ワイキキ歴史散歩(後編)

Zippy'sどこで夕ご飯を食べようかと悩む我々の前に、Zippy's がありました。実はこれも来たかった店の一つ。

Zippy's は、ガイドブックによればこちらのファミレスのような店。オアフ島だけで20店舗もあるそうなのですが、ワイキキには1店舗もありません。郊外型の店なんですね。わざわざ探して食べに行きたいというほどではなかったのですが、目の前にあるのであれば入ります。

ただ不安だったのは看板の下に「Napoleon's Bakery」と書いてあったこと。パン屋? Zippy's ってファミレスではないの?


店内に入ってわかりました。店の中は2つに区切られ、イートインもあるパン屋のスペースと、ファミレスというよりはファーストフード店のような Zippy's のスペースに分かれています。我々はもちろん Zippy's へ。

何を食べようか…メニューが良くわかりません。とりあえず、ここで食べたかった「サイミン」は注文決定。もう一つ…。メニューの中には「チリソースが自慢」というようなことが書いてあります。じゃぁ、それを食べてみようということで、チリドッグを注文します。あわせて $3.15

注文してしばらく待つと、番号を呼ばれました。英語なのでよくわからなかったので、多分呼ばれたと思います。しかし、受け取りに行くとトレーの上には大きな箱が…。頼んだのチリドッグだよ? 細長いならわかるけどなぜ大きいの? しかし、受け取りの番号札を見せると店員さんはトレーを渡してくれ…

チリドッグとサイミン箱を開けると、パンとソーセージだけのホットドッグがチリソースの中で溺れていました。…やられた。アメリカンサイズだ。モスバーガーのチリドッグのようなものを想像していた僕の負けです。

当然手づかみでは食べられないわけで、フォークとナイフがついてきます。「チリソースが自慢」というだけあって、非常に美味しいです。ひき肉と豆の入ったチリソースをたっぷりパンにつけて食べると、適度な辛味もあって食が進みます。


サイミンのほうは、ガイドブックによれば「ハワイ版ラーメン」だったのですが、ベトナムあたりの麺(ミン)のイメージです。まぁ、名前からして「ミン」なわけだし。

味は薄味で醤油系(ニョクマムかも?)、たぶん香草の香りだと思いますが、青臭い香りもします。最初は物足りないのですが、適度な塩味の加減がすばらしく、食べ終わる頃には「もっと食べたい」と思わせる美味しさを持っています。


麺は多分小麦…色が黒っぽいので、もしかしたら蕎麦が多少入っているのかもしれません。ベトナムの「ミン」は春雨のようなものらしいのですが、ここでは Noodle の意味で使われているだけで、厳密な意味での「ミン」ではないです。


腹が膨れたので帰りましょう。そろそろ時間は7時。ハワイの治安はそれほど悪くないとはいえ、日本ほどはよくないようです。日が暮れてしまうのは怖い。

でも、帰る前にまだよりたいところが…。ワイキキ海岸まで出て、海岸沿いを歩きます。ここからは、歴史パンフレットに載っていた史跡を尋ねての散策。

クヒオ王子クヒオ王子の像がありました。別にこれは目的の物ではありませんが、撮影。昔このあたりに住んでいて、白人の手によって崩壊したハワイ王朝を復興しようとした人物だそうです。結局ハワイ王朝が復活することはありませんでしたが、アメリカの連邦議員となってハワイの地位向上に努めた人物だそうです。

この周辺の土地は元々彼の私有地で、死後ホノルル市に寄贈されたのだとか。そのため、銅像の建っているあたりの海岸は、今でもクヒオ・パークビーチと呼ばれています。


デューク・カハナモクさらに歩くと、デューク・カハナモクの像があります。ここらへんは銅像が多いのです。カハナモクは、ハワイに伝統的に伝わるスポーツ「サーフィン」を改良し、近代的なスポーツへと発展させた人物。泳ぎも得意で4回オリンピックに出場、金3個、銀2個、銅1個のメダル保持者でもあります。

僕はサーフィンはやらないけど、湘南に住んでいるので名前くらいは知っている人物。銅像の手の部分には多くのレイがかけられていました。きっと、サーファーたちが訪れ、かけていったものなのでしょう。

ちなみに、HHVの前の、なかばプライベートビーチと化しているあたりは「デュークスビーチ」と呼ばれます。元はカハナモクの母方の一族が持つ土地で、カハナモクもここでサーフィンを覚えたのだとか。



魔法使いの岩そして、交番近くでやっと見つけました。お目当てのもの。「魔法使いの岩」です。このHPのタイトルに名前が似ている、というそれだけの理由で探していたもの(笑)

何の事は無い、ただの岩です。しかも、パンフレットには「魔法使いの岩」と紹介されていたのに、英語では「STONE OF LIFE(生命の石)」だし。

史跡に書いてあった説明と、下手な訳文を以下に載せておきます。原文は英語とハワイ語のものがありましたが、ハワイ語はわからないので英語版です。


THE STONES OF LIFE
NA POHAKU OLA KAPAEMAHU A KAPUNI


 Legend says these stones are the living legacy of four powerful Tahitian healers who once resided near this site at a place called Ulukou. From the court of the Tahitian chief, the names of the four where Kapaemahu, Kapuni, Kinohi and Kahaloa. They came from Moa'ulanuikea on the island of Raiatea long before the reign of Kakuhihewa, beloved O'ahu chief during the 1500's.

 The fame of the healers spread as they traveled throughout the island administering their miraculous cures. When it was time to return to Raiatea, they asked that two stones be placed at thir Ulukou residence and two at thir favorite bathing place in the sea. Four huge stones were quarried from Kaimuki and on the night of "Kane" thousands transported the stones to Ulukou. Incantations, fasting and prayers lasted a full cycle of the moon. The healers then gave their names and mana (spiritual power) to the stones before departing for thir homeland.

Pipi Holo Ka'ao
(Sprinkled, the tale runs)
生命の石

 伝説によれば、これらの石はこの近くにあったウルコウと呼ばれる住居に駐留した、4人の強力なタヒチ人ヒーラーが現存した証拠です。彼らはタヒチの首長宮廷からの遣いで、名前をカパエマフ、カプニ、キノヒ、カハロアといいます。1500年代に慕われたオアフ首長、カクヒヘワの治世よりかなり前に、ライアテア島のモアウラヌイケアからやってきました。

 彼らの奇跡的な治療は、その名声と共に島中で話題となりました。ライアテアに帰る期限が近づいたとき、彼らはウルコウの住居跡と、沐浴した海にそれぞれ2個づつの石を置くことを求めます。巨大な4個の石がカイムキで切り出され、「Kane(訳注:ハワイ語で 男 の意味)」の夜に、何千人もの人がウルコウまで運びました。最後の1ヶ月、彼らは断食して呪文を唱え、祈り続けます。そして、故郷に帰る直前に、彼らの名前とマナ(霊力)を石に与えました。

ピピ ホロ カアオ
(水を撒き、語り走る)

はい、翻訳を読んでもなんだか良くわかりませんね (^^; 観光地に置いてある説明で、まさかこんなぶっきらぼうに書かれるとは思わなかった…

まず、全体としてはピピ ホロ カアオ…「水を撒き、語り走る」という意味の名前をもつ、語り部の語った内容をそのまま記しているのだと思います。

ヒーラーというのは祈祷によって病気を治す人です。「魔法使い」ですね。ヒーラーというとなんだかインチキっぽいのですが、一般には薬草などの知識に優れ、原始的ながらも医療知識をもっていることが多いです。

この物語のクライマックスは、断食行の後に石に名前と霊力を与えるシーンです。原始的な文化ほど、言葉には多くの力が宿ると信じる傾向にあります。日本にも言霊(ことだま)信仰がありますし。そして、一般に一番重要な言葉は「名前」です。名前というのはその名前をもつ本人そのものを表すと考えられるのです。

つまり、ヒーラーたちは断食行によって石に自分たちの名前と霊力、…すべての「病気治療のための力」を残していったのだ、という意味がここには隠されています。取り残される島民のことを思い、自分たちが帰った後も病気で苦しまないようにしようという、彼らのやさしさがここにあります。

つまり、この石は魔法使いの残したもの、というよりは「魔法使いそのもの」なのです。だからこそ、この石は大切にされ、いまでもここに残されているのでしょう。


ちなみに、石を切り出したと伝えられるカイムキというのは、ワイキキから3キロくらいのところだそうです。最大の石1個の重さは7.5トンだとか。当時湿地帯であったワイキキでそんなに重い石を運んできたというのは、ヒーラーが帰ってしまうことがそれだけ一大事であったことを物語ります。

当時「住居跡と海の中」に設置されたはずの石が、なぜここにあるのか? といえば、長い歴史の中で何度も行方不明になり、そのたびに再発見されてきたのだそうです。そして、1963年にホノルル市によってこの場所に設置、1997年には聖地として柵で囲み、今に至ります。


晩飯(?)の数々さて、見るもの見たので帰りましょう…。夕食が少なめだったので、ホテルに戻ってから 2GOで買った豚皮スナック(Hot'n SPICY味)半分と、ひまわりの種(バーベキュー味)を食べてみました。チョコレートケーキはまた明日。

豚皮スナック、辛〜い。これは酒のつまみにはいいだろうけど、単体で食べるには辛すぎ。ひまわりの種は…微妙。まずくは無いけど、慣れてないから食べるのに手間がかかるよ。


(ページ作成 2002-07-14)

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