我々が考えるように
EDVAC の登場以降、数多くのコンピューターが開発されていきました。より速く、より大容量にという性能競争が始まったのです。
しかし、いつまでたっても、コンピューターはコンピューター・・・つまり「数字を計算する機械」にすぎませんでした。これが今のような「便利な道具」になるには、ハードウェアではなくソフトウェア、使い手の発想の転換が必要だったのです。
目次
仮想機械 MEMEX
第二次世界大戦末期、バーニバー・ブッシュはアメリカ軍の原子爆弾開発計画、「マンハッタン計画」の指揮を取っていました。
ブッシュの主な仕事は、膨大な数の基礎的実験のレポートを読み、重要と思われる技術とそうでないものをより分けることです。原子爆弾というのは非常に高度な技術の寄せ集めで出来ており、組み合わせるための技術の何が重要で何が重要でないか、最終的な完成品にするために、限られた時間をなんの実験に費やすか、誰かが常に決断し続けないと開発が進まないのです。
ブッシュは、マサチューセッツ工科大学出身の数学者で、在学中はアナログ計算機の開発を行っていました。(ブッシュの微分解析機:ENIAC以前は、非常に活躍した計算機でした)
その後、大戦の勃発とともに国防研究を統括する、科学研究所の所長となっていました。
ブッシュの仕事は、ただ資料を読んで理解すればいいというものではありません。必要とあれば、これまでに読んだすべての資料の中から、今度の資料と関連する資料を探しだして、その関連性を子細に検討しなくてはならないのです。
それまでに読んだすべての資料を、いつでも自由に取り出せるように分類するなんてことは可能でしょうか?
一つの資料は、さまざまな関連性で他の資料と絡み合っているのです。しかも、今はその資料が必要なかったとしても、今後どういう時に必要になるかわからないのです。
ブッシュは、自分の代わりに資料のつながりを記憶しておいてくれるような機械はないだろうか・・・と、考えるようになります。
タイトルや見出しをアルファベット順に並べて整理しておくかわりに、内容の関連するものを、自由に結びつけておくのです。そして、わざわざその資料が置かれた棚まで取りに行かないでも、机に座ったままで内容が閲覧できる機械・・・
ブッシュはそんな夢の機械に「MEMEX」(MEMory EXtention:記憶の拡張)という名前をつけて、1945年、「我々が考えるように」というタイトルの論文として発表します。
それによれば、MEMEX には資料を撮影するためのカメラと、撮影したフィルムを保存しておくマイクロフィルム、それと、マイクロフィルムを投影するスクリーンを持った機械です。
マイクロフィルムは、操作レバーで順送り・逆送りが出来るほか、そのマイクロフィルムの特定の部分を指示することで、関連したマイクロフィルムを即座に表示する機能を持ちます。
さらに、ペンで書き込んだ内容を別のマイクロフィルムに記録し、重ねて投影したりする機能も備えていました。
マイクロフィルムは、当時最先端の情報処理技術でした。
ブッシュがコンピューターを想定せず、マイクロフィルムを装置の実現に想定したのは当然でしょう。
当時はやっと ENIAC が完成したばかりで、まだコンピューターは計算機に過ぎませんでしたし、なによりもブッシュはデジタル計算機に懐疑的でした。
MEMEX があれば、重要な論文が忘れ去られたまま棚の中に眠ることもなくなるはずです。ブッシュは、論文を発表することで、この便利な機械を誰かが開発してくれることを期待していたようです。
しかし、皮肉なことにブッシュの論文は忘れ去られ、棚の中に眠ることになります。MEMEX があれば、そうはならなかったでしょうに。
エンゲルバートの oN Line System
しかし、MEMEX の論文を読んで感銘を受けた人が、少なくとも一人はいました。当時フィリピンのアメリカ海軍基地で勤務していたレーダー技師、ダグラス・エンゲルバートです。
彼は、いつの日かこの素晴らしい機械を自分の手で作り上げたいと思うようになります。
終戦後、彼はカリフォルニア大学バークレー校の大学院で、電子工学を専攻しますが、その間も常にMEMEXの実現を考えて研究していました。
いつしか、彼はコンピューターを使えば MEMEX を実現できそうだということに気づきます。しかし、まだ高価なコンピューターを計算以外に使うというアイディアは一般に受けいれられるものではありません。当時のコンピューターは、まるで神のような存在だったのですから。
彼がやっとコンピューターを使って MEMEX を実現するための研究を始められたのは、1957年、スタンフォード研究所(SRI)でのことでした。彼は「人間とコンピューターの対話的システム」をテーマに研究を開始し、つぎつぎと論文を発表します。
この段階で、彼は「コンピュータによる思考増幅装置」をオーグメンテーションという名前で呼んでいます。そして、これらの研究が国にも認められるようになり、1964年、高等研究計画局(ARPA)から 100万ドルの援助金が降りるのです。
エンゲルバートはこの援助金を元に、オーグメンテーション・リサーチセンター(ARC)を設立し、ついにオーグメンテーション、つまり、エンゲルバート版の「MEMEX」の開発に乗り出しました。
彼は、開発するシステムを oN Line System 、略称 NLS と名付けます。このコンピューターは、計算するためのものではなく、膨大な情報を処理し、人間の意思決定を手助けするためのものとなる予定でした。
そのためにも、まず最初にすべきことは、取っつきにくい「コンピューター」というものを扱いやすくする工夫でした。
当時、コンピューターの入力はパンチカード、出力は紙テープというのが普通でした。しかし、エンゲルバートはレーダー技師としての経験から、出力にレーダーと同じ陰極管(CRT)ディスプレイを使おうと考えます。CRT に、光の点の集まりで文字を表示するのです。
そして、入力はキーボードでした。MEMEX では文字をペンで書き込むことを想定していましたが、「図」として記録される手書き入力よりも「文字」として記録されるキーボード入力の方が、情報の再利用がしやすいのです。
CRT を見ながら、キーボードで入力する。これは驚くほど斬新なシステムでした。取っつきにくかったコンピューターが、まるでタイプライターのようになってしまうのです。
次に必要なのは、文字を自由に操作するために、位置を指示する装置(ポインティングデバイス)でした。
ポインティングデバイスの開発は難航しました。理想的には、思い通りに操作が出来、両手をキーボードから離さなくて済む装置です。足で操作する装置、膝で操作する装置などが試作されましたが、最終的にはキーボードに手を乗せ続けることを諦め、手で操作する装置が採用されました。
この装置は、箱の裏に、縦方向・横方向の動きを検知するための、2つの車輪をつけたものです。箱の上には3つのボタンがつけられ、机の上を滑らせて使うものでした。
この装置は、形が似ていることから「マウス」と名付けられます。また、CRT上でマウスに合わせて動く小さな印は「バグ」と名付けられました。
しかし、マウスを採用したことで、困った問題が生じました。キーボードを片手で操作しないとならないのです。そこで、タイプライターのキーボードの他に、マウスと組み合わせて使用するキーボードも考案されました。
これは、5つのキーを同時に複数押すことで、31通りのアルファベット・記号を入力できるキーボードでした。ピアノで和音を弾くように指を動かすため、「和音キーボード」(コード・キーボード)と呼ばれます。
そして、マウス、キーボード、和音キーボード、CRT ディスプレイという優れた入出力装置を持ったコンピューター用に、専用のソフトが作成されました。
たとえば、論文作成ソフトでは、キーボードから入力された文章をCRTに表示し、段落単位・単語単位・文字単位でいつでも並び替えやコピーなどの編集が可能です。
編集には和音キーボードとマウスを同時に使います。
たとえば段落を移動するのであれば、和音キーボードから移動(Move)を意味する「M」を打ち込み、次にマウスで段落の先頭を指示します。ついで、異動先をマウスで指示すると、瞬時に文章が作り替えられる、という具合です。
このソフトは、世界で最初の「ワードプロセッサー」でした。それも、アウトラインプロセッサ機能を内包した形の、高級ワープロです。
でき上がった論文には、通し番号が付けられて保存されます。また、論文内の各段落にも通し番号がつけられます。これらの番号を参照することで、いつでも他の文章を参照することが可能でした。
(注:エンゲルバートについてのページ、頻繁に URL が変更になるようです。リンク切れになっているのを発見する度にURLを確認していますが、リンク切れがあった場合には Doug Engelbart Institute のトップページから探してみてください。URL変更になっていても同等のページがどこかにあるようです)
これは、ブッシュが夢に描いた「情報を、関連性を元に整理・保存する」機械の実現でした。NLS は MEMEX を実現したのです。
NLS の機能はこれにとどまりません。
画面を2つに分割し、片側に通信回線で結ばれた別のコンピューターの画面を表示することも出来ました。これにより、画面上で遠隔会議が可能なのです。画面には文字だけでなく、図の表示も出来ました。
さらに、ネットワーク上の特定の相手に向けて、電子的な手紙を送ることも可能になっていました。世界で最初の電子メールシステムです。
こうしてみると、NLS は、その後のコンピューターの進化の方向を大きく決定づけたシステムなのです。
NLSの機能を紹介した「伝説のデモ」の映像が、スタンフォード大学のサイトで公開されています。
コンピューターは、NLS によって「計算機」から「情報処理機」に進化した。そういっても過言ではないほどの衝撃が、NLS の登場にはありました。
そして、このときに開発された技術が、キーボード入力・CRT出力・マウス操作・ウィンドウシステム・ネットワーク・・・などなのです。これらは現在ではコンピューターに不可欠な技術となっていることは、皆さんがよく御存知の通りでしょう。
NLS 以降、コンピューターはハードウェアの時代を終え、ソフトウェアの時代へと突入します。そして、ハードウェアよりも自由な発想で作りやすいソフトウェアによって、コンピューターの使用方法は一気に多様化していくのです。
参考文献 | |||
アラン・ケイCD-ROM PACK | 浜野保樹/OPeNBook | 1994 | OPeNBook |
モンド・コンピューター | 鹿野司/アスキー | 1996 | アスキー |
林檎百科〜マッキントッシュクロニクル〜 | SE編集部 | 1989 | 翔泳社 |