ENIAC

目次

ENIAC開発の背景

ENIACの構造

基本回路システム構造

ENIACとフォン・ノイマン

ENIAC にまつわる伝説


ENIAC にまつわる伝説

ENIAC にまつわる数多くの逸話の中に「ENIAC は故障率が非常に高く、連続して運用出来るのはせいぜい15分だった」というものがあります。真空管の寿命と、ENIAC に使われた真空管の本数から確率計算を行うとこうなるのだそうです。

しかし、実際にはペンシルバニア大学においてある間には90%以上の時間動作していたという記録が残っています。先に書いたように、万が一故障したときにすぐにユニットを交換し、稼動を続けられる工夫も万全でした。

さらに、実はENIACの真空管は、メーカーが規定する電圧よりもずっと低い…たった1割の電圧で駆動されていました。これは、製作前の事前実験で、性能には問題を出さずに、寿命をずっと伸ばす方法として考えられた方法でした。

ENIACは最初から「故障しにくいように」するための設計が随所に盛り込まれており、安定した性能を示していたのです。


一説によれば、陸軍ではENIACを「使うときだけ電源をいれていた」とも言われています。真空管は電源を入れてから安定するまでに時間がかかり、電源のON OFFを繰り返すと速く劣化しますから、あるいはこれが「故障しやすい」という説の元かもしれません。


「真空管は光を発するため、蛾が集まって来てショートする事がある。これがバグという言葉の由来」という逸話もありますが、これも嘘です。

ENIAC は空調の行き届いた密室に設置されており、蛾が入り混む余地はありませんでした。

蛾によって計算ミスを引きおこしたのは、リレー式コンピューターのハーバードMark-II です。


1955年10月2日、ENIAC の電源は落とされました。ENIAC の役目は終わったのです。

その後 ENIAC は解体されます。その一部はスミソニアン博物館、スミソニアン・アメリカ歴史博物館、そして ENIAC の生まれ故郷であるペンシルバニア大学などに収蔵されました。


しかし、これは計算機の終わりではありませんでした。この頃までには ENIAC に触発されて各国で計算機の研究が始まり、成果を見せ始めていたのです。

これが、計算機時代の幕明けでした。



参考文献
誰がどうやってコンピューターを作ったのか?星野力1995共立出版
トロンへの道程NHK取材班1988角川書店
ENIAC 世界最初のコンピューター開発秘話スコット・マッカートニー著/日暮雅通訳2001パーソナルメディア

追記 2006.02.15

ENIAC のニュース動画が公開されていました。

参考にリンクしておきます。

追記 2020.06.22

ENIAC の速度について、ファミコンとの比較を日記に書きました。

当記事を書いた際にはまだ僕自身 ENIAC の動作を理解できていなかったので、プログラム方法などの補佐的な情報も書いています。


ENIAC vs 6502


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(ページ作成 1998-04-19)
(最終更新 2006-02-15)

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