されました。このため、横方向には並ぶ数に制限がありました。
3D 処理ではフレーム(画面)バッファで画面が作成され、画面1枚分(垂直帰線期間から、次の垂直帰線期間まで)の間に処理されます。ラインバッファに比べれば、かなり時間の余裕があり、複雑な処理も可能です。
でも、FM-Towns のスプライトはフレームバッファだった。
(当時、抵抗を感じる人もいたため「擬似スプライト」などと呼ばれたが、仕組みとしては立派にスプライトだ。)
セガはある時期からフレームバッファスプライトを使用していた。ギャラクシーフォースやラッドモビールはフレームバッファで作られているし、家庭用のセガサターンだってフレームバッファだ。
ちなみに、ライバルだったプレイステーションもフレームバッファだ。
ただし、同じフレームバッファでもセガサターンは変形スプライト、プレステはポリゴンだった。
…違いを詳細に語りたいが、スプライトの話としては枝葉になってしまうので省略。
サターンもプレステも作れるゲームは大差ないが、サターンは2D寄り、プレステは3D寄りにチューンされている、と考えれば大体あってる。
本当は、スーファミや MSX2 、メガドライブなどの第2世代や、その後の発展も書きたいのですが…
書き始めるときりがありませんし、「どんどん豪華になってゆくだけ」で、基本技術は変わりません。
基本技術と、それが現代でどのように変わっているかはお伝えしました。
途中の機種でどうなっていたのか…。
あなたの遊んだゲーム機を思い出しながら、30年間の発展について想像を馳せてみるのも面白いかと思います。